「愛しなさい、でも愛し過ぎないように」
これは、映画『1640日の家族』のファビアン・ゴルジュアール監督の母親が、里親になった時にソーシャルワーカーから伝えられたアドバイスだ。
『1640日の家族』の舞台はフランス。幼い時に里親家庭に迎えられた6歳の男の子を、実親が引き取りたいと申し出たことで起きる、家族の心の揺れ動きや葛藤が描かれている。
ゴルジュアール監督自身も子どもの頃、両親が生後18カ月の子を里子として迎え、6歳になるまで一緒に過ごした。その経験に着想を得て脚本から手掛けたのが、この作品だ。
養育里親として10人以上の子どもを育ててきた養育里親の藤井康弘さん(全国家庭養護推進ネットワーク代表幹事)は、映画を観て「家族それぞれの気持ちの動きがとても丁寧に描かれていて、素晴らしい作品だと感じた」と話す。
日本公開にあわせ、ゴルジュアール監督と藤井さんが、里親や制度に感じる気持ちについて語った。
『1640日の家族』のあらすじ
里親のアンナは、生後18カ月で里子として迎えたシモンを、我が子同様に愛し大切に育てている。
しかしシモンが6歳になった時に、実父のエディが息子との生活を再開したいと申し出る。戸惑うアンナの心配をよそに、児童社会援助局はシモンを父親のもとに戻すための手続きを進めていく。
議論を生むテーマに
藤井さん:私は養育里親として10人あまりの子どもたちを育ててきたのですが、作品にとても共鳴しました。里親の心情が、ストレートに表現されていたと思います。
ゴルジュアール監督:ありがとうございます。私は子ども時代に里子と一緒に過ごした経験があるので、脚本を書く時には里親の視点が一番筆が進んだのですが、実親やソーシャルワーカーも含めた様々な視点を、バランスよく描くよう心がけたつもりです。
フランスでも80回程上映会を開催し、その後に討論会をしたところ、とても盛り上がって様々な意見が交わされました。
映画で描かれた行政の対応などに感情がかきたてられた人たちもいたようで、時には喧嘩腰の議論になり、私が止めに入らなければならなかったくらいです。
テーマそのものが討論を生むものなかもしれません。
藤井さん:フランスでは里親は一つの職業になっているようですね。日本では里親手当は支払われるものの、生計を維持できるほどの金額ではありません。有償のボランティアのようなイメージです。
ゴルジュアール監督:里親制度は進化し続けています。私の母が里親だった1980年代は、日本のように実費程度でしたが、今は給料が支払われて職業化しています。
私自身は、それ自体を良いと思う一方で、別の問題を生み出しているとも感じています。
私は、里親になるためには「この仕事が天職だ」と思える使命感が必要だと思っています。
しかし職業化で里親の数が増えたかというと、残念ながら減っていて、それによる弊害も生まれています。
例えば厳しい条件を課されずに里親になったことで、虐待が起きたり、お金だけを目的に里親になる人が出てきたりする場合もあります。
職業化しても里親の数が減っていることを思う時、悲しいことですが、この時代に他者を受け入れようとする気持ちが減っているのではないかなと感じます。
藤井さん:監督のお母さんが受けた「この子を愛しなさい、でも愛し過ぎないように」という言葉も、とても考えさせられました。
映画と同じように、私たち養育里親は、実親が育てられるようになれば当然子どもをお返しします。
ただ、養育里親をするにあたり「この子を愛しすぎないように」という、ある種職業倫理のようなことは求められません。
私自身も、いつか別れが来る可能性があることも頭の隅に置きつつ、普段は実子と同じように育てています。だからこの言葉を聞いた時、正直違和感がありました。
ゴルジュアール監督:「愛しなさい、でも愛し過ぎないように」というアドバイスは確かに、一見不条理で矛盾しています。
その一方で、バランスや距離感を保つため、職業倫理として必要かもと感じさせる言葉でもあります。それだけ複雑だからこそ、私はこの映画を作りました。
私自身の家族は、映画に描かれているような経験はしていません。しかし、実際に里親をした人たちに話を聞いてみると、中には「職業倫理を持って、距離感を保っている」「お給料をもらっているのだから」と言う人もいました。
その言葉に、私は少し心が痛みました。子どもに接するというのは、人間的で感情が溢れ出すような経験であるはずです。それなのに、冷静で客観的に徹しているのだろうかと想像してしまいました。
ですから客観的に見ると「愛しなさい、でも愛しすぎちゃいけません」と掲げること自体に、無理があるのかもしれませんね。
藤井さん:確かにそうですね。私たちが迎える里子の中には、障がいのある子や虐待経験からトラウマを治療しなければいけない子どもたちもいます。
彼らを育てる時に、全体像を見るために少し距離を置いて見ることもしますが、愛しすぎてはいけないとか、気持ちの上で距離を置くのとは違うと思っています。
藤井さん:映画でもう一つ気になったのは、周りの大人たちがとにかく、里子を実親に返すのを最優先にしていたことです。シモン君自身の意見が尊重されていないような印象を受けました。
日本でも「子どもの声をもっときちんと聞くようにすべきだ」という議論があるのですが、意図してこのような描き方をされたのでしょうか?
ゴルジュアール監督:私がこの作品で焦点を当てたかったのは、愛情の欠乏ではなく愛しすぎること、つまり愛情過多によって何が起きるかです。
愛情があふれている里親と、同じように愛している実親の板挟みになった時、子どもに忠誠心の葛藤が起きるということを示したかった。
例えば、実親と里親が言い合いをしている場面では、シモンはどちらかを傷つけてしまうことを恐れて、言葉を失ってしまう。つらいけれども、そういう状況を描こうとしました。
こういった点を含め、私は監督・脚本家として、里親制度そのものではなく、里親たちの心情、どのような感情を持って里親としているかを分析しようとしました。
藤井さん:一映画ファンとして、シモン君自身も含めて登場人物の気持ちがきめ細かく描かれていると感じました。
ゴルジュアール監督:ありがとうございます。また、映画では愛情があふれるがゆえに里親と里子が引き離されますが、これは特殊だと思います。
実際は、里親と実親の関係が良ければ、里子がおじさんやおばさんという形で、元里親と交流することは可能です。
藤井さん:日本では、実親のもとに帰った子どもが、その後に元里親と交流することはまだまだ一般的ではなく、今後考えるべき点だと思っています。
私自身は、「おじさん・おばさん」というような捉え方をしてもらってもいいので、実親のもとに帰った後も元里親との交流が続いた方が良いのではないかと思っています。
そういう意味でも、私は『1640日の家族』を日本でも行政や関係者に観てもらい、養育里親の立場や、今後の里親のあり方を考える材料にしてほしいです。
7月29日(金)から「TOHOシネマズ シャンテ」ほか全国公開
監督・脚本:ファビアン・ゴルジュアール 出演:メラニー・ティエリー、リエ・サレム、フェリックス・モアティ、ガブリエル・パヴィ
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
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