2022年上半期にハフポスト日本版で反響の大きかった記事をご紹介しています。(初出:1月23日)
「なんだか、日本語が下手になった気がします…(笑)」
そんなことを言いながらも、表情はとても明るい。
元TBSアナウンサーの伊東楓さん。2021年10月からドイツに移り住み、現在は「アーティスト」として活動している。彼女が放送局を退社したのは、コロナ禍の2021年2月のこと。
昨今、アナウンサーが放送業界を離れ、新たな分野にジョブチェンジするケースが増えている。大企業の社員にスタートアップ企業の広報担当、自ら会社を立ち上げる者や国連機関の職員など、「その後」の道はまさに十人十色だ。
だが、絵本制作や詩の創作などいわゆる芸術分野への転身は極めて珍しい。“会社員”として生きるのを辞めて「自分の心に正直に生きられるようになった」と話す彼女の新たな挑戦について聞いた。
安住アナからの言葉に支えられた。それでも感じた「違和感」
ドイツで生活を始めてからしばらくは語学学校に通った。今は絵を描くなどの創作活動に勤しんでいる。
絵を描くことは幼い頃から好きだったが、学生の頃にはアナウンサーを志望し、縁あって2016年にTBSに入社した。しかし、入社からまもなく、すでに自分の中に違和感があったと伊東さんはいう。
///
「アナウンサーに向いてないかもしれない」というのは自分自身で感じていました。
研修の頃だったかもしれません。先輩の安住紳一郎アナウンサーに「私は(この仕事に)向いてないと思います」と伝えたら、「向いてないって思うってことはその職業と向き合いたいと思っているということだから、向いているんだよ」という言葉を返されて。その言葉で改めて頑張ってみようと思ったんです。
振り返ると入社した当初から、アナウンサーとして「期待に応えなければいけない」とか、「何かしら会社にしっかり貢献しなきゃいけない」と強く思っていました。いわゆる、人が求める“アナウンサー像”を意識して、それに向かって日々頑張っていたら精神的にギリギリになってしまった。一度、当時帯で担当していた番組などを降板しました。
もちろん、アナウンサーの仕事をしていたからこそ出来た経験があり、出会えた人がいる。そのことには感謝をしつつも、一方では息苦しさのようなものを感じて、辛かった部分がありました。
自分を救った「絵を描くこと」。そのきっかけは突然やってきた
伊東さんにとって、日々の仕事で荒んだ自分を救ったのが「絵を描くこと」だった。元々好きだった絵を書くきっかけは、ある日突然のように訪れる。
///
入社して3年目、当時放送していた中居正広さん司会のバラエティ番組『中居くん決めて!』の中で、ある日、出演者の似顔絵をホワイトボードに即興で描く役割を任されたんです。本来のアナウンサーのような役回りじゃなくてもこれも立派な仕事だと思って。そこから仕事が終わると毎日のように絵を描き始めました。
一人のアナウンサーとしてはもっと他のことを努力した方が良かったのかもしれませんが、仕事からどんなに遅く帰ってきても習慣になるくらい、気がつけば絵を描いていました。
仕事をする中で抱える葛藤や自分の感情をそのまま絵に反映することが出来て、ストレスを発散できる唯一の大切な手段になっていましたし、何よりも自分が無心になれるものに出会えたということも幸せだなと感じていました。
その頃から、「もしかして自由に自分らしく生きられる場所は他にあるのかもしれない」と自分でも深く考えるようになったんですよね。中居さんは番組で私のはみ出したような発言を沢山拾って受け止めてくれましたし、別の番組でご一緒していた伊集院光さんに「堅い枠にはまって生きるようなタイプじゃないじゃん」と自分自身を肯定してもらえたことで気持ちが随分と楽になっていきました。
そこから、絵を描くことや詩を書くことなどを含め、創作活動を仕事にしたいという気持ちが日に日に強くなっていったという。
安住アナから「アナウンサーとして大成する姿が見たかった」と言葉をもらったが、自身の気持ちに迷いはなかった。2021年2月、思いを形にするために伊東さんはTBSを退社した。
「幸せすぎて描けなくなって…」。退社後、海外に拠点を求めた理由
会社を辞め、自由に創作活動に集中できる環境を手に入れた伊東さん。2021年10月からドイツに生活と創作の拠点を移したが、ドイツを選んだのは直感だったという。
なんとなく英語が通じる国がいいなとは思っていましたけど、実際に住むようになるまでヨーロッパは旅行でしか訪れたことがなく、実はドイツには行ったこともなかったんですが、元々興味もあったので、思い切って生活の拠点にしてみたんです。
あくまでもまだ住んで4ヶ月目の印象としては、生きやすいです。移民を含め、様々な国籍の人が共生しているからでしょうか。自分が思っていたよりも偏見が少ないなと感じています。自分の周りの人たちも、私のことをフラットに見てくれる印象があります。
直感で選んだというドイツでの生活は今のところ充実している。だが、そもそもなぜ、海外に出ようと考えたのか。
ドイツに移り住む前、会社を辞めてからの日々はもう…幸せすぎて。というのも、アナウンサーとして多少なりとも自分の名前を知って頂いていたことも手伝って、詩集を出せて、個展を開き、ブランドともコラボレーションの仕事が出来た。
そもそも、私の創作活動はアナウンサーの時に日々葛藤していた感情をそのまま絵や詩に乗せていて、それが根源にあったんです。でも、いざ自由になってみたらそんな環境が幸せすぎて、絵を描けなくなっちゃったんですよ(笑)
会社員として働いていた頃は、「やりたいと思っていること」と「やらなきゃいけないこと」に大きなギャップがありました。それに対するフラストレーションもありましたし、自分が「大きな目標があります」と口に出すと、「そんなものは叶うわけないよ」と言われたりしましたから。それを跳ね返そうという気持ちが創作のエネルギーでした。
でも会社を辞めたら、自分の好きな人と一緒にいられるようになりました。自分に対してネガティブな人は当然のように寄って来なくなる。それはもちろん良いことではありますが、一方で、居ようと思えば、自分と同じ考え方の人たちとだけ居られるようになる。それには“危うさ”も感じました。
もっと広い世界を見てみたい。思ったように描けないという焦りも生まれて、クリエィティブな仕事で生きていくなら、今の自分は恵まれた環境がある日本から出るくらい覚悟を決めなければきっと「なぁなぁ」で終わるなと感じたんです。海外を拠点にしたのは、そう思ったからでした。
「アナウンサー辞めてもったいないね」。周りからの言葉に思うこと
今後は海外を拠点に創作活動を続け、日本で1年に1回は個展を開くことが当面の目標だと話す。
「今と昔で表現の方法が違うだけ」。アナウンサー時代から「言葉」を大切にしてきたが、アーティストとしての活動を始め、エッセイや詩の創作をするようになった今も当時の経験が活きているという。
もちろん様々な形があると思いますが、アナウンサーは番組などで決められた役割を確実に全うすることが基本のスタンスでした。あとは、取材を通じて時に誰かの「代弁者」になることだったように思います。
でも、自分が本当にやりたかったことは、自分が考えた事や思っている事を自分なりの方法で世の中に発信していく「発信者」になりたかったんですよね。そうなることを望んでいる自分に働く中で気がついたんです。
日本にいるときは、「アナウンサーを辞めてもったいないね」と周囲の人からよく言われましたし、「どう生活するの」「そんな無謀な」とか言って挑戦の芽を摘もうとする人がいました。今住んでいるドイツの人たちは自分の挑戦を純粋に心から応援してくれるので、その違いも感じています。
やっぱり、自分で選んだ道なら後悔しないじゃないですか。仮に、挑戦して失敗して「元々の道の方が良かったな」と思った時は、また戻ればいいと思うんですよね。「何かにチャレンジをした後に戻った時の周りの目が嫌だ」と知人から相談を受けたことがあったんですが、周りの目を気にしすぎる必要はないのかなと感じます。「挑戦から戻ってくる人を自然と受け止めること」は、組織や会社にとっても非常に重要ではないかなと思います。
「働き方」として副業が広がりつつある今、会社や組織で働きながらも自分らしく活動する人もいる。働きながら漫画家として活動したり、テレビドラマに役者として出演したりする者などケースは様々だ。だが、伊東さんはあえて会社を辞めることを選んだ。その理由についても聞いてみた。
会社員だった頃、「制限されることに対する違和感」を感じてもがいていたのに、会社に属しながらアーティストとして活動し続けるというのは、自分の中では違いました。
会社員である時点で少なからず何らかの制限は掛かってくると思いましたし、それは当然のこと。アーティストとして勝負するのであれば退路を断って大きく出なきゃだめだなと思って、私は会社を辞めるという大きな決断をしました。その決断があったから自由を手に出来た気がして、今は自分の心に正直に生きられるようになりました。でも、働く形が多様に広がっていくのは良いことだと思います。
現在の創作物は、伊東さん自身のことを主に描いているという。
「自分の創作物を通じて『こういう風に自由に生きている人もいるんだ』と誰かの背中を押すきっかけの一つになったら嬉しいですね」
伊東楓さんの新たなキャリアは、まだ始まったばかりだ。
(取材/文・小笠原 遥)
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
「アナウンサー辞めてもったいないね」の言葉に思うこと。海外移住しアーティストに転身、元TBSアナ伊東楓さん【2022年上半期回顧】