「書いてる最中に、自分のこれまでの働き方に対して猛省したんですよ」
ジャーナリスト・キャスターの安藤優子さんを知らない人は、日本にほとんどいないだろう。テレビを中心とした報道界のトップランナーである。
そんな人が、なぜ…。
安藤さんの新著『自民党の女性認識ー「イエ中心主義」の政治指向』(明石書店、6月24日書店発売予定)は、日本の政治の世界に女性が増えない原因が、政治文化を作ってきた自民党の政治戦略にあった、ということを明らかにした本だ。博士論文を元に、加筆・修正を経て仕上げられた。
序文とあとがきでは、安藤さん自身が辿ってきた道が、研究テーマと密接に関係する話として書かれている。安藤さんにインタビューで詳しく聞いた。
テレビ報道の世界に飛び込んだ安藤さんに、最初に与えられたのは男性司会者の隣でうなずく「アシスタント」。女性は添え物だった。それからメインの位置に座るまで、どんな働き方をしてきたのか。
「私はどこかで、男社会で優位にある『オジサン』たちに同化して見せていました。同化というより『ペット化』。私は無害ですよ、あなたたちを脅かしませんよというサインを送ることによって、ボーイズクラブに入れてもらい、知らないうちに席を確保する。そういうやり方をしないと自分の居場所をこじ開けられなかった時代ではあったんです。でも、後ろに続く世代の女性たちが、いまだに自分らしくない働き方を強制させられている。いびつな状態が、変わらないままになってしまった」
日本だけでなく男性優位の社会は世界に広がっている。その中であがき苦しんできた女性たち、時には「同化」して突破してきた世界の女性議員たちの文献を紐解くうち、ある感情が湧き上がってきたという。「これって私のことじゃないか」。
そして、書き上げたこの本を通じて、安藤さんは今、変えようとしている。
「私たちは、何にでもなれる。そう皆が思える社会にしたいと思ってるんです。社会の認識のあり方を何とかして変えていかないと、私たちの生きづらさを、ずっと引きずってしまう」
その対局にある言葉が話題になったのは、ついこの間のことだ。
「わきまえる」
2021年、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の委員長だった森喜朗氏が、臨時評議会で発した言葉。
この言葉は、まさに自民党の政治指向である「イエ中心主義」の女性認識を端的に示す出来事だったと、安藤さんは序文で書く。
本論では、様々な観点からその「イエ中心主義」が自民党の中でどのように形作られ、戦略的に再生産されてきたか、戦後史から捉え直した。さらに、どんな人が候補者として選ばれてきたか、候補者選定を分析して、それが今も維持されていることを明らかにしていく。
本の中には、1979年に出版された自民党の研修用の教材に収められた、印象的な言葉が出てくる。それが「家庭長」という言葉だ。オイルショックによる景気の停滞期、国の福祉予算を縮小しなくてはならない政策的要請の中で、家事・育児・介護などは家庭の「自助」であり、女性が担うべきだと強調する。「家庭内安全保障」の担い手であるという理屈で、女性は「イエ」に従属する存在、イエの中の仕事をすべきだとの主張だ。
「私もこれを発見した時は『うっかりやられたな』という感じでした。目的は、日本の福祉予算を削って、子供や男性の世話を女性に担わせること。しかし、西洋と違って、国家に依存し過ぎないのが日本独自の文明なんだ、そしてそれを担うのは、主婦ではなくて家庭から日本の安全保障を切り盛りする『家庭長』なんだと、巧みな理論を作り上げていきました。私の母の世代は、それで、国のために寄与しているんだという誇りを持っている。もちろん、そうした生き方を選ぶ自由もあります。しかし、是非ではなくそうした歴史があるということを、この機会に皆さんに知っていただきたいと思って紹介しました」
まもなく行われる参院選は、政治分野における男女共同参画推進法が成立して、3回目の国政選挙だ。この法律では、男女の候補者の数ができるかぎり均等になるよう政党に努力を求めているが、罰則などはない。あくまで「努力目標」であり、特に自民党は法律ができてから2度の国政選挙でも、候補者の女性割合は2割にも届かなかった。
「今回の参院選は公示まで待たないと分析はできませんが、前回(第49回)の衆院選、特に自民党は酷かったですよ。その前の衆院選での女性候補の割合よりも増えるどころか減ってしまい、1割にもなりませんでした(9.8%)。結果として衆議院全体の女性議員数も減りました。女性議員を増やさなければならないという機運は高まっているにも関わらず、結局は現職が優先だったり、『札(票)にならない女性はいらない』『女性は旦那の世話や子育てに忙しくて政治に情熱を傾けないだろう』という偏見が政党にもあります。候補者はあくまでも候補者でしかなく、当選する人を選ぶのは有権者。しかし、そのスタートラインさえも均等にすることもできないのか。有権者はよく見ておくべきですね」
女性政治家を増やすべきだ。そんな記事に、ありがちな反応がある。「でも、現職の女性議員に、あまり良い人がいると感じない。そんな人を増やしても…」。
だが、現職議員のキャリアパスを分析した安藤さんの本からは、それがなぜなのか、その一端が見えてくる。血縁継承などで地盤・看板・カバンという集票システムのいずれかを備えているか、政党とコネがある女性しか、ほとんど候補者になれないから、である。
「自民党だけではないですが、政党が候補者を集めるための公募制度が不透明なことも原因です。制度としてはあるけれど、自己資金か知名度か、一定の支持者がすでにいる人でないと公募で受かることはないんです。例えば「郵政選挙」のような猛烈な「風」が吹いている場合は別ですけれど。『普通の女性』にはそんなものはありません。公募と言いながら、裏では経済界の有力者から推薦された方が名簿の上位になったりする」
「そして、女性には『家庭長』としての責任があるのに、投げ打って政治をするなんて、という、根深い、刷り込まれてきた意識もある。さらに、地方議会は報酬も低く仕事を投げ打って立候補するのはすごく難しいし、地方議会から国会へとのぼるハシゴも、断絶しています。そんな様々な理由が二重、三重に重なり合って、『普通の女性』が政治に参入するのは難しい。だから今は、普通の人々の価値観や生活とかけ離れた方しか、ほとんど政治家にはなれないんです。そして、どんどんどんどん、政治が生活者とかけ離れて遠くなり、劣化していく。ごく普通の、でも志のある女性が政治家になれないシステム、その制度を作ってきた責任を私は問うているわけです」
男女の候補者を本当に均等に近づけようとする気があるのか、また、女性が政治の世界に入れない制度を改める気があるのか、私たちは政治を監視し、きちんと実現するように訴えていかなければならないだろう。
その第一歩として、選挙直前の今、できることとは、何だろうか?
「どういう政治家が、いい政治家なのか。この選挙をきっかけに是非、考えてもらいたいです。息子の合唱コンクールに3分だけ顔を出して、名刺を配っていく人ですか?毎朝、駅で『行ってらっしゃい』だけ言う人ですか?私はそれを、すごく考えていただきたい。神社から神社へ『祭りホッピング』をして、盆踊りをして、後援会の人たちとベロベロに酔うまでお酒を酌み交わす。そういう人がいい政治家だと思う有権者も、女性が政治家になれない国を作ってきた一部なんです。ぜひ、皆さんも周りの方々と、話し合っていただきたい」
「政治には『どうせ汚いことをやってるんでしょ』というイメージがあるかもしれません。政治家本人にも、もちろんそれを取り払う努力が必要です。一方で、本当に立派な仕事をしている政治家ももちろんたくさんいますから。政治って特殊なことではない。日常生活の不満から、政治には全て繋がっているんです。選挙をきっかけに、少しでもワイワイ話せる機会ができれば、少しは違ってくるのかな、そう思っています」
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
「男社会で優位な『オジサン』たちに同化していた」。安藤優子さんが、今、変えたいこと。