ウクライナをめぐる情勢が風雲急を告げている。
ロシアが隣国ウクライナの国境周辺に大規模な軍隊を集結させており、「ウクライナへの軍事侵攻が近い」と欧米各国が警戒しているからだ。アメリカのバイデン大統領は2月18日、「ロシアのプーチン大統領がウクライナ侵攻を決断したと確信している」と主張。一方、ロシア外務省は17日に公表したアメリカなどへの文書で、ウクライナへの軍事侵攻を否定している。
しかし、ウクライナ東部ドネツク州で親ロシア派が実効支配する「ドネツク人民共和国」は18日、70万人の住民を対象にロシアに避難させる計画を立てた。徴兵のための総動員令を発令したと報じられるなど、戦争に向けた準備とみられる状況も進んでいる。
この情勢をどう読み解けばいいのか。『ハイブリッド戦争 ロシアの新しい国家戦略』などの著書があり、ロシア政治に詳しい慶應義塾大学・廣瀬陽子教授に話を聞いた。
■ロシアがウクライナ全土を占領することは「全くメリットがない」と指摘
廣瀬教授は、これまでロシアの軍事侵攻は「まず、ないだろう」という立場だったという。プーチン大統領の狙いは「いつでも軍事侵攻をできるぞ」というポーズを見せることこそが目的であり、実際に軍事侵攻するつもりはないだろうと考えていたという。
しかし、ウクライナ軍と分離独立派が、それぞれ攻撃を受けたという主張をしており、ウクライナ東部住民の避難も進められている中で、ロシアが「自国民保護」を掲げて侵攻をする可能性が否めなくなってきていると指摘した。
ただし、たとえ軍事侵攻があったとしても、ロシアがウクライナの全土もしくは一部を併合することは「全くメリットがない」と懐疑的だ。
「ウクライナ領からロシア領に移って良かった」と住民に思わせないと反乱が起きる危険があるため、社会保障や生活環境を現在よりも良くしないといけない。それには相当な資金が必要になるからだという。
クリミア併合の際も、ウクライナ本土に依存していたガスや水道などインフラを整備するのに莫大な予算を使ったロシアに、ウクライナ全土を併合するのは難しいと指摘する。
■プーチン大統領がこれまでに得た「5つのお土産」とは?
廣瀬教授は、プーチン大統領がこのまま軍を撤退させたとしても「すでに5つのお土産を得ている」と分析した。
廣瀬教授の分析を要約すると以下のようになる。
01.ロシアに世界的な注目が集まり、米中対立ばかりが目立っていた国際政治に割って入った
02.アメリカとヨーロッパ諸国の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)にウクライナが将来的に入ることについてロシアは強硬に反対するも無視されてきたが、ついにNATO諸国を交渉のテーブルに着かせることができた
03.ウクライナがNATOに加入すれば、ロシアにとっては軍事侵攻をしかねないほど深刻な問題だとアピールできた
04.「旧ソ連地域にNATOが入ってくることは許さない」というロシアの勢力圏をアピールできた
05.武力侵攻の恐怖でウクライナ政治を混乱させ、親欧米派の失脚に向けて足がかりができた
このように現時点でプーチン大統領は充分なメリットを享受しているのだという。ただし、それでも「自国民保護」を掲げて侵攻をする可能性は否定できず、今後どう情勢が動くのか断言するのは難しいと指摘している。
より詳しい内容を知りたい方に向けて、以下に廣瀬教授との一問一答を掲載する。
■廣瀬教授との一問一答
――ロシアが今回、ウクライナに軍事侵攻する可能性はどれくらいあると思いますか?
私は基本的には軍事侵攻は「まず、ないだろう」という立場です。アメリカのメディアが報じていた軍事侵攻の「Xデー」は2月16日でしたが、その日の侵攻は起こりませんでした。ただ、ここにきて、ちょっと不穏な動きが出ているのも事実です。
ウクライナ東部の緊張が高まっています。ウクライナ軍と分離独立派が、それぞれ攻撃を受けたという主張をし、ウクライナ東部住民の避難も進められています。そうなると、ロシアが「自国民保護」を掲げて侵攻をする可能性が否めなくなってきてしまいます。
―― 軍事侵攻が「まず、ないだろう」と思っていた理由は?
ロシアに全くメリットがないからです。クリミア併合の記憶が強いために「ロシアはどこの領土でも併合したいはず」と思っている方もいるかもしれません。でも、クリミア併合も相当苦しい状況で実行したというのが実情です。
他国の土地、この場合ウクライナの土地を併合する場合、当地に住む住民にとって「ウクライナ領からロシア領に移って良かった」という状況を作らないといけません。年金と教育などの社会保障をはじめとした生活環境など全部、ウクライナより良くしなきゃいけない。それには相当な資金が必要になります。
クリミアの場合は併合後に、インフラの再構築も必要になりました。ウクライナ本土に依存していた水道やガスなどのインフラも、ロシアが用意しなくてはいけなくなった。経済制裁を受けながら独力でロシアが整備しました。
プーチン政権は極東開発に力を入れてきましたが、クリミア併合後は極東向けだった予算などもクリミアに振り向けて何とかギリギリ持っている感じです。その状態で、ウクライナ一国を現在のロシアが抱えられるわけがない。だって、ウクライナ時代より良い生活状態を提供できないと、反乱なども起こるでしょうからね。
―― なるほど。併合するのであれば「ロシア領になってよかった」とウクライナの人々に思わせないといけないということですね。ただ、ウクライナ東部には親ロシア派が実効支配している地域があります。このドネツクとルガンスクだけでも、ロシアが侵攻して併合する可能性はどうでしょうか?
攻撃の可能性は否定できなくなってきましたが、併合の可能性は低いと思います。 併合による、ロシアのメリットはあまりないと思います。あそこをウクライナに残すからこそ意義があるんです。ロシアはずっとウクライナによる「ミンスク合意」の履行を主張していますが、ミンスク合意の中で特にロシアが重視しているのは、ウクライナ東部に相当高いレベルの自治を与えることです。
「相当高いレベルの自治」に含まれるのが、外交権です。ドネツクとルガンスクは外交権を持つようになると、ウクライナ政府が「NATOに入りたい」って言い続けても、ドネツクとルガンスクが「NATOに入りたくない」と言えば不可能になる。それなのに、もしロシアが併合してしまえば、ウクライナは逆にNATOに入りやすくなるんです。
―― そうなると、「ロシアがウクライナを併合しようとしている」というのは、飽くまでもアメリカやNATO側から見たシナリオであるということになりますね。
そうです。特にアメリカが危機を喧伝していますね。確かに最初の頃、ウクライナのゼレンスキー大統領本人が「ロシアの脅威がある」と世界に訴えましたが、アメリカ、イギリスなどが脅威の度合いをかなり強調して発信しました。たとえば、アメリカ側は、「2月16日に侵攻がある」など具体的な主張もしていました。
軍事侵攻が「日付が決まって予言されることは初の現象」とも報じられていますが、たしかに相当珍しいことが起きています。ロシア側から見ると「アメリカのフェイクニュース」となりますが、欧米側としては「あえて危機を煽ることでロシアを自制させる効果を狙っている」ということがあるようです。
でもそこで割を食うのは、ウクライナです。ゼレンスキー大統領自身も「ロシアの脅威がある」とは言っていたものの、そんなに話が大きくなるとは思わなかった。「ウクライナ危機」を各国が警戒して、欧米の大使館がどんどん退避してしまった。当然外国資本も離れます。その結果、ウクライナ経済は大ダメージを被り、インフレも進行しています。
―― ウクライナは大国同士の思惑に狭間になって、困った状況に追いやられているということですか?
そうです。そんな情勢だからウクライナの駐英大使からも中立に関する発言が出て、後に火消しに回るといったことも起きています。そして、フランスのマクロン大統領も、ウクライナの中立について語り、後で撤回しているとも報じられました。
――NATOとロシアの間の中立ということでしょうか?
つまり冷戦期で言うところの「フィンランド化」ですよね。NATOには入れないけど、ロシアの脅威もかなり軽減できると。プーチン大統領にとっては、一番好ましい方向性です。
―― つまり、現状はプーチン大統領にとって良い具合に進んでいるということでしょうか?
私は、色々な意味でプーチン大統領の思惑通りになっていると思います。プーチン大統領は「何も得てないじゃないか」と指摘する人もいますが、私は現時点で少なくとも5つのお土産をプーチン大統領はゲットしていると思っています。いつ軍を撤退させても損したように感じないはずです。
―― プーチン大統領が得た5つのお土産とは何でしょう?
お土産の1つは、今回の「武力侵攻をする雰囲気を醸し出していること」との理由とも重なってきますが、これまで世界がロシアへの注目度を落としていたことが背景にあります。これは大国でありたいロシアにとっては、非常にマイナスでした。バイデン政権になって「アメリカの敵は中国」という方向になり、「米中による二極世界」になっていきます。ロシアはそこに介在しないわけですよ。それは、ロシアにとって不満ですよね。
もちろんロシアだって、アメリカから攻撃されたいわけじゃない。でも、経済制裁が解けてないのに、世界の大国から相手にされてないという状況への苛立ちがあったと思うんです。
でも、今回のような行動を起こせば世界が注目する。実際、北京オリンピックの最中なのに、オリンピックよりもロシアの方に注目が行くような状況になっています。米中二極になりそうだった世界にロシアが入り込んで、少なくとも三極になったのが、ここ数カ月の動きです。このように「ロシアが世界から注目を集める」というのが、1番目のお土産ですね。
―― つまり世界的にロシアが注目を浴びることが「お土産」ということですね。米中の世界観が「米中露」とロシアが割って入って形になったと?
「ロシアが第三次世界大戦を起こすかもしれない」といった形で注目をされたのは、プーチン大統領にとってはとても喜ばしいでしょうね。「ロシアは核保有国の一つ。戦争が起きれば勝者はいない」と発言したのもそうした効果を狙ったものでしょう。
―― 次に2番目の「お土産」とは何でしょうか?
2021年12月にロシアがアメリカとNATOに対して提案をしました。「ロシアのレッドラインを守れ」という提案で、NATO拡大をやめるようにという内容ですが、これまでのところ全く聞き入れられていません。ですが、ロシアがこれまで「話し合いましょう」と提案しても無視されてきた課題について、今回の軍隊集結によって、欧米各国が話し合いのテーブルに乗るようになった。これは「交渉可能な状況」が生まれたということで、ロシア国内ですごくポジティブに受け止められています。
これまで無視してきた相手を、交渉のテーブルに着かせることができたことは、大きいですね。また、米国のトランプ大統領は交渉ができない相手であったけれど、バイデンは交渉ができる相手であると言う認識があったことも、この背景にはあると思います。
―― 3番目の「お土産」は何でしょうか?
「ウクライナがNATOに入るかどうか」というのが今回、争点になっているかのように見えますが、おそらくそれは「見せ球」です。ロシアにとってウクライナがNATOに入るかどうかは、喫緊の話ではありません。NATO加盟にはさまざまな条件があるので、ウクライナが「近い将来にNATO加盟することはないだろう」とバイデン大統領も言っています。だから今すぐロシアにとって解決しなきゃいけない問題ではないんです。
―― では、なぜロシアは「ウクライナのNATO入り断念」を要求しているのでしょう?
ウクライナがNATOに入ることはロシアにとってそれぐらい深刻なことだと世界にアピールするためです。NATO加盟にはさまざまなプロセスが必要ですが、NATO加盟国たちも「ウクライナを入れるとロシアを敵に回すことになる」という印象を間違いなく強くしました。それが3つ目のお土産になりますね。
――なるほど。今回の緊張状態を生み出すことで、NATO加盟国の萎縮効果を生み出すことに成功したということですね。
そうですね。やっぱりNATOは、「ヨーロッパで加盟を望む国は全部入れる」ということが、設立時のモットーになっているので、本来は「どの国を入れない」とは言えないわけですよ。それができないのは、ロシアも分かっているけど、外堀を埋める状況を作れた。そこはロシアのもくろみ通りだったと思います。
―― 4番目のお土産は?
やはりロシアは勢力圏をアピールできたってことですよね。レッドラインを示すときに、「ウクライナを含む旧ソ連地域にNATOが入ってくることは許さん」と言うことで、「ここからここまでがロシアの勢力圏」という認識があると世界にアピールできました。旧ソ連圏はロシアの勢力下にあるべきで、他の国はそこに軍事的な同盟を結んだりできないという考えを世界に知らしめただけでも、大きな効果です。
―― 最後の5番目は何でしょうか?
ウクライナ政治を混乱させられたっていうのはすごく大きいですね。イギリスのトラス外相が「親露的な政権を作るためにロシアがウクライナに工作員を送り込んでいる」と1月に発表しました。ロシアは旧ソ連各国に以前から工作員を送り込んでいて、クリミア併合の際にも活動していますから「今さら」という感じがしました。イギリスも、ロシアに国際的な敵視が集中し、抑止効果が生まれるように、あえてこの時期に言ったのだと思います。
とはいえ、ロシアがウクライナに親露的な政権を樹立させたいのは事実です。親欧米派であるゼレンスキー大統領が倒れると、ロシアにとっては都合がいいわけですが、ウクライナの政治はかなり混乱していると言って良い状況です。ゼレンスキー大統領は「ロシアが武力侵攻する」可能性を否定しようとしましたが、効果はなく、ウクライナ国民の間にも不安感が広がってしまいました。
ウクライナはロシアと欧米の間で中立に立つべきだという中立論者も出てきていて、ウクライナの国内政治にも揺らぎが出ています。このままゼレンスキー大統領が自滅して、ウクライナ国民が自ら親露的な大統領が選んだら、プーチン大統領にとっては大成功ですよね。まだ状況は不透明ですが、彼にとっては好ましい方向に進んでいるように見えます。
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ウクライナ危機、専門家はこう見る。プーチン大統領が得た「5つのお土産」とは?