オリンピックが他のスポーツイベントと異なる点は、「平和の祭典」や「差別禁止」といった理念の追求にあると言われている。
だがそうした理念も、中国の人権状況が問題視されている北京オリンピック・パラリンピックでは、空しく響き渡る。
批判や対応を求める声に対して、国際オリンピック委員会(IOC)が対策を打ち出さないまま、大会が開幕した。
開催地に人権問題の懸念があっても、オリンピックやIOCは立ち入ることができないのか。オリンピックの歴史に詳しい中京大学の來田享子教授に聞いた。
「政治的中立」とは
今大会、アメリカやイギリスが新疆ウイグル自治区の人権状況を理由に外交的ボイコットを決行。日本も外交的ボイコットという名称の使用は避けたが、政府関係者の派遣を見送った。
著名テニス選手の彭帥さんが中国の前副首相から性的関係を持つよう強要されたと告発し、一時行方不明が懸念された問題も、オリンピック開催の是非が問われる事態に発展した。
一連の問題に、IOCは「政治的中立」を理由に深く立ち入るのを避けた。來田教授は「人権問題だからこそ物を言うという態度が、本来IOCがとるべき政治的中立ではないか」と疑問を呈する。
「例えばモスクワオリンピックのケース(編注:ソ連のアフガニスタン侵攻を理由にアメリカなどが選手団を派遣しなかった)は、明らかに(米ソの)政治的対立から生まれたボイコットでした。今回はそうではなく、(開催地・中国の)人権問題に対してアメリカやその他の国が外交的な意思表示をしたという経緯です」
「政治的な動きであることに変わりありませんが、その動きとスポーツとを切り離して、人権問題について言うべきことを言う。それが本来の政治的中立のあり方だと思います」
オリンピック憲章でも、オリンピズムの根本原則として、スポーツ団体の「政治的中立」と並んで「人間の尊厳の保持」「いかなる種類の差別も受けない」などと謳っている。
また東京オリンピックから、片ひざをついて人種差別に抗議するなど、普遍的な価値に関わる参加選手の意見表明も条件付きで容認された。
スポーツと人権の話は、切っても切れない関係になりつつある。
來田教授は「『政治的中立』を理由に何も言わなければ、オリンピックムーブメントが謳う普遍的な価値は誰が守るのでしょうか」と訴える。
「中国の人権問題を追及する手段としての外交的ボイコットは、オリンピックの政治的利用にあたるのでやめるべきです。ただ大前提として、IOCが人権を守るための態度をとらなければいけません」
政治リーダーの参加「そもそも必須じゃない」
アメリカが外交的ボイコットを表明し、イギリスやカナダが追随したことで、各国首脳が大会や開会式に出席するかどうかが注目された。
だが來田教授は「そもそも政治的中立性を謳っていることからすれば、開会式に政治リーダーが参加することは必須ではない」とも指摘する。
各国首脳らのオリンピック式典出席はもはや慣習になっている。このタイミングに首脳同士らの会談が開かれ、オリンピックが「外交の場」としての側面も持つ。
これに対して「(政治リーダーの参加が)本来のオリンピックムーブメントにとって重要であるかのように考えることが妥当かどうか、もう一度立ち戻ってみてもいいのでは」と問いかける。
日本からは、東京オリンピック大会組織委員会の橋本聖子会長、日本オリンピック委員会(JOC)山下泰裕会長、日本パラリンピック委員会(JPC)森和之会長の3人が出席した。
「スポーツ界の代表として、人間の尊厳という普遍的価値についてきちんと表明するのかが問われている。彼らこそ語るべきです」
IOC、人権問題で事後対応してきた
オリンピックは本来、理念を追求するためのムーブメントに重きを置いている。
そのため、來田教授は「IOCは後追いでも何とかしたいと考えているはずです」とみる。
実際、開催国や参加国で起きた人権問題に対して、IOCが過去に具体的なアクションを起こしていた。
例えば南アフリカは、人種隔離(アパルトヘイト)政策を理由に1964年東京オリンピック以降は大会に招待されず、1970年に除名処分となった。オリンピックへの復帰は、政策撤廃を表明した1992年になってからだった。
2014年のソチオリンピックでは、開催地ロシアの同性愛宣言禁止法に批判が噴出。オリンピック憲章の改正で、差別禁止を掲げる根本原則に「性的指向」という具体的な文言が盛り込まれた。
來田教授はこうした例を挙げながら、「IOCは『この問題が重要だ』という声が大きくなってからでなければ動かないという傾向があります」と指摘する。
ソチ大会では、ヨーロッパの首脳らが開会式への出席を見送ったほか、同性愛者の権利擁護団体の呼びかけで、同性同士が手を繋いでアンチテーゼを示す抗議活動が各地で展開された。
「IOCがはっきりと態度を示したのは、大会が終わった後、オリンピック憲章改正の時期でした。おそらく、大会開催時期の会議で議論され、社会に示されるのは後になったという形です」
「人権問題についてコンセンサスを得るのは国連でも難儀する話です。国同士の意思を統一し、示していくのは、スポーツの後押しがあってもなかなか難しいことです」
「人権」の記述、開催都市契約にも
オリンピック憲章だけでなく、IOCが開催都市と結ぶ開催都市契約などにも、人権に関する項目が記されている。2014年ソチ大会直前に同性愛宣伝禁止法が成立した事例を受けて、この北京オリンピックから、開催都市契約にも差別禁止条項が加えられた。
2017年には、開催都市契約に「人権の尊重と保護」という文言を加えることが決定。2024年パリ夏季オリンピック以降の契約から反映されている。
來田教授によると、IOCは開催都市側に対して、持続可能性についての報告を求めているという。
「SDGs(持続可能な開発目標)で人権侵害がないことが掲げられているように、報告書の中に近い項目が入っています。それから、IOCは国際人権NGOと協定書を結び、人権侵害のない世界に貢献するということを強く打ち出しています」
各組織委員会による持続可能性報告書は、サステナビリティの国際基準「GRI」の指標を採用・準拠して、取りまとめられている。
1月に北京オリンピックの組織委が発表した大会前報告書にも、GRIの指標として「人権評価」が盛り込まれ、「大会運営に対する人権のレビューや影響評価」と言及されている。
報告書はまた「(大会に関わる)労働者の権利や関係者の人権を保護する」などと明記。「人種や国籍、宗教、政治的見解、身分やジェンダー、障害を理由とするいかなる差別も禁じる」と記している。
こうしたことを念頭に「人権に対する懸念がある場所で大会を開くことは理念と矛盾します」と來田教授は訴える。
「ならば、懸念がないことを示すよう、スポーツ関係者はIOCに求める必要があります。それが実態の改善に少しでも役に立つなら、中国で開催する意味が出てくるかもしれません。ただ、大会後に開催される他の競技会で選手が危険な目に遭わないかなどを懸念すると、発言が難しくなるのも理解できます」
なぜ再び開催都市に選ばれたのか
2008年の北京オリンピックでも、チベット自治区における人権状況が問題視されていた。あれから14年。いまもなお人権問題を抱える中国が、なぜ開催地に選ばれたのか。
多額の開催費用や経済効果への疑問から、オリンピック招致から撤退する都市が近年相次いでいることも、再び中国が選ばれた一因ともとれる。
この2022年冬季大会の招致では、もともと6都市が立候補に関心を示していたが、開催費用などを理由に次々と撤退し、最終的に残ったのが北京とアルマトイ(カザフスタン)だけだった。
ミラノ・コルティナ開催の次期2026年冬季オリンピックでも、同様に招致撤退が相次ぎ、2都市の一騎打ちだった。
來田教授は「夏に比べて参加国は半分で、しかも維持費や使途を検討すべき施設は残るので、冬のオリンピックを開催する意義は見つかりにくい」と指摘する。
「五輪招致しようという国は減っている。だから中国マネーにIOCの運営がかかっているということが現実的にあるのでしょう」
IOCだけの問題ではない
IOCは、中国の人権状況への対応について「権限の範囲外」「IOCには政治体制を変える力も手段もない」という態度を示している。批判に向き合わず、責任を回避しようとしているようにも映る。
だが、この問題やスポーツにおける人権の尊重は、IOCやオリンピックの機会だけで、解決に向かうものではないのも確かだ。
大会の国際スポンサー企業も、人権団体などから批判や声をあげるよう求められているが、意見表明する様子は見られず、静かな姿勢を保っている。
來田教授は、IOCだけに対応を求めるだけでは問題解決につながらないとも説く。
「IOCに対してオリンピック憲章の理念に則った態度を求めるのは大前提ですが、そのような態度を支援するパートナー企業のビジネスが成立させていくような循環が作れるか。そういう問いかけでもあると思います」
「『IOCが弱腰」『中国に肩入れをしている』という見方だけではなく、世界が人権問題にどう向き合っていくのか。答えを一緒に探し出そうとする視点を持つことが必要です」
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
人権問題に「政治的中立」は通用するのか。IOCの矛盾と“後追い”の歴史【北京オリンピック】