失踪年月日 昭和28(1953)年10月7日
当時の年齢 18
失踪場所 長崎県長崎市
失踪状況
別の勤務先の話があり、履歴書を書いている途中で突然いなくなった。
10月17日に門司から送られてきた手紙は書留で家族から借りていた金を返して「いい仕事があった」「歩いてでも帰ってきます」と書かれていたが、それ以来連絡なし。
平成16年9月24日、長崎県警に告発状を提出。
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室内から拉致られたってことかよ
こんなの国内に協力者居なきゃ絶対無理やろ
国内に潜んでる協力者さっさと見つけ出せや無能警察
失踪年月日 昭和35(1960)年
当時の年齢 29
失踪場所 東京都大田区蒲田本町(姉夫婦の当時の居住地)
失踪状況
長兄に「旅行に行く」と新品の靴を借りに来る。
次兄夫婦には、「結婚したい人がいる」と相談。
また、弟にお金を借りに来る。
その後音信不通。
失踪から数年後、兄夫婦宅(川口市仲町)に年賀状が届く。
字体は達筆(本人の字体に似ていた)。
差出人の名前がなかった。
消印は世田谷だったようである。
昭和51年2月7日、埼玉県川口市で失踪した藤田進さん(次に挙げる新潟の藤田進さんとは別人)のおじにあたる。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
ダイアン津田やん
失踪年月日 昭和35(1960)年2月27日
当時の年齢 21
失踪場所 秋田市内
失踪状況
戸籍上はかをるだが、日常はかほるとしていた。
看護学校の卒業式を10日後に控えていた。
「ちょっと出かけてくる」と寮の同室の友人数人に言って出て行ったきり戻らず。
平成16年9月29日、青森県八戸署に告発状を提出。
使徒やん
カヲルくん!?
これ21前後のときの写真なのか?
失踪年月日 昭和35(1960)年9月21日
当時の年齢 17
失踪場所 東京台東区
失踪状況
東京都台東区上野の勤務先(製パン業者)の宿舎から失踪。
不確定ではあるが複数の目撃証言がある。
バレーボール部に所属。
失踪年月日 昭和37(1962)年4月
当時の年齢 17
失踪場所 千葉県海上郡海上町
失踪状況
午後、自宅からパーマに出かけてそのまま行方不明。
所持金はパーマ代のみ。
翌日に新宿コマ劇場へ観劇に行く約束を叔母としていた。
脱北者が北朝鮮から持ちだしたとされる写真(写真1)が、鑑定の結果、加瀬テル子さんである可能性が極めて高いことが判明。
また同じ脱北者が「同一の人物」とするもう一枚の写真(写真2)も、加瀬テル子さんである可能性がある。
平成16年12月17日、千葉県警に告発状提出。
失踪年月日 昭和40(1965)年3月26日
当時の年齢 17
失踪場所 新潟県西頸城郡青海町内、自宅から15分、海岸から5分位の映画館
失踪状況
自宅から徒歩15分ほどの映画館で開かれる演奏会に、一人で歩いて出かけた。
猛吹雪だった。
学生服の上にブルーのアノラックを着ていた。
高校は休学中で登校拒否のようだった。
失踪年月日 昭和40(1965)年6月9日
当時の年齢 22
失踪場所 東京都北区
失踪状況
自宅から20分くらいの編物教室に行くと言って普段と同じように家を出て失踪。
東十条と千葉にお店があったので二軒のお店を行ったり来たりして手伝っていた。
平成16年9月28日、警視庁に告発状提出。
失踪年月日 昭和41(1966)年9月29日
当時の年齢 21
失踪場所 東京都台東区上野駅
失踪状況
勤務していた東京都新宿区の印刷会社を9月25日退職し、29日に大阪に向かったまま失踪。
実家には『大阪で新しい職場が決まった』と手紙を出しているが、実際に大阪で就職したことは現時点で確認されていない。
平成18年11月6日、警視庁に告発状を提出。
当時の年齢 16
紙谷 礼人
当時の年齢 19
紙谷 慶五郎
当時の年齢 55
紙谷 圭剛
当時の年齢 26
失踪年月日 昭和42(1967)年11月7日
失踪場所 北海道雄武町元稲府(おうむちょう もといねっぷ)北岸港から7キロ付近
失踪状況
父親の所有する漁船「圭運丸」(6トン)に息子の3人がともに乗船し、当日午前6時頃に北海道雄武町元稲府北岸港を出港し、港から7キロ付近にてイカ底建て網漁を操業。
帰港する他の僚船とすれ違って漁場に出て遭難。
遭難当時はベタなぎだったが、潮の流れが速く、他の僚船は操業を中止していた。
そのため、遭難現場を目撃した人物はおらず、付近に他の船が存在したかどうかも確認されていない。
船体は、遭難付近の海底にて発見されたものの、引き上げ作業に失敗した。
船の油や残留品などが海面で発見された後に、雄武町付近の海岸でも発見された。
乗組員4人の遺体は発見されないまま、捜査は打ち切られた。
これいつも思うけど失踪じゃないよな
なんで取り下げないんやろ
失踪年月日 昭和43(1968)年1月中旬
当時の年齢 19
失踪場所 富山県下新川郡入善町の母の実家を出てから
失踪状況
失踪当日、働いていた美容院から休みをもらい、母の実家である入善町新屋の叔母の家に行き、双子の赤ちゃんの帽子と靴下を編んでいた。
それができ上がって夕方6時半頃、新屋のバス停に向かった。
大雪で叔母が家からバス停へ向かう姿を見送ったのが最後。
その後一切連絡なし。
お金や荷物は持たず、運転免許証も置いたまま。
昭和40年ごろ、いとこの嫁に編み物を習っていた若い女の子がトラックに引き上げられそうになったことがあった。
平成16年9月30日、富山県警に告発状提出。
失踪年月日 昭和43(1968)年2月9日
当時の年齢 18
失踪場所 富山県新川郡朝日町宮崎海岸
失踪状況
学期末試験最終日の昼頃帰宅し、「バットの素振りをしてくる」と言って自宅から歩いて5分の海岸に出かけたまま行方不明。
高校卒業後、家業の関連の海産物会社に就職も決まっていた。
夕方5時を過ぎても戻らないので父と姉が海岸に行ってみると、波打ち際にバットがころがっていた。
その日は海はベタ凪。
水島さんは遠泳の名手で、溺れた可能性はない。
平成16年1月29日、富山県警に告発状提出。
失踪年月日 昭和43(1968)年12月1日
当時の年齢 18
失踪場所 北海道稚内市内
失踪状況
当日夜7時頃、4キロくらい離れた友人宅を訪ねたが友人は不在だったので、「また来る」とその家族に告げて浜の方へ下りていったまま消息不明。
翌年4月から大阪の会社に就職が決まっていた。
平成16年1月29日、北海道県警に告発状提出。
失踪年月日 昭和43(1968)年12月12日
当時の年齢 17
失踪場所 北海道網走市内の自宅から
失踪状況
失踪する数日前から、家には「学校へ行く」と言って出かけていたが、家族が仕事に出かけたあとで家に戻り、自分の部屋に閉じこもっていた(知人の証言)。
失踪した日の午前7時30分頃、「学校で試験があるのでいつもより早く学校へ行く」といってみかんを半分だけ食べて自宅を出たまま行方不明。
失踪時の服装は高校の制服。
普段かけていた眼鏡は部屋に置かれたままで、日記も2冊あった(日記は警察に提出し、その後処分された)衣服などは持ち出した形跡はなかったが、アルバム(写真)がなくなっていた。
高校生だったのでお金もそんなにもっていない。
家のお金にも手をつけていない。
失踪後、数日してから無言電話が3~4回かかってきた。
家族が出ると一方的に切れるものだった。
同様の無言電話が複数の親戚のところにもあった。
脱北者がもたらした写真が、国井えり子さんである可能性がある。
平成17年9月30日、北海道警に告発状を提出。
失踪年月日 昭和44(1969)年3月2日
当時の年齢 18
失踪場所 青森県弘前市内
失踪状況
3月4日の卒業式で答辞を読むことになっていたので、「制服のボタンを買いに行く」と自宅を出たまま行方不明に。
東京の営団地下鉄に就職が決まっていた。
平成16年1月29日、青森県弘前署に告発状提出。
イケメンやなー
失踪年月日 昭和44(1969)年7月27日
当時の年齢 16
失踪場所 静岡県沼津市大瀬崎海岸
失踪状況
当時東京都江戸川区在住。
友達4~5人と沼津市の大瀬崎海岸へバイクで海水浴へ行く。
夜中にトイレに行くと外へ出たまま戻らず。
枕元に腕時計、財布、免許証など残したまま。
平成16年1月29日、警視庁に告発状提出。
失踪年月日 昭和45(1970)年2月10日
当時の年齢 21
失踪場所 石川県金沢市
失踪状況
北陸方面を旅行。
8日に能登を回って西宮市の母の実家に立ちより、徳島に帰る予定で、金沢市のユースホステルを出発し、輪島市で宿泊。
9日「能登を回ってバスが遅れ、大阪行きの汽車に遅れた」と同じ金沢市のユースホステルに再度宿泊。
10日朝出発し、以後消息不明。
「雪が降っていたので兼六園の雪景色を見てくると言って10センチ位積もった雪の上を堤防の方に向かって歩いて行った」という証言と「東尋坊・永平寺に回ると言って宿を出る」という証言がある。
2月10日は夕方のフェリーで西宮市の母の実家から祖父母を徳島に連れて帰り、翌日行われる法要に出席する約束をしていた。
事前に東京の下宿から西宮の母の実家に法要出席のための背広を送ってあった。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
失踪年月日 昭和45(1970)年8月8日
当時の年齢 22
失踪場所 福岡県北九州市八幡区自宅近くの電停
失踪状況
妹と一緒に家を出て徒歩10分くらい離れた旧西鉄路面電車の大倉電停で別れたのが最後。
その後消息不明。
いつも通りの服装だった。
小倉にある会社へ向かったと思われる。
週末に編み物の先生とお茶会に行くので着物を出しておいてという話をしていた。
元北朝鮮工作員安明進氏が、「’89~’90年、金正日政治軍事大学で横田めぐみさんらと一緒にいた女性に似ている」と証言。
平成16年1月29日、八幡東署に告発状提出。
当時の年齢 53
園田 トシ子
当時の年齢 42
失踪年月日 昭和46(1971)年12月30日
失踪場所 鹿児島県曽於郡大崎町の自宅から宮崎空港へ向かう途中
失踪状況
妻(トシ子さん)とともに車で正月に帰省する次女を迎えに宮崎空港へ行く途中、ガソリンスタンドに寄った後、消息を絶つ。
都城市へ寄ってから国道269号線を走って行くと言っていた。
失踪後、警察や近所総出で大規模な捜索を行ったが、車の破片さえ発見できなかった。
平成16年9月28日、鹿児島県警に告発状提出。
失踪年月日 昭和47(1972)年11月1日
当時の年齢 31
失踪場所 東京都渋谷区
失踪状況
当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。
朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていた。
衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。
孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。
その夜何の連絡もなく帰宅せず。
翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。
平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。
翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。
同年11月初旬、実家に男性の低い声で「前上昌輝の家の者か」と電話がある。
電話に出た母親が「昌輝のことを知っているお方ですか」と数回叫んだが、それには答えず「また電話する」と言って電話を切った。
以来手がかりは全くない。
28日夕方、自宅に電話があり、「俊之つかまっているよ」との内容。
幼い女の子のようなたどたどしい言葉だった。
その10分後にも無言電話があった。
怖すぎて草
失踪年月日 昭和48(1973)年7月
当時の年齢 21
失踪場所 石川県羽咋市柴垣の海水浴場に滞在したことまでわかっている
失踪状況
交際中の男性とともに失踪。
3月末に家出してアパートに住む。
そのアパートを両親が訪ねた1週間後引き払う。
当初は墨田区押上に在住。
その後友人にアルバムなどが送られてきて、男性とともに福岡、東萩、津和野、札幌、女満別、知床、摩周湖、釧路、小樽、舞鶴、大阪と旅行した形跡を残す。
アルバムには写真ばかりではなく航空券、宿の領収証などが細かに張り付けてあり、途中で宿泊人数が4人になっている。
男性とは同じ職場で、同じ日に退社。
失踪年月日 昭和48(1973)年7月7日
当時の年齢 18
失踪場所 千葉県
失踪状況
午前中に美容院へ行き、午後から母親と浴衣を買いに行く予定をしていた。
朝早く家を出て、美容院に「今日の美容院はキャンセルしたい。
出かけるところができた。
母親にも浴衣を買いに行けなくなったと伝えて下さい」と言った。
母親は美容院からの電話で、友達にでも会うことになったのだろうと気にしなかったが、それから何の音沙汰もなくなった。
7月に初めて貰ったボーナスは手付かず、預金通帳も置いたまま。
持って出たのは財布とハンカチくらいしか入らない、いつも持っている小さなバッグ1つだけだった。
その後、家にも勤め先にも全く連絡なし。
中学や高校の友人も心あたりはなかった。
元北朝鮮工作員安明進氏が、「’91年に平壌市内の病院にいた女性と似ている」と証言している。
平成16年1月29日、千葉県警に告発状提出。
平成17年4月13日政府に対し拉致認定を求め東京地裁に提訴。
失踪年月日 昭和48(1973)年12月
当時の年齢 32
失踪場所 東京都目黒区
失踪状況
出身の北海道で在日朝鮮人工作員高大基と出会い、工作員であることを知らずに結婚して2人の子供(敬美・剛)をもうけた。
埼玉県に居住していた昭和48(1973)年6月頃、高が突然失踪したため、その行方を追って高の勤務先であった東京都品川区にある「ユニバース・トレーディング社」を訪れた。
同社は北朝鮮工作機関の偽装会社であり、それが発覚するのを恐れて親子3人を監禁。
姉弟は翌49(1974)年6月に小浜市の岡津海岸から北朝鮮に送られた。
秀子さんについては殺害説もあるが真相は分かっていない。
平成19年4月12日、警察は敬美さん・剛さん姉弟を拉致と断定し、高姉弟拉致の主犯である工作員・洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子について、逮捕状の発付を得て国際手配を行っているが、渡辺秀子さんについては何の措置も行われていない。
当時の年齢 18
三浦 和彦
当時の年齢 21
失踪年月日 昭和49(1974)年1月12日
失踪場所 福岡県糸島郡志摩町芥屋海岸と推定
失踪状況
三浦和彦さんとともに失踪。
1月12日会社にいつもどおり出勤。
12日から帰宅せず。
15日、福岡県糸島郡志摩町芥屋大門近くの海岸に車が放置されているのが見つかる。
車内に三浦さんの免許証、コートが置かれたまま。
両人の靴が片方ずつ落ちていた。
当時の年齢 27
失踪年月日 昭和49(1974)年2月24日
失踪場所 新潟県佐渡郡新穂村
失踪状況
自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。
当時事務所には50~60人が勤務、うち15~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。
失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我さんと違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。
事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。
元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。
船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。
北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。
平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。
失踪年月日 昭和49(1974)年6月14日
当時の年齢 41
失踪場所 兵庫県尼崎市内
失踪状況
当日午前9時頃、通常と同じように妻の作った弁当を持って近くの銀行に歩いていくのを見送ったのが最後。
支払いのため銀行で下ろした50万円を、自宅から歩いて10分の事務所に置いたまま、電気もつけたまま失踪。
なくなったものはなく、朝出勤したまま。
失踪後2-3カ月して乗っていた軽トラックが尼崎市内で発見された。
経営は普通で借り入れはあったが、その時点で8件現場をかかえ、新しい仕事のため建機も2台購入したところだった。
失踪後何度か無言電話があった。
平成16年9月28日、兵庫県警に告発状提出。
当時の年齢 17
峰島 英雄
当時の年齢 21
関谷 俊子
当時の年齢 17
失踪年月日 昭和49(1974)年07月11日
失踪場所 千葉市内
失踪状況
遠山常子さんと、幼馴染の友人女性である関谷俊子さん、ならびに関谷俊子さんの親戚である峰島英雄さんの3人は、峰島英雄さんの兄妹が勤務する千葉市内の飲食店で食事をした。
峰島英雄さんが、「二人を家まで送ってくる。
戻ってくるから、食事を用意しておいてくれ」と兄妹に言い残し、車で飲食店を出たまま三人とも失踪。
峰島英雄さんの車(赤いマークⅡ)も未発見。
失踪の当日は、関谷俊子さんの引越しの日だった。
引越しが終わったあとに、三人で飲食店に食事に来た模様。
失踪以降、何ら手がかりとなるものは無かった。
失踪年月日 昭和49(1974)年8月17日
当時の年齢 28
失踪場所 福井県小浜市一番町
失踪状況
8月16日会社近くで夕涼みを兼ねて夜釣りに行くと出かけたまま失踪。
本人の作業靴が発見されている。
失踪2か月前に小浜市の岡津(おこづ)海岸から高敬美・剛姉弟が連れ出されたとされる。
後述の山下貢さん、宮内和也さん、林雅俊さんも近隣地域からの失踪だが、この地域は過去も現在も頻繁に工作員の出入りが行われている地域である。
失踪年月日 昭和50(1975)年4月4日
当時の年齢 35
失踪場所 兵庫県高砂市
失踪状況
夜勤で自宅から会社へ自転車で向かう途中失踪。
お金も持たず仕事着のまま。
失踪後無言電話や不審な電話があり不審な葉書が届く。
元工作員金東赫氏が昭和50年8月に平壌サーカス劇場で目撃したとの証言をしている。
失踪年月日 昭和51(1976)年2月7日
当時の年齢 19
失踪状況
失踪当日6:30~7:00頃以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ちだした写真が、鑑定の結果、藤田進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。
藤田進2人目やんけ
失踪年月日 昭和51(1976)年8月2日
当時の年齢 24
失踪場所 山口県宇部市笹山
失踪状況
午後8時半頃、母親にたばこを買いに行くのを頼まれ、自宅から数十メートル先のたばこ屋に、300円のみを持ってサンダル履きで家を出たまま消息不明。
新しい病院に勤務し始めたばかり。
平成16年1月29日、山口県宇部警察署に告発状提出。
失踪年月日 昭和52(1977)年3月
当時の年齢 23
失踪場所 不詳
失踪状況
3月に「沖縄に行く」と書いた手紙が妹にあり、4枚写真が同封。
3カ月前に実家で会ったときとは別人の様相。
「2カ月で帰る」とあったがその後連絡なし。
預金通帳、印鑑も一緒に妹に送付。
昭和53年2月までは実家に電話、手紙あり。
同年1月頃、家族に電話で中華風の料理をしてみたいと言っていた。
失踪後、半年か1年後、女性の声で「範行さんいませんか」と電話が2回あった。
平成17年1月31日、山形県警に告発状提出。
スパイ育成と背乗り
日本語の教師にする
日本語を習得したスパイは日本へ…
どうやって日本に来るんや?
韓国人とか中国人とかになってやって来てたらしい
船で日本海まで来るんや
金沢おるけど、日本海は真っ暗で人気もないから船で来るにはちょうどいい
船で密入国や
ちな北海道では北朝鮮のものと推定される無人の木造船の漂着が100隻以上あって前年の10倍にも増えたのに
何故かローカルでしか報道されなかったんよなぁ…
失踪年月日 昭和52(1977)年5月21日
当時の年齢 29
失踪場所 埼玉県川口市
失踪状況
「買い物に行く。
午後6時か7時には帰る」と川口市の自宅を出たまま失踪。
家を出たときは財布しか持っていない。
免許証、クレジットカードが入っていたが、更新がされていないし、カードは使っていない。
平成16年1月29日、埼玉県警に告発状提出。
つい昨日まで日常生活を送ってたのに次の日から北朝鮮とか地獄やで
引用元: https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1602313296/
オリジナルサイトで読む : GAMAG
【恐怖】拉致が濃厚な特定失踪者一覧がガチで怖すぎて笑えない件