坂本龍馬は教科書に必要か 大政奉還や薩長同盟、史実は
高校の歴史教科書から「坂本龍馬」が消えるかもしれない――。昨年11月に歴史教育の専門家らが示した用語の精選案について、「声」欄に賛否の意見が多数寄せられました。史料を基に龍馬や吉田松陰らの実像に迫った「司馬遼太郎が描かなかった幕末」の著者、一坂太郎・萩博物館特別学芸員はこれをどう見るか、話を伺いました。
――龍馬は教科書に必要だ、という意見が多かったです。
今の教科書で龍馬がどう書かれているかというと、徳川慶喜が朝廷に政権を返還する「大政奉還」のところで出てきます。龍馬と土佐藩重役の後藤象二郎が、藩主を通して将軍慶喜に大政奉還を勧めたと。しかし、ここに龍馬を入れるのは正しくない。龍馬が大政奉還を唱えたという根拠になっていた文書「船中八策」は、後世に創作されたとの説が有力です。龍馬が提唱したことを示す証拠は出ていません。龍馬は大政奉還が実現した後、新政府綱領八策という文書を書いていますが、当時の知識人たちが他に何人も言っている内容で、これも新政府に影響を及ぼしたという証言が見つかっていません。
――薩長同盟はどうですか。薩摩藩と長州藩が軍事同盟を結ぶ際に「龍馬らが仲介した」と教科書に出てきます。
薩長の間で何らかの周旋をしたという史実はある。例えば、薩摩藩から頼まれて「幕府が2回目の長州征伐の命令を出しても薩摩は動かない」という文書を長州藩に届けている。しかし、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に出てくる、彼の一喝で両者がいきなり手を結んだとか、そういう分かりやすいものではありません。
――長州が薩摩名義で武器を購入した史実は? 「竜馬がゆく」では龍馬が発案、仲介して両者の軍事同盟のきっかけをつくったと。
発案は違います。長州の木戸孝允の回想録に「薩摩の名義で武器を買わせてくれと龍馬に言った」とある。木戸がお願いしますねと言ったと。龍馬はわかったと引き受けたが、何の返事もないので木戸がいらいらして、見切り発車みたいな形で伊藤俊輔(博文)と井上聞多(馨)を長崎に送り込む。ここは史料で確認できる。伊藤、井上の木戸への報告の中にも、薩摩が合意したとはあるが、龍馬は出てきません。
――龍馬が仲介しているなら、名前が出てきてもよさそうですね。
そうです。薩摩の要人が「ああ龍馬から聞いている」というような話にならないとおかしいのに、初めて聞くような言いぶりなのです。龍馬が仲介していたという史料は出てこない。
先ほどの、薩摩の西郷隆盛と長州の木戸がそっぽを向いていたのを龍馬が飛び込んできて手を結ばせたという話は、「維新土佐勤王史」という大正元年に出た本に出てきます。物語半分、史料半分みたいな本ですが、明治政府で窓際に置かれていた土佐閥が、維新の時に俺たちはこんなに頑張ったのに、ないがしろにするのは何事かとアピールするために書いた側面が強い。その意味でこのエピソードは都合がいいのですが、史料を読む限り、物語のような展開で歴史が動いたとは考えがたい。維新直後に出版された志士100人列伝のような本に、龍馬は出てこない。当時は幕末の志士として誰も龍馬を思い出さなかったのです。
――龍馬の功績は、判然としていないと。
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