長かったロックダウンが明け、1年ぶりに大英博物館(イギリス・ロンドン)を訪れた。
まず足を向けたのは「啓蒙思想ギャラリー」である。大英博物館設立の文化的背景が紹介される、ミュージアム好きにはたまらない重厚な空間だ。マホガニーの木でできた古めかしい展示ケース、革張りの書物が並ぶ本棚、好奇心を掻き立てる数々のモノたち。この展示室は、ビクトリア時代の大英博物館の様子を再現している。
部屋全体をぐるっと見渡し、以前と変わらぬ様子にほっとした瞬間…ない! ここにあるはずの、あの大事な彫刻、ハンス・スローン卿のテラコッタ胸像ないのだ。
ハンス・スローン卿(1660−1753)とは大英博物館設立の父ともいわれる人物だ。医者であり、博物学者であり、そしてコレクターとして名声を博した人物でもある。
18世紀のヨーロッパでは、王侯貴族や裕福な学者たちの間でコレクションを持つことが大変流行した。特定のモノではなく、ありとあらゆるモノ。例えば、サンゴや剥製のワニ、ペルシアの指輪や中国の仏像、古代のコインなど。そういう古今東西の珍しいモノを所有していることは、所有者の博識や経済力を示唆した。
スローンもイギリスの植民地だったジャマイカに赴任した1年余の間に、ヨーロッパ人が目にしたこともないような自然史資料や文化資料を熱心に集めた。帰国後も彼のコレクションは増え続け、仲間内でも噂になった。
やがてスローンは死が近づくと、7万2000点におよぶ自分のコレクションを、ミュージアムを設立するという条件付きで、国に寄贈することを申し出たのだ。その遺志が引き金となり、スローン没年の1753年に大英博物館が設立されたのである。
その後、同じような寄贈が続き、コレクションは増え続け、大英博物館は世界有数のミュージアムになった。そうした経緯から、ロックダウン以前、このスローンの胸像は、来館者を迎えるかのように展示室の目立つ定位置にデンと鎮座していた。だが、それがないのである。
部屋をひと回りして分かった。スローン像は消えたわけではなく、展示場所が変わっていたのだ。しかし、それはただの移動ではなかった。なぜなら、「帝国と収集:ハンス・スローン、帝国そして奴隷制」というタイトルの展示ケースに収まっていたのだ。つまり、「創始者」としてではなく、「奴隷制に関与した人物」として紹介されていたのだ。
同ケースには他に、スローンが出版したジャマイカの植物図鑑、何百人という奴隷が数珠つなぎに横たえられた船の様子を伝える資料、奴隷解放運動の勝利を祝う壺などが展示されている。スローン像の横には、「(彼の)コレクションが大英博物館設立の基礎となった」という記述の後に、「奴隷オーナー」という文言が入っていた。コレクション購入の財源はかなりの割合で奴隷貿易から得ていたという解説もある。
これは、大英博物館創設の土台となったコレクションが奴隷貿易によって築かれたことを意味している。
この事実はこれまで隠されていたわけではない。単に語られなかっただけなのだ。
大英博物館の生みの親である誇り高き人物を、展示室中央の立派な台座に載せ、「大英博物館の創始者」と銘打ってきたものの、ダークな側面についてはいっさい口をつぐんできたのだ。大英博物館だけではない。イギリス社会全体が自らの負の歴史に長いこと蓋をしてきたのである。
今回の展示替えの背景には、2020年5月のジョージ・フロイド事件に端を発した「Black Lives Matter」(BLM)がある。
また、その後に欧米各地で奴隷制に関与した“いわゆる”偉人像たちが次々に倒された出来事の延長上にもある。
アメリカ各地でクリストファー・コロンブスの銅像が、イングランド西岸の港町ブリストルでは奴隷貿易商人でもあった地元名士エドワード・コルストンの銅像が倒されたことは、世界的なニュースになった。
その動きが公園や広場など戸外のパブリックスペースだけではなく、博物館・美術館にも広がったのだ。そこには、テート美術館グループやロンドン博物館、国立肖像画美術館なども含まれる。
かつての貴族の邸宅やガーデンを保存・管理・運営するナショナル・トラストでも、同じような動きが進んでいる。そのような豪奢な建造物のもとのオーナーたちは、奴隷制や植民地主義によって財をなした人が少なくないからだ。
奴隷制・植民地主義の過去や黒人差別問題について、欧米のミュージアムが展示を見直すのは、いまに始まったことではない。2007年には、英国における奴隷貿易法廃止200周年を記念して、奴隷制をテーマにした特別展示が大英博物館やヴィクトリア&アルバート美術館などで相次ぎ、常設展示も見直された。
国立肖像画美術館でメアリ・シーコール(ジャマイカ出身の医師従事者で、クリミア戦争で献身的な看護活動をした)の肖像画が展示されるようになった事も、ひとつの例だ。
だが、今回の大英博物館の取り組みは以前とは決定的に違う。かつての黒人文化・非西洋文化に関する展示の修正は、収蔵庫の奥で眠っていた黒人文化に関する作品をひっぱりだしてきて展示するといった、あくまで表層的な実践だった。
しかし今回は、ミュージアムの根幹である「収集」の背後には、帝国主義や植民地主義が横たわっている事実を、自らが展示の中で語り始めたのだ。それは、古傷に触るような、自省的取り組みに違いない。
現・大英博物館館長のハルトヴィヒ・フィッシャー氏はデイリー・テレグラフ紙のインタビューで「立ち向かわなくてはいけない課題があります。(中略)わたしたちは自らの過去を理解する必要があるんです」と語ったが、「わたしたち」が大英博物館を含めた欧米のミュージアム全体を指すのは明らかだろう。
こうした一連の動きは、イギリス社会で物議を醸した。
「大英博物館ともあろう文化施設が、BLMの動きに過敏すぎる」「スローン卿のおかげで文化的恩恵を授かっているのは間違いない」など、様々な声が上がった。
一方で、「今回の対応は生ぬるいのではないか」という声もある。大英博物館には植民地からの文化略奪の経緯があるのに、その返還問題となると耳をふさいでいるではないか、いう指摘もある。
ミュージアムは政治的なパワーをもつ。同時に、決して中立ではありえない。
ミュージアムが「何を」保護し、「何を」展示するのか。世界に数多あるものの中から特定のものを選ぶ行為そのものが、特定の目によるものであるからだ。
今回のようなディベートは、ミュージアムの長い歴史において絶えることはなかった。議論がおこることが、おそらく健全なのだろう。ミュージアムは社会とともに変わってきたし、これからもフレキシブルに変わるべきなのだ。
今回のスローン像の展示の見直しは、最初のステップにすぎない。最終的には大英博物館全体の展示を変えていくという。2020年、ロックダウンのタイミングで大英博物館は歴史と向き合う取り組みを始めた。きっと、また大きなディベートが起こるに違いない。文化遺産の真の所有者であり、受益者である私たちが、しっかりと見守っていかなくてはなるまい。
吉荒夕記(よしあら・ゆうき)
ロンドン大学SOAS美学部にて博士号取得、在学中に大英博物館アジア部門にてアシスタントキュレーターを務める。2012年、ロンドンを拠点にアートローグを設立。2019年9月には著書『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』(美術出版社)を出版した。
(文:吉荒夕記 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)
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大英博物館からあるモノが消えた? BLMがミュージアムに与えた影響