10月31日投開票の衆院選を前に、国会議員としての活動に一つのピリオドを打った山尾志桜里さん。議員バッジを外す6日前、渾身の法案3本をツイッターで公開し、こうメッセージを残した。
叩き台に置きますので、政党・団体・個人問わず皆でブラッシュアップしながら、実現に向かうと嬉しい。
「卒業」した山尾志桜里は、どこへ向かうのかーー?
「永田町はドーナツ化している」と危機感を訴える山尾さんに、日本の政治の課題を聞いた。
<目次>
・ 山尾志桜里が10年の議員人生で感じた「限界」
・「選挙」と「密室政治」という2つの天井
・中で「時」を待つか、外で「時」を作るかーー。
・本当に欲しかった「仲間」とは
・「ドーナツ化」する永田町。穴をどう埋めるか?
・「民主主義の学校」は学校でいい
・3本の法案の置き土産。その意図は?
10年の議員人生で感じた「限界」
ーー改めて、なぜ国会議員を辞めたんですか?
タイミングとエビデンスを両手に、当事者の声を国会で質問を通じてぶつけていく。問題を可視化して、世論を動かし、政治を動かすーー。
私が議員としてやってきたことって、本当は議員でなくてもできることなんですよ。
待機児童問題も、酒の提供停止に応じない飲食店を従わせようと国が金融機関に圧力をかけた問題も、そう。
野党議員だったので、政府与党のパイプを通じて政策実現したり、数の力で成立させていったりという経験もほぼないですしね。必要なデータはほぼすべてオープンソース。
必ずしも国会議員である必要はないし、むしろ議員じゃない方ができることもあると思う。私自身がずっと言ってきた「政策形成を永田町から解放する」という、そのプロセスに自分自身で永田町の外から取り組みたいですね。
ーーつまり、国会議員に限界を感じたということですか?それとも「外」の可能性に魅力を感じた?
私が感じたのは、自分の成長の限界。そして、この仕事を通じた社会貢献の限界です。
もしまた選挙に出て当選させてもらえたとして、これまでと同じやり方はできるかもしれないけれど、それ以上の自分の成長が見込めないと思ったんです。
これ以上議員を漫然と続けても、今以上の社会貢献は多分できない…。
「選挙至上主義」と「密室政治」。国会議員の成長を阻む2つの天井
ーー何がその「限界」を生み出してるんでしょう?
10年議員をやってきて、国会側のシステムにも問題があると感じています。
「選挙至上主義」と「国対(国会対策委員会)の密室政治」。この2つが、国会議員が本来の役割を果たしていくうえでのハードルになっている。
たとえば、今年の夏の閉会中も、地方の選挙や自分の衆院選準備で多くの議員が自分の仕事になかなか取り組めない。そういう状況が、客観的に見ていてやっぱりあるんですよね。
その背景には、国対の密室政治があると思っています。
例えば、コロナ対策の特措法なんかは、本来であればもっと公開の場を通じて問題を指摘し合って、世論と一緒により良い法案を作っていけたら良かった。
みんなが初めて直面する新型コロナのパンデミックというものに対して、もっといい「解」を私たちは作れたはずなのに、それができなかった。あっという間に、与野党の国対委員長間で中身も期限も決まってしまった。
大事なことの多くが国対という密室で決まってしまうと、議論をして合意形成していく場が実質的に議員たちから奪われてしまい、実際の国会質疑ではハイライトはいわゆるスキャンダルの追及に焦点があたりがち。
本当なら議員の任期中の仕事って、選挙の時の大事な通信簿なんです。だけど、実際には投票時の有権者の物差しに、政治家本来の仕事が入ってこない。有権者に議員の仕事が見えないことが、ドブ板型の選挙至上主義に陥ってしまう大きな原因だと思います。
中で「時」を待つか、外で「時」を作るか。
ーーそれは永田町の外に出たら変わりますか?
中で世代交代が自然に行われていって、時が満ちるのを待つという選択もあるかもしれないけれど、その間、私は多分成長できない。待てないですよ。
だったら、いったん外に出て、外から(政治や選挙を変えようという)ムードを作っていくことに参画した方が、自分ができることが増えるのかもしれない。その方が楽しいですしね。
「政治家として一生骨を埋める」というのが当たり前みたいな雰囲気は、やっぱり変えたいです。
むしろ、期間限定だからこそ、選挙を気にせず本当にやりたいことに打ち込めるんじゃないかな。政治家じゃなくなっても生きていける人こそが、政治家を期間限定でやる方がいい。
「選挙の呪縛」から解けた仲間が欲しかった
ーー志を同じくする仲間と一緒に、中から変えることはできせんでしたか?
問題意識を共通にしている議員は、国民民主党の中にも、立憲民主党の中にも、場合によっては自民党の中にもいます。特に「次の選挙は出ません」と宣言した後、いろんな人から声をかけられて、やっぱりみんな同じように思ってたんだなぁというのは感じました。
ただ、だからこそ、そうであるならば、次の自分の選挙の当落を気にせずにその価値観を全うしてくれる仲間が欲しかった。
行動に移せなければ、力にはならない。モノを言わなければ変わらないんです。勇気がないわけじゃない、思いが弱いわけでもないけれど、どこかで「次の選挙」を考えてしまう。「次も当選」という呪縛からフリーな仲間が欲しかったです。
私自身は、永田町の世代交代のためには、現職も含めた予備選の導入と任期制限あるいはその選挙区の流動化、この2点がマストだと思います。まずは自分が実践してみようかなっていう感じですね。
「ドーナツ化」する永田町。穴をどう埋めるか?
ーー「期間限定政治家」という働き方、素敵ですね。永田町の外に飛び出しても、やることや意識はこれまでと同じですか?
今までやってきたことを永田町の外に持っていくイメージなので、そうですね。
国会議員だけじゃなく、政治部を中心としたメディア、そして役所。永田町を形成する3つのプレイヤーを見ると、だんだん意志のある若い人が「外」に抜けていっている気がします。
そして、抜けた人たちで永田町の外側が次第に分厚くなって、新しい動き、新しい時代を作り始めていると思うんです。ハフポスト日本版というメディアもその一つの動きだと思ってますが、私もそういう動きと同期していきたいという気持ちはあります。だから、「引退」という言葉は、すごく違和感がありますね。引いて退くのではなく、押して進める感覚です。
「次の選挙は出ません」と言った後、「じゃあ、一緒にやろう」と声をかけてくれる方がたくさんいたんです。
永田町がドーナツの「穴」になりつつあって、魅力的な人間や魅力的な動きがむしろ外側のドーナツ部分にあるならば、いっそ外側を分厚く活性化していって中がどんどん空洞化していけば変わるんじゃないかな。「よし、1回『穴』に飛び込んでみよう」っていう人材や動きを外から作っていくことが、急がば回れで日本の政治を変えることになるかもしれない。
「期間限定政治家」という働き方、カルチャーが広がっていれば、より魅力的な人が永田町の穴に飛び込みやすくなると思うんです。
「政治参加に多様なルートを」
ーー選挙のたびに投票率が低いことが話題になります。
政治って政治家だけがやるものじゃない。むしろ、政治家じゃない人がどれだけ多様なルートで政治に関わっているのか、ということが、社会の成熟度の表れだと思うので、やっぱりみなさんに政治に関わってほしいという思いはすごくありますね。
同時に、政治に関わるルートを増やして、多義的にしてくということがすごく大事。日本では、まず立候補、そして投票、そしてデモ。政治参加のメニューがまだまだ少ないですよね。
ただ、「保育園落ちた」の時の署名キャンペーン以降、少しずつ政治参加のルートは着実に増えてきている。そういう声の集合体がやっぱり社会を変えられるんだっていう、それを作って見せてくれたのが、あの時の当事者の方々だったと思います。
その流れをもっと大きく大きく広げていって、暮らしの中で当たり前に政治参加ができるような、そういう社会にしていきたいなと、すごく思います。
「民主主義の学校」は学校がいい
ーー政治離れの背景には、若者の自己効力感の低さや政治への諦めもありますよね。変えるために、何が必要ですか?
学校とスポーツ界がある種の「聖域」になってしまっていて、民主主義とか情報公開とか人権保障とかがなくなってしまっているのが、日本の問題点かなと思っています。
森喜朗さんの「わきまえる」発言って、もちろん女性差別そのものの発言なんですけれど、根本的には民主主義の話だと思うんですよ。
「限られたメンバーの間の根回しで既に決まっていることを、公開の会議の場で覆すな」っていうことですよね。
学校もスポーツ界も、特別な力関係の中にあって、その枠組みの中では、情報公開や議論の民主制、ジェンダー平等といったものが枠の外に置かれてきた。
「民主主義の学校」は地方自治と言われていますけど、むしろ、学校そのものも「民主主義の学校」であるべきです。
例えば、下着の色や髪型の校則に象徴されますけど、子供たちは当然に学校内でも学校外と同様の人権保障を受ける必要がある。むしろ外よりも中でこそ子供の尊厳は守られるべきなのに、実際はそうなっていない。
議員を辞めるにあたって作った3本の法案のうちの1本「日本版タイトル・ナイン」がまさにこれなんですけど、その基本的な理念をきちんとうたった法制度が、私は本当は日本の民主主義の根本の問題を解決するんじゃないかと思います。
2本目は校内民主主義・男女平等法案(日本版タイトルⅨ)。学校での男女の教育機会均等を保障。憲法上の子どもの人権が尊重される民主的な学校運営を確保。校則の公表と生徒参画も義務付けました。ブラック校則や入試での男女差別問題を解決し、スポーツ教育における女性活躍・地位向上にもつなげたい! pic.twitter.com/JtVMdNySMc
— 山尾志桜里 (@ShioriYamao) October 8, 2021
アメリカでは1970年代に「タイトル・ナイン」という法律ができて、参政権の次に、アメリカの女性活躍を一気に引き上げたと言われています。男子の部室が女子の部室より広いのはおかしいよね、男子の方が女子より外部試合のチャンスが多いのはおかしいよね、というようなところを、機会均等にしなければいけないと法律で決められている。
日本も、今こそ「人権」というものを成熟させていくフェーズ。それが、ものすごく大事な今後の日本の課題じゃないかと思っています。
3本の法案の置き土産。その意図は?
ーー人権DD(デューデリジェンス)、日本版「タイトルナイン」、緊急事態条項。どれも人権と密接に関わる3本の法案ですが、国民民主党に残すのではなく、敢えて「皆でブラッシュアップを」と添えてSNSにアップしました。
法案作成のプロセスには、法制局があって、議員がいて、外部の有識者がいる。ステークホルダーは議員だけじゃなく、当事者を含めたステークホルダーがたくさんいるんですよね。
どの政党でも、どの団体でも、どの個人でも、(公開した法案を)参考に使ってもらって結構ですし、議論して揉んでもらえたら最高だなって思います。
その中で、私自身は国会議員の役割を担わなくても、外側から盛り上げて関与していきたいですね。
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
「“引退” という言葉は違和感」 山尾志桜里さんに聞く、なぜ議員を辞めたんですか?【ロングインタビュー】