「ムーミン」の生みの親であり、自由を愛した反骨の作家トーベ・ヤンソン。フィンランドが誇る芸術家の半生を描いた映画『トーベ』が公開中だ。
彼女の芸術的アイデンティティの源には何があったのか。ザイダ・バリルート監督に話を聞いた。
30代のときに発表したムーミンの物語が大ヒットし、世界的ベストセラー作家になったトーベ。だが、ムーミン以前の彼女が何を描き、誰を愛し、どのように芸術の道を切り拓いてきたかはあまり知られていない。
それは日本に限らず、本国フィンランドでも同じだ。
「トーベが亡くなったのは2001年、86歳でした。ですからフィンランドでも後半生のイメージが強くて、若かりし時代のことはさほど知られていないんですね。長年の同性パートナーだったトゥーリッキさんとの素晴らしい関係性や、自由を求めて移り住んだ島での暮らしなどは有名ですが、それ以前のことは知らない人のほうが多い。
だからこそ、『トーベ』という作品ではおもに30代から40代までの彼女にスポットライトを当てたいと考えました」
トーベと同じくフィンランドで生まれ育ったザイダ・バリルート監督は、映画『トーベ』に込めた思いをそう語る。
ムーミンは多くの日本人から愛されている。幼い頃にテレビアニメで親しんだ世代もいれば、グッズを通して個性豊かなキャラクターに魅了された人もいるだろう。2019年には埼玉県飯能市にムーミンの世界観を体験できる「ムーミンバレーパーク」がオープンした。
一方で、ムーミンの生みの親であるトーベ・ヤンソンが、早熟で多才なアーティストだった事実はさほど知られていない。
第一次世界大戦が勃発した1914年にヘルシンキで生まれたトーベは、幼い頃から創作を愛し、15歳からは政治風刺雑誌「ガルム」でヒトラーやスターリンを批判する痛烈な風刺画を次々に発表。
20代になってからは画家として注目を集め、同時期に書いた短編小説はいくつもの雑誌に掲載された。
旺盛な表現欲求と鋭い批評精神を持ちながらも、愛にはとびきり素直な人でもあった。
同性愛がフィンランドでまだ犯罪とされていた時代、32歳だったトーベは舞台演出家のヴィヴィカと出会い、熱烈に愛し合うようになる。トーベには男性の恋人が、ヴィヴィカには夫がいたが、それが2人の愛を妨げる理由にはならなかった。
「トーベが生涯を通じて最も大切にしたのは、愛と仕事でした。自分が誰を愛するのか、愛されるのか。それを外野にとやかく言われる筋合いはまったくないことを彼女ははっきり理解していた。さらには、それを実行する勇気と品格もありました。
それまで男性と付き合ってきたトーベが、なぜあれほどまでに激しくヴィヴィカと恋に落ちたのか。その理由について、私はとても興味深く考えていますが、トーベは女性と恋に落ちた自分にショックも受けなければ、悩むこともなかったんです。
彼女はただ、その愛を祝福していた。出会いに感謝し、人生の水平線が開けたように感じていたそうです」
映画『トーベ』では愛によってもたらされた喜びと孤独を糧に、トーベがムーミンの物語を生み落とし、アーティストとして自立するまでの姿が鮮やかに描かれている。
「私を含め、フィンランドの国民はみんなトーベ・ヤンソンの物語と一緒に育ってきました。ムーミンをはじめとした彼女の作品の世界観は、私達のDNAの一部と言っても過言ではありません。フィンランドで最も愛されているアーティストといってもいいでしょう。
だからこそ、“台座に上がった偉人”ではない、人間としてのトーベを描くことが映画監督としての大きな挑戦でした。恋愛の情熱や葛藤を通じて彼女が自らのアイデンティティを見つけていくまでの過程に光を当てたことで、人間トーベの知られざる面を一人でも多くの人に伝えられたのではないかと自負しています」
知っているようで知られていなかった「ムーミンの生みの親」の物語は、本国でも多くの観客に新鮮な驚きを与えたようだ。スウェーデン語で描かれたフィンランド映画として史上最高のオープニング成績を記録。第93回アカデミー賞においても国際長編映画賞フィンランド代表として選出されている。
世間的にはマイノリティとされる愛に正直に生きたことは、トーベの創作にも大きな影響を与えた、とザイダ監督は指摘する。それが最もわかりやすい形で表れたのが、ムーミンの物語世界だ。
「ムーミンの世界で描かれる平等や連帯、誰もがウェルカムであるというインクルーシビティ(包括的)で多様な世界観は、トーベの思想に深く根ざしたものです」
繊細で傷つきやすいムーミン。自由と孤独を愛するスナフキン。自分たちだけに通じる秘密の言葉を操る双子のトフスランとビフスラン…。個性、姿形、種族すらもそれぞれに異なるムーミン谷の仲間たちは、違いを受け入れ、互いを尊重しながら暮らしている。
日本では2021年8月、在日コリアンへの差別的な態度を表明するDHC社とムーミンのコラボレーションが中止になった。
その際、ムーミンの著作権を管理するフィンランドの会社Moomin Characters Oy Ltdは「いかなる差別も容認しない」と迅速かつ毅然と表明。一連の出来事は大きな話題になったが、ザイダ監督の目から見ればこれらの経緯も当たり前のことに映るのだろう。
「小さき声や、見えざる人々。世間からマイノリティと呼ばれる人々も含めた、すべての人の人権のために、世界をほんの少しでもよりよい場所にするために、トーベは物語やアートを通じて生涯ずっと声を上げてきました。それはアーティストとして有名になるずっと以前から一貫しています。そんな彼女の生き方に、あらためて敬意を評したいと思います」
作品の外側に目を向けると、映画『トーベ』にはもうひとつ特徴がある。監督、脚本、撮影、プロデューサーなど、主要スタッフがすべて女性であるという点だ。これはザイダ監督の意図だったのだろうか。
「ジェンダーの方針に関しては、私よりもプロデューサーのアンドレアの意図が大きいですね。撮影監督のリンダをはじめ、30~50代のキャリアのある優秀な女性スタッフの多くを紹介してくれたのも彼女です。その結果として、プロフェッショナルなスタッフが集まってくれたことはとても嬉しく思っています。
映画ではおもにトーベ・ヤンソンの30~40代を描いています。製作スタッフも多くは30~50代の女性でしたから、共感する部分があったのでしょう。映画をつくっていく過程で、彼女たちにとってもこの作品がどんどんパーソナルなものになっていく実感が肌で感じられました」
ちなみに、日本映画業界における女性監督の割合はわずか3.1%だが、フィンランドの映画製作現場におけるジェンダー比率は?
「今のフィンランドでは映画監督のジェンダー比率はほぼ同等です。男性:女性=50:50くらいといえるのではないでしょうか。
この方向性はとてもいいことだと思っています。平等という側面だけでなく、男性の視点からだけでは語りきれない、さまざまなアングルの物語が世界にはある。女性が語ることによって真実に迫ることができる、そういう物語も必ずあるはずですから」
性別やジェンダーはその人を構成するすべてではない。けれども女性が語ることによって真実に迫ることができるアートも確かにある。『トーベ』もまた、そんな作品のひとつといえるだろう。
同時に、『トーベ』は普遍性も備えている。作中の恋愛の描き方からもそれははっきりと伺える。
「製作中にはまったく意識していなかったのですが、『トーベ』の公開後にセクシャルマイノリティの方々からたくさんの好意的な感想が寄せられました。この作品では女性同士の恋愛が描かれますが、2人の間で起きる問題や恋が終わる理由は、ジェンダーとはまったく関係ありません。その部分がマイノリティの観客に支持された理由にもなっているようですし、そういった女性同士のラブストーリーを描けたことを誇りに思っています」
最後に、ザイダ監督から日本の観客へメッセージをもらった。
「この映画を通じて、トーベという一人の人間にインスピレーションを感じていただけたら。私自身も画家としての彼女の作品やドローイングを観ることで、大きな喜びを得られました。この作品が新しくトーベを知るきっかけになればとても嬉しく思います」
Source: ハフィントンポスト
「ムーミン」の生みの親トーベ・ヤンソンの愛と反骨。彼女の恋はなぜマイノリティにも支持されたのか