新型コロナ禍も、1年半以上に及ぼうとしています。
その間、感染症対策やワクチンに関するデマや陰謀論も飛び交い、命や健康に関わる情報発信やコミュニケーションの難しさが改めて浮き彫りになりました。
こうした医療情報発信のあり方や対話のコツなどについて、Twitterの音声配信機能スペースを利用して、ワイワイ話し合う音声番組「#SNS医療話」。
9月14日夜に配信された第3回では、がん研究者で医師の大須賀覚さん(@SatoruO)、病理医ヤンデル先生こと医師の市原真さん(@Dr_yandel)、編集者のたらればさん(@tarareba722)、ハフポスト日本版の泉谷由梨子編集長(@YurikoIzutani)に加えて、漫画家のおかざき真里さん(@cafemari)を特別ゲストに迎えました。
日本仏教界のスーパースター、最澄と空海を主人公とする漫画『阿・吽』を、7年の連載の末に完結させたばかりのおかざきさん。深淵なる仏教の世界を、緻密な絵とストーリーで描ききったおかざきさんに、尋ねました。
難しいことを人に伝える時、何を意識していますか?
漫画家、医師、編集者が「伝えること」について語らった60分。職業や専門性によらず、他者との対話における手助けとなりそうなポイントも浮かび上がってきました。
(※記事化にあたり発言やその順番は一部加筆・再編集しています)
大須賀覚さん(以下「大須賀さん」):
私はがんについての情報発信を行なっています。専門性の高い医療情報をどう一般の方にわかりやすく伝えるかで、いつも大変に苦労しています。
おかざきさんの『阿・吽』は、仏教の真理などかなり難しいテーマを扱っていましたよね。漫画の数ページでは、とてもじゃないけど伝わらなさそうな内容ですが、これを伝える時、どういうことを意識していらっしゃるんですか。
おかざき真里さん(以下「おかざきさん」):
私は、わかるところしか描かない、わからないところは描かないんです。
私には、仏教が説明している真理は最後までわからないので、真理については漫画の中で描いていないんです。でも、真理を求める人の気持ちはわかる。こういうものが欲しい、こういうものを求めたい。その気持ちを描くと、遠くの向こうの方に朧げに、読者の方々が真理を見てくださるんじゃないかなと。
矢印だけを描いて、矢印の指すものが何かは、描いていないんです。
一同:
な、なるほど。。。。。
おかざきさん:
私が漫画家としてまだ未熟だというのもありますが、「コレを伝えよう」の「コレ」を決めると、漫画に落とし込んでいく段階で刻んでいくような感じになって、小さくなっちゃうっていうことがあるんです。断片的に何かが強調されたり、全体が網羅できていなかったり。
たらればさん:
結論ありきで走り出すと、思ったより小さい話になるなぁっていう時ありますよね。
おかざきさん:
以前に別のイベントで、比叡山延暦寺の小鴨住職がおっしゃっていた言葉ですが、相手の機根(きこん)に合わせるというか、つまり相手の気持ちに沿うことで、相手に伝わるというところがあると思うんです。
漫画は(臨床医療と違って)目の前に相手がいるわけではないですが、読者さんの気持ちをどう刺激したらこっちをむいてくれるかな? すごい絵か? 小さな笑える話か? って考えて。架空の読者さんに向けて、相手の機根に合わせていくようなところがあると思います。
編集部注)機根=仏教用語で、全ての人の中にあって、仏の教えを受けて発動する能力、資質のこと。
大須賀さん:
今のお話、医療情報発信とバチっと結びつく部分があります。
普段、私はがん患者さんや家族に対して、「科学的に効果が確認された標準治療を第一に検討しましょう」という情報発信をしています。この発信では、かつてはすごく細かい話を一生懸命していたんですね。こういう治療があって、こんな抗がん剤があって、こうするとこんな成績があがってくるとわかっていて……といった具合です。
でも、そのような細かな情報はなかなか読んでもらえない。
だんだんわかってきたのは、その人の気持ちや迷っていること、例えば「標準治療は安全なんだろうか?」「ネットに載っているような他の民間療法じゃだめなのか?」といったような患者さんが自然と抱く疑問や不安、そこを汲み取った記事にしないと読んでもらえない、ということ。
その「気持ち」の答えになっていることを書くと、患者さんは治療の詳細を知らなくても、標準治療をしている病院に行ってくれて、専門医の前に座ってくれる。
結局、標準治療の具体的内容を全て書かなくても、「そこにいくべきだ」と受け手が感じるところまでを書けばいいんだと気づいたんです。
おかざきさん:
お医者さんって、本当に大変ですよね……。どこか聖人君子的なところを求められたりもするし。(SNSでフォロワーも多く、普段から情報発信をされているおふたりですが、)SNSで信頼を得て、キープするのってすごく大変じゃないかなと思います。
大須賀先生が、ヤンデル先生との往復書簡(noteの連載「俺たちは誤解の平原に立っていた」)で「やっぱり信頼されることが大事」と書かれていましたが、それはお医者さんが背負いすぎなんじゃないかなとも思いました。
大須賀さん:
そこまでしなくても、医療情報発信をしていくことが可能な場面はいっぱいあると思います。しかし、私の場合は、自分の発信のターゲットが、他の医療者がターゲットにしている層とはやや違うというところも背景にはあります。
私自身が一番何とかしたいと思っているのが、がんの標準的治療を拒否して、食事だけで治そうとしてしまうような患者さん。その人たちを何とかしたい。
そのような方には医療への不信感が背景にあったりもするので、医療データをたくさん出して説明することよりも、まず説明する自分への信頼を得ることがかなり大事だと感じています。この先生の話なら聞いてみようかなと思ってもらう、それが出発点かなと思っています。
そしておかざき先生の質問に立ち返ると、SNSにおいて、信頼を維持することはとてつもなく難しいですよね。
自分が何かを発言したいと思っていても、全然違うところで信頼が瓦解しているかもしれない。例えば「きのこたけのこ戦争」で私が「たけのこの里派」と書いたことが、信頼を失う原因になる可能性だってあります(笑)
ですので特に、私がターゲットにしている層が不快に思わないように、ということを意識してSNSでは発信していることが多いですね。
「病理医ヤンデル」こと市原真さん(以下「ヤンデルさん」):
あえて語弊を恐れず言うと、僕は、SNSで信頼を得るのはそんなに難しくないと思ってます。というのも、SNSは世界に比べればずっと狭いので。世界の方が広い。
SNSでの信頼というのは、SNSのことだけを考えていればいいので、頑張れば一応、御せるんですよね。
当然、間違う人もいっぱいいるし、炎上だってあるし、伝わらないこともある。皆さんがよく指摘している「SNSの困難さ」は感じています。しかし、そうした困難さがある中で信頼を集めにいくというのは、お店を経営している人が、お客さんの信頼を得て店に来てもらうのは大変だなと思うことと、そんなに大きな差はないと思う。
むしろもっと難しいのは、SNS上の自分の目の届く範囲で「なんとか信頼を得ているな」と感じられている背後に、取りこぼしている人がいっぱいいる、ということに自覚的であること。その取りこぼしの方がずっと怖いんです。
Twitterに相性がいい発信の方法というのを、だんだん色んな人がわかってきて、自分もそうだし他の医療者を見ていても、みんな上手になってきたと思います。こうして(見えている範囲の)信頼を背負っていくことで手一杯になって、「Twitterは見ていない、テレビしか見ていない」という人の存在を忘れちゃダメだよな、と。
泉谷編集長:
これは達人の意見です(笑)。
でもヤンデル先生、本当にお忙しいはずなのに、(色々な医療情報を)ツイートしまくっていてすごいです。
ヤンデルさん:
いやいや。でもまぁ、僕らはおかざき先生の漫画を読んで「人間技を超えてる…!」と感じたり、今みたいに「わからないものをわからないまま描く」と聞いたりするだけで、身体中が痙攣するぐらい、胸震えるわけじゃないですか。
そういう人と、気持ちだけでも同じぐらい頑張りたいと思ってるだけなので……。
たらればさん:
ここでいったん、ざっくりした解像度の粗い話をします。
「人は医者や医療情報に何を求めてるのか?」と考えてみると、「自分の身体のことについて、自分自身より詳しい人がいて欲しい」という欲求がある気がするんですね。「より詳しい人に頼りたい」、「頼れる人がいてほしい」という感覚。
編集者の仕事をしていると、ライターさんから作品や原稿を受け取るのですが、「どうもこの書き手は、自分でさえ見つけられていない魅力をわかってくれる人を探しているんじゃないか?」と思わせるような形で持ってくる人、結構いるんです。「わたしでさえ気づいていないわたしの魅力を教えて!」と。
でもそれって「いきなり」は絶対に無理じゃないですか。関係を構築して、コミュニケーションを重ねて、お互いいろいろなものを持ち寄って、初めて可能になることでしょう。
それと近い欲求って医師に対してもあるような気がするんですよね。
そしてこの欲求って、SNSとすごく相性が悪い。さっきおかざきさんが「SNSで信頼を勝ち取るのが難しいのでは?」とおっしゃっていた部分と重複するんだけど、「1対1」だと成立する信頼関係が「1対多」だと崩れやすくなる。信頼が反転して「わかってくれてたはずなのに……」と怨嗟になってしまう。
ヤンデルさん:
なるほどそうか! 今言われて気づいたけど、実は自分は、そこを切り分けた発信ができていた気がする。
フォロワーに対して「ここは『1対多』の場だから『1対1』の場で解決しなよ」というメッセージを出してますね。今ここでやることではないけど、それをやる人は別の場所にちゃんといるよね、というのをいっぱい出すようになってから、「実は先生に聞いて欲しいことがあって」というダイレクトメッセージの数も大幅に減ってきた気がします。もちろん、いいことだと思ってます。
たらればさん:
すごいDMが来るんだな…。。
泉谷編集長:
『阿・吽』では、権力や欲、命の危機に翻弄される登場人物たちを見ながら「正しさ」とはいったい何なのかと突きつけられるシーンがたくさんあります。正しさをどう伝えていくかは、私たちメディアにとっても日々悩ましい課題です。おかざきさんはどんな工夫をされていますか。
おかざきさん:
うーん、、、、、困っちゃいましたね。
正しいことがすべてじゃないと私個人は思っているので、漫画には(正しさとは何かについて)描いていないつもりなんです。
結局、空海は(自身が開いた真言宗の総本山・高野山の)奥の院で今も生きているなんて言われていますし。そもそも宗教がまだ続いているということは「正しい世の中」になっていないということ。
今日のテーマである医療コミュニケーションの話で考えると、私個人は、お医者様にも正しいことをそのまま言って欲しくないと心のどこかで思っている気がしているんです。
だって唯一言える正しいことは「あなたは、いずれ死にます」ということだけじゃないですか。
お医者様ってそれをちょっとずつ先に延ばしてくれるというか、絶対に来る死というのを少しずつ先に延ばしていく伴走者のような存在だと思っているんです。
たらればさん:
「先延ばし」……!! これは面白い話だ。
おかざきさん:
なので、私の語彙力がなくて大変申し訳ないのですが、お医者様には正しいことを、どこか「誤魔化して欲しい」と思っているところもある気がします。
ヤンデルさん:
なるほど。
大須賀先生と僕が初めて会ったのは、「やさしい医療が開く未来」というイベントなんですね。その時に「『やさしい』ってどうなの?と言いながらも、『正しい』的な言葉から距離を置いたというのは、おかざき先生が今おっしゃった感覚を僕らもみんな持っていた部分があるのかなと思います。
ただ、おかざき先生が「いずれ死ぬ、ということだけが正しい」とおっしゃった瞬間に、「いやいやいや、生まれてきて今ここにいるっていうことも、正しいってことにしといてくれ」と一個足したくなってしまいました。
単なる言葉遊びかもしれないけど、それでもなお「“救い”になる正しさ」はあると、僕らは僕らで思ってるんですよね。
「何か正しいことを言ってくれ…」と思っている患者さんに対して、「あなたが生まれて、今ここにいてくれてありがとうございます」ということだけは、少なくとも正しさの側から言えることだったりするので。
正しさを諦めずに、正しさだけに頼り切らないというバランス感覚が必要なんだなぁと思って聞いておりました。
ずるいかな?(笑)
大須賀さん:
「正しい」という言葉自体が、人によって色々な捉え方があってそれぞれ違うので難しいので、単純な結論はないのですが、「正しい」ということを伝えるときに、私が意識しているのは「人の弱さ」です。
例えば、「お酒を飲むとがんになる確率が上がる」というデータがあるわけですが、そう言われても、みんなある程度はお酒を飲む。もちろん、私も飲む時があります。
「正しい」といえる医療情報はあっても、それを単に押し付けずに、どのくらい人の弱さをも許容した形で伝えられるか、そこもセットで考えるべきものと思っています。
「正しい」と言ったときにはその人はどこかに線を引いているわけで。その線を引く時に、思いやりも入れて線を引いていく。そのように情報発信をしていく。そうすると相手への伝わり方も変わるのかな、という気がしています。
おかざきさん:
「正しい」は難しいですね・・・
一同:
「正しい」は難しい・・・
たらればさん:
いやぁ、でも仏教の世界では、弥勒菩薩が仏としてこの世に現れるのは56億7000万年後ですから。究極の先延ばしですよ(笑)
56億7000万年ってつまり、生きてる間は絶対無理っていうことなわけですし、少なくともしばらくは先延ばしにしたって、それはそれでいいんじゃないでしょうか(笑)。
(企画・執筆:南 麻理江 @scmariesc)
Source: ハフィントンポスト
難しいことをSNSで伝えるには? おかざき真里さんと医師たちの対話で見えた「方向感・使い分け・先延ばし」の大事さ