身体を模した手縫いのオブジェ作品を身にまとったセルフポートレイトなど、多彩な表現で活躍する現代アーティスト、片山真理さん。彼女が創り出す作品世界は、近年、写真界の芥川賞とも言われる木村伊兵衛写真賞受賞によっても脚光を浴びた。
片山さんは、アーティストとしてはカメラで撮る自分と、化粧やウィッグでマネキンになりきった“撮られる自分”を演じ分けてきた。プライベートでは4年前に出産し、「娘とどう生きていくか」が生活の一番のテーマになった。
新しいライフステージに入ってからは、創作にあてられる時間もがらりと変わった。「今は娘と夫と共に暮らす日常のなかに創作活動が溶け込んでいるような感じです」。隙間時間に創作を進めるなど、計画通りにいかないことも楽しめるようになってきた。
そんな片山さんが出産後に制作したシリーズの中に《gift》という作品がある。当時生後3カ月だった娘さんへの想いを詰め込んだハート型の愛に満ちたオブジェ作品だが、完成後しばらく経ってから改めて眺めてみたら、「これは愛というより、毒だ」と思えてハッとした。
なぜ毒なのか? 《gift》についてのエピソードから片山さんのご家族や母親となったご自身のこと、それらが創作活動や表現にどう影響しているのか、話を聞いた。
片山さんは、裁縫による立体作品、写真、それらを組み合わせたインスタレーションなど、幅広い作品を展開している。裁縫は「幼い頃から母と祖母の影響」で身についた。
先天性の四肢疾患により9歳の時に両足の切断を自分で決めた片山さんは、身体的な特徴から小学校では「スーパーいじめられっ子」だったという。誰かと友達になりたかった思いが叶わぬまま、高校生になる頃には創作にのめり込んでいた。
義足に自分で絵を描いたり、描いた絵を自宅のインクジェットプリンターで布にプリントし、100均ショップで買い集めたビーズなどを縫いつけて立体作品を作ったりするようになり、さらには過激なファッションに傾倒することも、自己表現になった。
そして、16歳の時、SNSに投稿したイラストが注目され、創作活動への入り口となった。
「少し不思議に聞こえるかもしれませんが、私はまず作ってしまって、作った後に、自分で振り返り、『そうか、この作品はそういうことを言いたかったのか。こういうことを伝えていたんだな』と、自分で作ったものなのに、後から解釈できることがあります。先にコンセプトがあって、それ通りに作るという創作のスタイルではないのです。
《gift》はハート型のオブジェですが、生後間もない娘のために作った作品。『これは毒だ』と感じたのはしばらく経ってからでした」。
ドイツ語の「gift」は、元々は英語と同じ「贈り物」の意味で、それが「毒は“与えられる”もの」という解釈から「毒」という意味に転じた言葉だが、まさにその言葉通りのことが起こった。
片山さんが娘さんのために作ったハートのオブジェ《gift》には本物さながらのリアルな「指」がたくさん縫いつけられている。その理由を片山さんは、こう明かす。
「娘がお腹にいる時は、絶対に障害があるだろうと思っていたのです。
妊娠がわかった時、『やったー』と絶対に産むと決めていましたが、私の身体の特徴がどのくらい遺伝するのか計り知れませんでした。ネットで調べたところ、遺伝する確率はそれなりの数字なのだと分かりました。
なので、私が妊娠期間中にしたのは“対策”でした。娘が生まれた後、どのような暮らしを一緒に送ることが彼女にとっていいことなのか、娘だけでなく、将来、娘が子どもを産む(かもしれない)ことや、その先のことを考えて何がベストなのかと。
妊娠期間中にまるで強迫観念のように、『もしあなたが生まれて指が足りなかったら、私の指がいつでもあなたの代わりになるから』というイメージが頭に焼きついてしまい、それがそのまま作品になりました」
きらきら光るビーズや赤いリボンを縫い合わせて作られた「指」だらけのハート型のオブジェ。
今見るとそれはとてもグロテスクでおどろおどろしく、(略)赤ちゃんに親の勝手な想いなんて、お互いにとって毒にしかならないと思った。━━写真集『GIFT』より
後から振り返った時、そう実感し、タイトルは《gift》になった。
そんな《gift》の制作エピソードから数年が経った今、片山さんはまた新たな作品を作っているという。
「制作中のセルフポートレートでは、自分の身体が消えています。近ごろ、身体にはもう頼らなくてもいいと思えるようになってきていて。
ずっと追い求めていた“正しい身体”の呪縛から解かれた気分です」。
カメラの特性上、長時間露光で撮影すると、写った身体は透けていて、それが「身体が消えている」ように見える。そこには、どのような心境の変化があるのだろうか。
「私が娘を出産した時にまずしたことは、娘の指と足を確認することでした。
ですが、そこで『なぁんだ、指も足もあってもなくてもどちらでもよかったんじゃないか』と私は思っていたのです。だとすれば、私を産んでくれた母もきっと同じように、娘の指や足があるかないかで愛の重さが変わったことなどなかったのだと、分かった気がしました。
私が子どものころは、家では私の身体のことを言ってはいけない空気があり、『ママを悲しませてしまうといけない』という思いから、自分の作品も親にあまり見せたくないと思ってきたので、まるで氷が溶けていくようでした。
その出来事が、『もう身体に固執する必要はないのではないか』と思う大きなきっかけになりました。
そしてもうひとつには、この社会に順応していける“正しい身体”、つまり、障害のない身体というものをいくら求めても限りがないことも十分に分かった気がしたからです。
障害とは社会が作っているとよく言われますが、現代の都市や街は“正しい体”がないとフィットしないように感じます。立場もね。
大学時代大好きだったアメリカの法学者、レッシグの『アーキテクチャ』(環境管理型権力)という概念にも似ています。
私の場合、義足の部品が1つでも取れてしまったら、玄関から一歩も出られない。『あ、ゲームオーバー…』みたいな感じです。
でも今は、新型コロナの感染拡大によってもさらに変わってきていて、“正しい身体”があったとしても、自由に街に出られるということがなくなってしまいましたよね。正しい身体に固執する意味がなくなったのであれば、私のポートレイトの表現もこれまでとは全く違うイメージに見えつつあって、その変化に私は今ワクワクしているところです」
海外では、フェミニズムの文脈で作品が語られることもある片山さんだが、自身ではどう受け止めているのだろう。
「主張することで攻撃的になってしまう構図には陥りたくない。ずっとそう思いつづけてきましたが、最近、海外で自分がフェミニズムのアーティストのように呼ばれることも多くなり、そのような解釈が作品に付されることに納得ができるようになってきました」。
ただ、日本では海外と違い、フェミニズムよりまず先に、障害者としての立場を求められることが多かったとつづける。
「私が妊娠・出産するにあたって、『産むの?』と言われることがよくありました。
『人として扱われていないのでは?』と、耳を疑うような出来事はこれまでにも数々経験してきましたが、妊娠や出産に関しても、選ぶ自由からこんなに隔てられているのかと愕然とする思いでした。
でも、自分が障害者であることに以前より自覚的になり、そういうことももっと発信していったり、答えていかないといけないなという気持ちになりました」
片山さんにしか発信できないこと、片山さんが発信するからこそ多くの人に届くメッセージがある。妊娠・出産を経て、さらにコロナ禍の今、片山さんはそのことを、より自覚的に感じているではないだろうか。これから先、作品にどのように表れるのか注目だ。
片山真理(かたやま・まり)
1987年埼玉県生まれ、群馬県育ち。2012年東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。自らの身体を模した手縫いのオブジェ、ペインティング、コラージュのほか、それらの作品を用いて細部まで演出を施したセルフポートレイトなど、多彩な作品を制作。
アーティストとしての活動に留まらず、歌手、モデル、講演、執筆など、幅広く活動している。
主な展示に、2019年「第58回ヴェネチア・ビエンナーレ」(ヴェネチア、イタリア)、2017年「無垢と経験の写真 日本の新進作家 vol.14」(東京都写真美術館、東京、日本)、2016年「六本木クロッシング 2016 展:僕の身体、あなたの声」(森美術館、東京、日本)など。主な出版物に2019年「GIFT」(United Vagabonds)がある。2020年、第45回木村伊兵衛写真賞を受賞。
<展覧会情報>
「リバーシブルな未来 日本・オーストラリアの現代写真」
会期:2021年10月31日(日)まで
場所:東京都写真美術館
「Reborn-Art Festival 2021-22— 利他と流動性 —」
会期:2021年9月26日(日)まで
場所:宮城県石巻市街地ほか
「Mari Katayama-Home Again」
会期:2021年10月24日(日)まで
場所:ヨーロッパ写真美術館(Maison Européenne de la Photographie)(パリ)
秋にAkio Nagasawa Galleryで新作を中心とした個展を開催予定。
Source: ハフィントンポスト
「“正しい身体”の呪縛から解かれた気分」両足義足のアーティスト片山真理さんに聞く。母になること、創ること