社会課題解決のため、政策を「起業」する時代が到来しています。
官僚や政治家だけでは解決できない複雑な政策課題に向き合い、課題の政策アジェンダ化に尽力し、その政策の実装に影響力を与える個人のことを「政策起業家」と呼びます。
しかし、日本の「政策起業家」の層はまだ厚いとは言えず、ノウハウも可視化・蓄積されていません。そのような課題に取り組むため、独立系シンクタンクである一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブは、政策起業に関するノウハウの可視化・蓄積を目指し、「政策起業の当事者によるケーススタディ」を行う新しい試み「PEPゼミ」を開始しました。
第5回のテーマは、「教育と政策起業」。教育は中央で政策立案されても全国の教育現場に変化を起こすに至るまで難しい分野でもあります。その中で「ゲリラ戦」とも呼べるアプローチで現場から制度に影響を与え続けるUWC ISAKジャパン代表理事の小林りんさん。
2021年6月8日開催「PEPゼミ」の内容よりその一部をお届けします。
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【政策起業 ケーススタディ・ファイル5】
教育と政策起業
小林りん ユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパン代表理事
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長野県軽井沢町に2014年に開校した、日本で初めての全寮制国際高校「ユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパン」。チェンジメーカーの育成を目的とし、奨学金制度を通じて、全世界80ヵ国以上の様々な社会経済的バックグラウンドを持つ生徒に、類い稀な教育の機会を提供しています。そして、私立のインターナショナルスクールでありながら、学校教育法の第1条に基づく正式な日本の高等学校(いわゆる「1条校」)でもあり、さらには世界中の大学に進学できる国際バカロレア認定校の資格も有しています。
その創設者・代表理事である小林りんさんが学校創設に至る軌跡は様々なメディアで紹介されていますが、今回はその取り組みを「政策起業」という切り口で見ていきます。学校を創設する過程で、現場から実例をつくり教育制度そのものに変化を起こす営みを、小林さんは「ゲリラ戦のススメ」と表現しています。
現場からわかりやすい事例を作るー「ゲリラ戦のススメ」
「失敗からの学びとして、上から落とすのではなく、現場からわかりやすい事例を作り、蟻の一穴的に小さいところからじわじわと制度につなげ、規制緩和につなげていくという手法をとった方が上手く行くのではないかというのが今の私の仮説です。」
そんな仮説をもとに、小林さんは現在もISAKのみならず教育起業の支援プログラム「HatchEdu」や、自治体やNPOや株式会社を対象とした教育アントレプレナー支援などを通じて現場からの取り組みを重視しています。
こうした問題意識の背景にあるのは、教育関係の政府委員会に携わって提言を出した際の経験でした。政府の委員会での提言は法制度や予算という形で制度を変えることにはなったものの、現場の小学生が実際に感じる変化は起こせなかったと小林さんは振り返ります。
「教育の場合は、地方分権がとても進んでいます。国―都道府県―基礎自治体で権限が委譲されており、たとえ国レベルで大きな改革をしても、『トリクルダウン』が上手くいかないと、教育現場までインパクトを感じられない難しさがあります。」
そんなトップダウンの「教育改革」の難しさを感じるのと同時に、「ゲリラ戦」を通じて現場から事例を作っていくことで変化の手ごたえも実感してきました。
既存の制度を活かしながら蟻の一穴に ー ISAK開校過程で起こした変化
「10年前にISAKで何が起こったのかというと、200人の小さな学校が出来ただけなのですが、実際に自分たちでやってみて『怪しい者ではない』(笑)ことを示すことで、(その先の制度の変化が)スムーズに進んでいくことがありました。」
小林さんがISAKの開校準備をする上で、理想の学校を実現するための制度の壁が3つありました。以下順に見ていきましょう。
まず1つ目に、日本の制度に沿った高校と理想とする国際標準の学校を両立させる壁です。例えば、インターナショナルスクールでは国際標準である「9月入学」は、日本の一般的な高校では認められていませんでした。
「世界中から先生と生徒を集めるため9月入学にしようとしたところ、ISAKは所謂『1条校』なので日本の高校でもあり、学校教育法施行細則によると4月入学と定められていると言われました。」
困って相談に行った文部科学省の同世代の官僚の方からアドバイスがあったのは、単位制高校の制度を使うこと。一般的な全日制高校は、「学年制」という制度で1年で取るべき単位数が決まっていますが、定時制高校などで使われる「単位制」では科目ごとの単位数を取得してくため、入学時期も自由で期間にとらわれず卒業出来ることになっています。
単位制を採用すれば、「たまたまみんな9月に入学して5月に卒業する」学校の設計も現行の制度の中で可能になる。そこで、ISAKは単位制高校の制度を活用することで日本で初めての9月入学の1条校として開校しました。
さらに、国際バカロレアと日本の高校として必要な学習指導要領の両立は、それまで単位数が多くとても難しい状況にありました。この点についても、小林さんは上述の同じ文科省の官僚の方に何度も相談に通い、省令改正が実現。国際バカロレアの課程を実施することで、教育指導要領の学校設定科目の単位数の自由度が倍増する結果となりました。
しかし、いざ世界から先生を集めようとすると、2つ目の壁にぶつかることとなります。単位は日本の教員免許を持った先生しか授与出来ないという問題でした。
「長野県庁に『教員免許制度の特例を外国人の先生に使えるようにしてほしい』とお願いしに行ったところ、『長野県では平成元年の制度開始以降2人しか適用されていない』と言われたんです。」
それも、過去に適用されたのは、信州大学の有名な先生だとか。しかし、小林さんは諦めません。
「実は、制度の適用の要件には『教える科目について十分な知識と指導経験がある、情熱に溢れすぐれた人物である』などのざっくりした項目しかないんです。だから、我々の先生方はこの要件に当てはまっているのではと説明したところ、長野県教育委員会さんが審査会にかけてくださることに。各教員ごとに膨大な書類を揃えて申請し、前例のない規模での特別免許を付与いただきました。これまでに通算30名分ほどはいただいているんじゃないでしょうか。」
「特別教員免許制度」というそれまではほとんど活用されていなかった制度を、外国人教員のために活用。その後、それまで特例の活用は学校内で50%との上限があったものも、緩和が進み、今は経験と知識と才能がある教員を、相当な自由度をもって採用することが可能になっています。
3つ目の壁は資金源。ふるさと納税を奨学金に活用する、という小林さんの試みも既存の条例とぶつかることになります。
ISAKでは多様なバックグラウンドを持った生徒を集めるため、家庭環境に応じて生徒の7割に奨学金を出すことを想定していました。その資金として毎年5億円が必要とされました。
資金をどう調達するか。そんな中でふるさと納税の制度を知った小林さんは軽井沢町役場を訪ねます。
「ここでは当初、『ふるさと納税は税金なので私学には使えない、公共事業にしか使えない』と言われたんです。」
そこで、小林さんは全国のふるさと納税の事例を仲間としらみつぶしに調べ、熊本県で県立高校を対象とした母校支援にふるさと納税を使った前例を1件だけ発見しました。
「その事例を持って行って、『前例ありますよ!』と交渉しました。町の皆さんも視察にも行っていただいて。ようやく納得頂いて採用となりました。」
この過程では、町の条例の改正が必要であったため、小林さんはそもそも学校設立に懐疑的だった町議会議員さんも含め、一人一人丁寧に挨拶に回って趣旨を説明し、全国で初めての事例として実現しました。現在は、ふるさと納税を通じて年間4億円近い寄付が寄せられており、ISAKの生徒への奨学金の大きな原資となっています。
起きないトリクルダウンを乗り越えるー足りないものは自分で補うパッション
ここからは、教育現場で政策起業を実践されているゲストの中室牧子 慶應義塾大学総合政策学部教授(専門:教育経済学)と、LITALICOの長谷川敦弥社長も参加し、ディスカッションに入ります。
「例えば、特別支援教育の現場は、子ども1人1人に個別の計画を立てるということがスローガンとしてはずっとあったのですが、中身としては機能しておらず、ノウハウが蓄積されてこなかった状況があります。」
LITALICOで障害のない社会を作ることを目標に15年ほど活動している長谷川さん。現場で感じていた課題の一つに、障害を持つ子どもへの指導内容とその結果が記録されていないため、現場で特別支援教育の専門性が向上しない、というものがありました。この課題に対して長谷川さんは、政治家や官僚の方と協力しながら特別支援教育の個別教育の「義務化」を後押ししました。
しかし、制度化だけでは教育現場は変わらないことにも気づかされました。
「義務化されると、今度は教育現場に記録をするツールがないという問題が発生したんです。」
これを受けて長谷川さんは、特別支援教育のデータ化のためのアルゴリズムを自社で作って提供するプロジェクトを目下進めています。このプロジェクトを通じて、特別支援教育もICTが導入され、データが蓄積されていくことを目指しています。
また、福祉と学校教育の間にある特別支援教育という分野に取り組む中で、長谷川さんはその連携を促すための制度化にも携わりました。しかし、ここでも制度だけではなく、結果を追求し、公立学校や児童養護施設への学習支援の人員を派遣するなど、現場でその理念を実現するための様々な手立てをあわせて講じています。
聞いていた小林さんも「しつこさという点では長谷川さんには負けるかもしれない(笑)」と話します。
「長谷川さんの場合は、予算だけついても実現しない場合、その先に現場に落とし込む段階で生じた課題ーアルゴリズムや人材の不足などーを自力で解決してしまう。この点は本当にすごいことで、私も省令などは書いたりしているが、まだそこまでやり切れていない部分があるかもしれません。」
制度がなければつくり、システムがなければつくり、人がいなければ派遣する。
「それくらいの胆力を持って行動しないと社会は変えられない」と語る長谷川さんと小林りんさんに共通するのは、トップダウンの制度論だけではない、現場からの徹底した「インパクト実現」への執着とパッションです。
エビデンスvsエピソード?手触り感のあるエピソードを持つ意味
教育経済学の専門家として教育政策にエビデンスを用いることを提唱・実践している中室先生からは、政策を実現する過程でエビデンスを使う重要性について言及がありました。
「EBPM(Evidence Based Policy Making)が注目を集めています。
エビデンスに基づく意思決定は、売り上げや利益などの達成を見つつPDCAを回す企業にとっては当たり前の話に聞こえるかもしれません。しかし教育をはじめ政策形成分野では、エビデンスに基づく意思決定は長くあまり定着していなかったのです。しかし今、EBPMの流れは国際的にも標準になりつつあります。
経済学者はその推進力の一つになっており、私は教育経済学者の立場から、教育分野における科学的根拠に基づいた政策形成が重要だと訴えています。」
(*EBPMについてのPEPの過去の取り組みはこちら:前編・後編)
しかし、中室先生によれば、現実的には教育の政策現場ではエビデンスより「エピソード」が勝つことも多いと言います。
例えば、コロナ禍で進めているオンライン教育。政府内で、オンライン教育支持の立場と対面重視の立場が拮抗する中で、方向性を決めたのは、対面授業を求める大学生らのTwitterでの訴えと文科省に届いた504通のメールでした。
「全国の大学生は300万人おり、その中での500通がどの程度の割合なのかというのは考えなくてはなりません。また、高校で見れば灘のライバルが開成というのはその通りなのですが、私の所属する慶應の敵は、もはや早稲田ではなく、シンガポールや中国などの海外の大学です。海外と競争しなければならない日本の大学というアクターにとって、海外のルールがどうなっているかは無視できません。」
アメリカではオンライン教育の規制廃止は2006年に行われています。大学生の日常も大事ではあるものの、日本の大学が国内の事情を過度に配慮し過ぎて大学の国際競争力を下げるのは良くないと、中室さんを含む規制改革推進会議のメンバーが独自に5月17日に意見書を提出し、単位や学校設置基準の規制緩和などを提言しました。
「手触りのあるエピソードにエビデンスはなかなか勝てません。なぜかと言えば人々はもっともらしい話に流れやすいからです。エピソードの重要性を認識したうえで、それにどう勝っていくかを考える必要があります。」
誰かが言ったもっともらしい話は広く「信仰」になりやすいが、科学的にみると実際とは違うことを示す事例も多いと中室先生は指摘します。
「アイザック・ニュートンは生涯で科学に費やした時間よりも錬金術に費やした時間の方が長いという有名な逸話があります。やはり根本的には錬金術は信じられやすく科学は信じられにくいということかなと思うんです。」
教育業界は感情論やイメージ、あるいは発言者の影響力が特に強く、大きな会議体に入って発言するだけでは変わっていかない現実があります。エビデンスを以て客観的かつロジカルに提言をする、そして、その中でも手触り感のあるエピソードを使えるようになる、その両面が求められています。
重要なのはやはり仲間づくり
最後に小林さん・長谷川さんは、制度改革の過程で相談をしあった経験から、仲間同士で機動的にチームを作って政策を実現する「仲間づくり」を強調します。
仲間にしなければならないのは、元々協力してくれる人に限らず、自分が変えたい制度に反対していた人も同様であると言います。
「規制緩和では戦いにいくという態度の人が多いのですが、それだと何も達成出来ないことが多いと思います。政治家も官僚の方もみんな一緒に改革を進めてくれる仲間なんだ、同志なんだという意識を持つと、進んでいくと思います。霞が関や地方自治体の皆さんも、公共に対する何らかの想いがあってその省庁・役所に行かれているわけだから。」
長谷川さんも「政治家・官僚も『人』なので、個々人を理解して行動するのが基本」と語ります。例えば、自民党の保守系の議員と話をする時に、保守と反対の立場の話をするのではなく、その価値観に寄り添って、その立場でも共感されるようなエピソードを出すことで議論の糸口を見つけられるケースを挙げています。
中室先生も「パッションを持った人を集めチームとして何かを変えていくということ、その時には全然違う分野の専門家達を巻き込み、共に新しい刺激を受けながらやっていくというのが成功への一つのポイント」と振り返ります。
小林さんの教育分野での政策起業は、どうインパクトを実現するかを追求する熱いパッションと冷静なエビデンスを持ち、現場から制度に風穴を開け、その過程で周りが目的に共感し、仲間が増えていくところに鍵があると言えそうです。
「情熱で働きかけるとみんな仲間になってくれます。みんな同志なんだ、という感覚で取り組むのは、議員さんを含めて大事だと思います。教育はトリクルダウンするのが大変だから。」
Source: ハフィントンポスト
理想の学校を実現するために。現場から実例を作った「UWC ISAKジャパン」に学ぶこと