宮城で流行ったのを新聞で見つけ在日がパクったんやで
牛タンは部位的に少量しか手に入らず県外からも必死になって集めた
焼肉の誕生は昭和20年代。
時はまさに終戦直後の混乱期、失業者であふれ、慢性的な食糧難に加えて、
町のあちこちで戦争未亡人が飲食店を開いていました。
中でも手軽に開業できる焼き鳥屋は大人気で、仙台市内では多く焼き鳥屋が営業しておりました。
焼肉の生みの親である(故)佐野 啓四郎氏も当時は和食の職人として、焼き鳥中心の飲食店を経営しておりました。
当時は食糧難ということもあり、焼き鳥屋といっても鶏肉だけではなく、
豚肉や牛肉など、様々な素材を焼肉料理として出していました。
大量にあったドラム缶の上で肉を焼いたのが始まり
放るもん(内臓等の部位を廃棄する事)→ホルモン
それ関西芸人の駄洒落で
関西のテレビ局が何度も放送したから信じる阿呆が未だにいるとか
>>25
焼肉のホルモンの語源説はいろいろありそうだけど
わざわざ捨てる物を名称に食い物にしないやろドイツ語由来のホルモンを当てたんちゃうか?
うんこ焼きとか名称付けないやろし
>>28
確かに語源は色々ある
トロは今では高級ネタだが
昔はすぐにアシが出るので築地バイトの貧乏学生に重宝されていた
内臓系も同様だったとそういう所でバイトしてた頃に聞いた話
まあ普通に考えて捨てる物(ほおるもん)なんてメニューに出したら客は頼まずブチ切れて店を出る
そして噂になり誰も客が来なくなるわな
「今夜役立つホルモン料理」
とかいう看板あったそうやしなあ
明治時代にもんじゃ焼きが誕生
その後発展を遂げたのが明治時代に入ってから。実はもんじゃ焼きの方がお好み焼きより誕生が早いのです。
もんじゃ焼きの語源は、子供が生地を焼く際、そこに文字を書いて遊びながら食べたことから、もじ→もんじ→もんじゃと呼ばれるようになったと言われています。
んどん焼きから一銭洋食へと発展
もんじゃ焼きと同時期に、生地の水分量を減らして硬くし、持ち歩けるようにしたどんどん焼きなるものが誕生します。
その後どんどん焼きは日本全国へと広がっていき、大正時代には一銭洋食として親しまれるようになりました。一銭は値段、そしてソースの味が洋風だということでこのように名付けられたんだそうですよ。
お客の好みの具を焼くことから、お好み焼きという文字を掲げたお店が出現し、そこから広まったのです。広島でも大阪でもない地で「お好み焼き」という言葉が生まれたなんて、なんだか意外ですね。
昭和13年頃大阪に伝わった
昭和13年頃、浅草で「風流お好み焼 染太郎」が創業創業します。その後、大阪に「以登屋」が開店し、客自身に焼かせるお好み焼きを紹介したと言われています。
以登屋は芸者や花柳界の粋人、船場の旦那衆などを対象とした高級店だったため、お好み焼きの値段は1円50銭だったそうです。市中の洋食焼きが10銭程度だった時代ですから、よっぽど高級な料理だったのですね。
小麦粉の末端価格何百倍にして売ってたんだよ
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Source: パリピにゅーす
今日知った衝撃的な出来事、焼肉、お好み焼き、たこ焼き、土手焼き、串カツ、ホルモン焼き