「不幸な女」呼ばわりされた私たちが『着飾る恋』に最高に癒されるのは、恋以上の何かがありそうだから。

大学時代、新卒で新聞社の内定を得たとたん、同級生の男子から「不幸な女」呼ばわりされたことは、10年以上の月日がたっても意外と記憶から消えない。それまで「女性が第一線で働くのは当たり前」と教わって育ってきたが、社会へ出るとそうでもないらしかった。彼の言葉を念のため翻訳すると、「記者になるような女の気の強さや小賢しさは男のプライドを傷つけるので、仕事を頑張ったところで結婚に行き遅れて“幸せ”になれない」という意味である。

その後も、似たような言葉に多々さらされてきた。私だけではない。最近取材したある女性の起業家は、20代で立ち上げた自身の事業がメディアで話題になったことについて、当時の彼氏に「嫉妬した」と言われ、別れた。さらに後日、「君と付き合って、本当は何もない子がよかったんだなって気付いた」と打ち明けられたという。彼にお伝えしたいのは「何もない子」など存在しないということだ。男のプライドなるもの――小賢しい我々にとってはホラーでしかない。

2021年4月から放送中のドラマ『着飾る恋には理由があって』(TBS系、毎週火曜午後10時放送)は、そんな社会を生きる私たちに最高の癒やしを提供してくれるラブコメディーだ。

主人公の真柴くるみ(川口春奈)は、インターネット通信販売で若い世代から支持されるインテリアメーカーで、広報として働いている。会社の宣伝を兼ねて始めた自身のSNSアカウントには10万人近くのフォロワーがいて、インフルエンサーとしても活躍中。さまざまな経緯が重なって、年齢も職種もバラバラの5人の若者同士でシェアハウス生活をすることになる。

ラブコメに登場する典型的なヒロイン像の一つに、「明るく素直で、おっちょこちょい」というものがある。仕事や恋を通じて成長していくプロセスを描くにはそういうキャラクターが打ってつけだし、あまり「何でも持っている女の子」にしてしまうと共感も得にくいのだろう。だから、一つの「型」として確立されるのはうなずける。

しかし実際のところ私たちは、そういうヒロインほど明るくもないし、素直でもない。眉間にしわを寄せて、日々振りかかる理不尽に抗うのに必死だ。「“女の子”だから」なんて後ろ指をさされたくないから、たとえ本来は抜けたところのある人間でも、それをさらけ出さないように頑張っている。だから「型」とは分かりつつ、「可愛げ」というよく分からない最強武器で恋も仕事もうまくいく「自称・普通(制作側のイメージするところの“普通”)」なヒロインに、一抹の反感を抱いてしまうことがあるのだ。

真柴は、そうしたヒロインとは一線を画すキャラクターだ。20代にして広報の部署では責任のある立場を任されている。ことさらに「仕事のデキる女」というキャラ付けをされているのではなく、ごく自然に、息をするように、真っ当。大事なイベントの準備で後輩が重大な手配ミスをしてしまった場面では、状況を冷静に把握してメンバーに指示を出し、自分も手を動かす。著名人の重要な対談の相手に急遽指名されても、内心の動揺を表に出すことなく、役目を成し遂げる。

表舞台での仕事も回ってくるのはインフルエンサーだからだが、そのフォロワーの多さも、彼女の真摯さの結果だ。「みんなに少しでも喜んでもらえる写真を」と試行錯誤し、投稿の反応がよい時間を研究し、何年もコツコツと継続してきたからこそなのだ。

それでも思うようにいかない夜がある。第1話のラストシーン、シェアハウスで皆が寝静まる時刻。後に恋人同士になる藤野駿(横浜流星)がつくったカレーを頬張りながら、広いリビングで一人、大粒の涙を流す真柴の横顔を見るとき、彼女は「私たちのヒロイン」だと確信させられる。

「何もない子」なんかじゃない。キラキラしたところもカッコ悪いところも、強いところも弱いところも、色々ある。とにかく色々あり過ぎる私たちそのものなのだ。

その相手役である藤野も、なかなかに「変化球」のキャラクターだと言っていい。料理の才覚のある彼は、海外での修業を経て帰国。若くしてスペイン料理のシェフとなり、自分のレストランを開く。だが経営に失敗し、人望も失い、今はキッチンカーで一人、気ままなバルを営む。自身を必要最低限のものしか持たない「ミニマリスト」であり、他人の都合に左右されない「個人事業主」だと強調する。それは、挫折と喪失の痛みを二度と味わいたくないからだ。

こうしたキャラクターだと、「ラブコメあるある」が発動しなくなる。例えば、順序をすっ飛ばした強引なヒロインへのアプローチや、根強い人気を誇る、恋敵への「彼女は俺が守る(俺のものだ)」宣言などだ。

強さや勇敢さ、好戦性を体現するマッチョイズム――それはおそらく「男のプライド」と言い換えることができるものだろう――から、藤野は距離を置かされている。だが、だからこそ魅力的なのである。

藤野がはっきりと好意を口にするのは、真柴に「もしかして、私のこと好きなのかもね」と茶化した感じで聞かれたときだった。少し考えて、確信したように微笑みながら「そうだね……たぶん好きだね」と返すシーンは放送直後のTwitter上でも話題を呼んだ。あまり見ない「告白」だ。また、真柴が長い間、思いを寄せていた相手・葉山祥吾(向井理)と対峙する場面でも、藤野はあくまで「自分は真柴を好きだ」という趣旨の言葉を伝えただけだった。

真柴は藤野にとって、「俺の女」ではない。しばしば「お隣りさん」と表現し、葛藤も含めた彼女のありのままの姿をいつも隣で見守っているのが自分だ、と話す場面もあった。ドラマ終盤で変化していく可能性もあるが、この関係性から、新しい「胸キュン」シーンが数々生まれたのは確かだろう。

とりわけ、第6話。「そもそも、こだわんないから。誰が来て、いなくなっても」。葉山も真柴に好意を持っているのではないかと気付いた藤野が、本心に嘘をつき、真柴を突き放そうとする。藤野の「失うのが怖い」という傷を理解していなければ、煮え切らない態度にも感じられるだろう。

しかし、そこは「私たちの真柴」だ。嘘をつく藤野の口を手の平でスッポリ塞いで「黙れ」。目をパチクリさせる彼の唇を指でキュッとつまんで何も言わせず、「(私が好きなのは)藤野さんだよ」と力強く伝えた。川口春奈の凛々しい演技が光るシーンだった。

それを聞いて心を動かされた藤野が、傍らにあった毛布を手にして、真柴を包み込むように抱きしめる場面は、単なる好意の表現以上のものに映った。久しく他者を遮断していた藤野が、心の中に真柴の存在を迎え入れたことを象徴しているようで、美しかった。

背伸びして努力して「着飾る」真柴と、身の丈以上を求めることを捨てた藤野。正反対で、どっちも少し極端で、だからこそお互いが輝いて見えて――。そんな二人は、共に生きていくための落としどころをどう見つけていくのか。

その「好き」の先には、恋以上の何か、私たちが「自分にとっての幸せ」を感じられるようになるためのヒントが、見えてくるような気がしてならない。

(取材・文:加藤藍子@aikowork521 編集:泉谷由梨子@IzutaniYuriko

※『着飾る恋には理由があって』9話はTBS系6月15日午後10時〜放送予定

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Source: ハフィントンポスト
「不幸な女」呼ばわりされた私たちが『着飾る恋』に最高に癒されるのは、恋以上の何かがありそうだから。

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