みなさん、こんにちは。グッド・エイジング・エールズ代表の松中権です。LGBTQに関する理解を広げたり、当事者やアライの人たちが安心・安全に過ごせる場づくりをしています。
IDAHOBITについて
突然ですが、今日5月17日は、何の日かご存知ですか?
5月17日は、グローバルで「IDAHOBIT」(アイダホ)と呼ばれています。International Day Against Homophobia, Biphobia and Transphobiaの頭文字を取った言葉で、「国際反ホモフォビア・バイフォビア・トランスフォビアの日」として、LGBTQに対する嫌悪(フォビア)や差別をなくし、認知や理解を広げることを目的とした記念日です。日本では、「多様な性にYES!の日」として全国で活動をされている方々がいらっしゃいます。
1990年の同日に、国連の世界保健機関(WHO)が同性愛を国際疾病分類から除外したことを記念して定められました。今から31年前までは、国際的にも同性愛は精神疾患の病気として位置付けられていたわけです。悪魔祓い、認知療法、電気ショックなどで、‘矯正’治療するコンバージョン・セラピーと呼ばれるものが、当たり前に行われる国や地域もありました。(まだ、保守的なエリアでは残っているという報告もあります)
私自身が、思春期に男性が好きだと気づいた時期は、ちょうど、バラエティ番組「とんねるずのみなさんのおかげです」が全盛期で、保毛尾田保毛男のネタでクラスみんなが大爆笑していた時代でした。「ホモ」を辞書で調べると、「異常性愛」「性倒錯」と書かれていて、本当にショックを受け、以降、誰にも言えずに一人で抱えるしかない人生が始まりました。
そんな誤解、偏見、差別に対して、日本だけでなく、世界中で多くの方々が様々な地道な活動を続けてきた結果、1990年のWHOのアクションに繋がりました。WHOでは、2022年からは性同一性障害という言葉も性別不合という表現に代わり、セクシュアルヘルスの項目にて位置付けられることになっています。
「OUT IN JAPAN」について
いまの時代が存在しているのは、それらの多くの活動家、専門家の方々による取組みはもちろんですが、世界中に暮らす、様々な年齢、国籍、職業、文化背景を持つLGBTQの当事者たちが、自らの家族に、友人に、職場の仲間に、地域の人たちに、自分のセクシュアリティに関してのカミングアウトを重ねてきたからだと思っています。数え切れないほどの無数のカミングアウトを通して、それぞれが自らの存在を示し、周囲に認知や理解を広げてきてくださったおかげであり、それはいま現在も続いています。
私たち、グッド・エイジング・エールズでは、2015年春に「OUT IN JAPAN」というプロジェクトを始めました。日本で暮らすLGBTQの当事者のポートレートを、世界的なフォトグラファーLeslie Keeが撮影し、写真展やWEBサイトなどで、参加者のメッセージとともに公開してきました。これまでに、東京・大阪・名古屋・福岡・仙台・札幌・広島・瀬戸内・沖縄・金沢の10都市で合計20回の撮影会を行い、シンガポールや台湾にもひろがり、約2,000名の方々にご参加をいただいています。
コロナ禍でもできることがないか、ということで、3月31日から、「OUT IN JAPAN」の写真集をつくり、日本全国の図書館や学校に送ろう、というクラウドファンディングを開始。本日、IDAHOBITが、その最終日でもあります。
IDAHOBITについて知っていただくために、クラファンの最後の後押しのために、何か自分にもできることがないかと思い、今朝、思い立って、このコラムを書き始めました。
電通の上司への叶わなかったカミングアウト
先月、私は45歳の誕生日を迎えました。実は、私にとっては、とても特別な誕生日でもありました。16年間務めた電通で、初めてカミングアウトしたいと思った信頼できる上司であり、後にグッド・エイジング・エールズをつくるきっかけをくれた鈴木康元さん。実は、彼が亡くなったのが、45歳の誕生日を迎えた5日後でした。
大学4年生の冬に初めて新宿二丁目で同じゲイの友人ができ、その後、オーストラリア・メルボルンに留学して自分らしく暮らす経験をした私でしたが、帰国した後、2001年4月に入社した電通では、再びクローゼットに戻って働き始めていました。
みなさんが想像する通り、当時の電通は、それはそれはマッチョなカルチャー。新卒で入社した同期たちはひどい残業の合間をぬっては、飲み会に合コンに大忙し。さらに入社1年目は、部署や大学の先輩からもセッティングを頼まれます。もちろん、私にも何度もお誘いや要請があり、「ゴンは、合コンに参加した人」という履歴を残すためだけに数回顔を出したりしましたが、「プレゼン前で無理」「年上好きだから若い人はちょっと…」「健康診断でひっかかり酒抜き中」と、駆使できる嘘を大量生産して、できるだけ避けていました。1年くらい耐えると、部署に次の新入社員が入ってきて、そのうち自分へのお誘いの数も減ってきて、少し安心していました。
マーケティング&ストラテジーの部署で、メインの担当はHonda。特に海外のコミュニケーション戦略や発信に関わる仕事を担当していました。2年目にもなり、独り立ちだ、と飛び込んできたプロジェクトが「Honda Korea」の立ち上げ。ちょうど、日本車の関税が下がったりして、Hondaが4輪販売のための現地法人をつくるというものでした。学生時代に、第3外国語で韓国語を履修していて、入社直前にソウルに2ヶ月語学留学していたこともあり、現地にも友人がいて、とてもワクワクするものでした。
仕事自体は、とてもやりがいのあるものでした。海外プロジェクトはスタッフも限られ、若手は私ひとりで、生活者調査、戦略立案、クリエイティブ制作に加え、会社のPR、ディーラーの設計など、様々な企画に参加することができ、日々学ぶことばかり。
ですが、浮かれるのもつかの間。仕事でたちはだかるのは、韓国の文化でした。ご存知かもしれませんが、韓国は日本以上に男尊女卑、男性中心主義、ホモソーシャルの古い風土。年間何度も出張をしていたのですが、現地に行くたびに、打ち合わせを終えたあとは、韓国チームも日本チームも一緒にご飯をたべ、お酒を飲み、そのあとは、男性だけが残り、女性が接待する店に行く。それが、当たり前でした。そして、唯一の若手である私に求められるのは、その盛り上げ役。
仕事でクタクタになりながらも、韓国ソジュで乾杯し、日韓のおじさまたちを、お店の女性とともに、カラオケで盛り上げる。「これも仕事だ」と自分に言い聞かせて、明るく元気にはしゃぐふりにも疲れ、チームの何名かが女性を連れて店から出て行く姿に抱く怒りと諦めの混ざったような感情を飲み込むのにも、限界がきていました。顔にも出ていたのかもしれません。
その私に声をかけてくれたのが、当時の海外チームの上司である康元さんでした。
「あれ?ゴン、おねえさんがいる店、もしかして、嫌い?」
え?なんで?やばい、バレてる?とっさに、自動的に、「そんなことないっすよー。いきましょうよー」といつもなら答えるところでしたが、この日は、本当に疲れていたこともあり、一瞬、そのセリフを飲み込んだ自分がいました。でも、自分がゲイであることはバレてはいけない。でも、この飲みの渦からは抜け出したい。いろいろと考えた挙句、
「実は、そうなんです。女性が接待して、男性が接待される。という構造が好きじゃないんです。気分が良くないというか……」
と伝えました。精一杯の言葉でしたが、実際、いつも感じていることでもあったので、自然に出てきた言葉でもありました。
「そうだよなぁ。早く言ってくれよー。ごめんな。海外チームなんだから、グローバルな意識持たないとな」
それ以降も、韓国出張のたびに飲み会がなくなることはありませんでしたが、康元さんは私への誘いを、「こいつは仕事が残っているから」「私が代わりにいきます!」などの理由をつけて、すべてブロックしてくれるようになりました。仕事の一部だと思ってはいたものの、やはり、ストレスになっていた時間がなくなり、本当に仕事に集中できるように。
彼は、仕事においても、本当に信頼できる上司でした。チームのみんなのことを、大きな懐で構えつつ、優しく見守っているような。若いスタッフが意見を言いづらい会議でも、あえて、声をかけて声をひろったり、「それ、いいねー」と声に出して相槌をうったり。ソウルでの出来事以降、その康元さんの行動や発言を気にするようになると、いろんな気遣いや配慮が見えてきたりもしていました。
プロジェクトが始まって1年がたったころでしょうか。どこかで、康元さんだったら、自分のことを伝えても良いかもしれない。自分のことをきちんと伝えて、その上で仕事で頑張っていきたいことなども色々と腹を割って話をしたい。彼のもとで、ずっと働きたい。と思いはじめていました。
他のチームメンバーなどがいない、二人きりで話す機会が持てたら、カミングアウトしよう。その心の準備を整え、タイミングを見計らっているときでした。
お盆休みの暑い夏の日。康元さんが事故にあったという知らせが、チームの連絡網に入ってきました。千葉の海でサーフィンをしている時に、足元をすくわれたのか、水面に浮いている姿が仲間たちに発見されたのです。すぐに病院に運びこまれましたが、数十時間後に、息をひきとりました。
ぽっかり胸に穴があいてしまった感覚でした。大切な先輩が亡くなってしまったショック。そして、そのあと押し寄せたのは、後悔に似た感情。どうして、自分はもっと早く伝えなかったのだろう。あんなに信頼できる上司だったのに。どうして、嘘の関係を続けてしまったのだろう。大切だと思った人とも、人間関係をきちんと築いていけない、そんな人生でいいんだろうか。忙しい毎日に追われながら、いつも、心のなかに悶々した思いがこびりついていまいした。
数年後、社内イントラにアップされていた海外研修制度のお知らせに目が止まり、ふと、康元さんが昔言っていた言葉を思い出しました。「ゴンも、ゴンらしく、いつか、海外で働いてみれば?もっとゴンが活かされると思うんだよね」と。
グッド・エイジング・エールズは、その研修制度を通じて、康元さんが電通入社前に暮らしていたというニューヨークに渡り、現地イベント会社で働いた経験をもとに、帰国して立ち上げた団体でした。一度しかない人生。やはり、自分らしく生きていきたい。周りの大切な人とも、本当の自分で接して歳を重ねていきたい。そんなLGBTQの人たちが、もっともっとたくさん増える社会にしていきたい、と。
そして、その初期メンバーに、私のゲイの友人たちに混じって、ひとりのストレート(ヘテロセクシュアル)の女性が加わっていました。亡くなった康元さんが結婚していたパートナーの、美樹さんです。何度かお会いするなかで仲良くなり、数回目の二人きりでお食事をご一緒した際に、康元さんに伝えられなかったことを、勇気を出して伝えました。そして、その返事に驚きました。
「言ってくれて、ありがとう。でもね、実は、康元から聞いてたのよ。ゴンちゃん、もしかしたら、ゲイなのかもしれないって」
あの時、飲み会をブロックしてくれたのも、「ゴンらしく、海外で働いてみれば?」という言葉も、私のことに気づいていたからなのか。いまでは、わかりません。でも、康元さんの行動と言葉によって、私の人生は大きく変わったと思っています。心から感謝しています。45歳の誕生日は、美樹さんとふたり、ひっそりと乾杯しました。
「はじまりはありがとう」
「OUT IN JAPAN」のクラファンにあわせて、撮影会の様子をまとめたプロジェクト・ムービーを制作し、公開しました。2015年の立ち上げから数えて、3本目のムービーです。過去2作品にも楽曲を提供してくれた友人のシンガーソングライター天童清貴さんが、今回も書き下ろしの曲を寄せてくれました。タイトルは、「はじまりはありがとう」です。康元さんへの気持ちにも重なるような、とても前向きであたたかい曲です。ぜひ、多くの方々に、ムービーとともに、届くといいなと思っています。
カミングアウトは選択肢のひとつです。カミングアウトしたい人がする、したくない人はしない。それを本人以外の人が決めることはできません。強制すること、アウティングもあってはなりません。ただ、カミングアウトしたいと願う人が、カミングアウトしやすい社会はみんなでつくるものだと思っています。
クラウドファンディング も、残り数時間となりました。どうぞ、最後までご支援のほど、よろしくお願いします。
【今年で7年目】カミングアウト・フォト・プロジェクト「OUT IN JAPAN」
LGBTQ 2000人の「自分らしく」を写真集に!全国の図書館や学校などに届けたい!
Source: ハフィントンポスト
電通の上司への叶わなかったカミングアウト、5月17日に考える。