池袋暴走事故、被告が語ったこと「車制御できないと思い、恐ろしくなった」【第7回公判・詳報】

東京・池袋で2019年4月、車を暴走させて母子2人を死亡させ、他9人に重軽傷を負わせたとして、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた旧通産省工業技術院の元院長、飯塚幸三被告の第7回公判が4月27日、東京地裁(下津健司裁判長)であった。

この日は、飯塚被告に対する被告人質問が開かれ、「車が制御できないのではと思い恐ろしくなった」などと事故当時の様子や心境を語った。

弁護側の被告人質問

弁護側の被告人質問では、記憶に基づいて、飯塚被告が事故の様子を証言した。

事故当日、運転前に実際にブレーキペダルを踏んで、足がちゃんと踏めているかや、ブレーキが効いているかをチェックをしたと説明。車や自身の動きについていずれも「問題はなかった」と述べた。

事故が起きる直前、現場の手前のカーブを曲がった際「思ったよりも早いスピードだった」と説明。「アクセルを踏んでいないのに不思議に思った」と述べた。

その間「右足はブレーキの上に乗せていました」と主張し、アクセルを踏んでしまった可能性を問われると「ありません」と否定した。

車が加速し続けた時の心境については「車が制御できないのではと思うと、恐ろしくなりました。パニック状態になってしまった」と説明した。

その後も事故が起きるまでは「ブレーキを踏んでいた」と主張する一方で、「車は減速しないでますます加速した」と述べた。

2つ目の交差点で松永さん親娘をはねる直前、「視線を落としてアクセルペダルを見ると、床に張り付いた様子だった」と主張。「ブレーキを踏み続けたが、抜けるような感じがした」と訴えた。

今回の事故についての気持ちや考えを問われると「2人のご冥福をお祈りする思いです。松永さんご主人やご親族の悲しみを思うと、居た堪れない思いです」と述べた。

「記憶に基づいて正直に話したつもりですが、悲惨な事故のことは重く受け止めています」とも語った。

検察側の被告人質問

事故についての被告本人の記憶とドライブレコーダーの映像では、周囲の状況や車線変更の回数など食い違う点が複数あったことを、飯塚被告も認めている。

検察側はこの点を踏まえて、ブレーキを踏んでいたという主張も記憶違いではないのかと追及。「ブレーキではなくアクセルを踏み続けていたとすれば、事故の説明がつくとは考えないのか」と問うたが、記憶違いの可能性を否定した。

被告の記憶と事実とが異なる証拠を並べて「自分の記憶が間違っているかもしれないという気持ちになるのではないか」と重ねたが、「ありません」と否定した。

警察の取調べで「踏み間違えしなかったとは言い切れない」と供述したことは認める一方で、その理由について「間違えて踏んだのではと何度も言われて、そうかもしれないと答えた」と説明した。

高齢で、歩くのに杖が必要な被告が運転する危険性の認識を問われると「認知機能は全く問題なく、運動能力も車の運転については問題ないと思っていた」と返した。

時事通信が報じた起訴状の内容によると、飯塚被告は2019年4月19日、ブレーキと間違えてアクセルペダルを踏み続け加速。赤信号を無視して横断歩道に進入し、松永真菜さん(当時31)と娘の莉子ちゃん(同3)をはねて死亡させたほか、9人に重軽傷を負わせたとされる。

遺族が記者会見

亡くなった松永真菜さんの夫拓也さんらはこの日も、被害者参加制度を利用して審理に参加。公判終了後、司法記者クラブで記者会見を開いた。

松永さんは記者会見で「裁判を終わった後、虚しさと悔しさを感じた。加害者の人間性がよく出ていたのではないかと思いました」と説明。「簡単にご冥福を祈るとか言わないで欲しい」と述べた。

松永さんの父親、上原義教さんも「二人が戻ってこないと悔しさを、どこにぶつけていいのかわからない。被告本人に、毎日どんな思いで生活しているのか聞いてみた」と述べた。

6月に開かれる被告人質問では、松永拓也さんと上原さんが飯塚被告に直接質問する予定。

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Source: ハフィントンポスト
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