ウクライナに侵攻したロシアがスポーツ界から除外されている。
3月4日に開幕した北京パラリンピックも、ロシアとベラルーシの選手が出場禁止となった。
「政治的中立」を掲げるオリンピック・パラリンピック。だがその歴史を見れば、開催国の政治事情やその時の国際情勢が色濃く反映されてきた。
自国の政治判断の影響で、選手たちが大会参加や活動を厳しく制限されることについてどう考えたらいいのか。
オリンピックやパラリンピックの歴史に詳しい中京大学の來田享子教授は「選手はそもそも国からは中立的な存在として競技に参加している」と説明する。
オリンピック憲章は「オリンピック競技大会は、 個人種目または団体種目での選手間の競争であり、 国家間の競争ではない」と定めている。
ウクライナ侵攻を受けて、国際パラリンピック委員会(IPC)は当初、ロシアとベラルーシの選手について、国名など使わない「中立的な選手」として個人資格での出場を認めていた。
そこから一転。IPCは「選手村の状況がエスカレートし、制御できなくなっている」などとして、参加禁止を決めた。
來田教授は「国同士の争いの状況から、そのような中立的な存在であり続ける精神を選手に維持するように働きかけることにも限界がある」と語る。
過去に、参加国が「戦争責任」を問われて、出身選手が大会に出場できなかった例がある。
第2次世界大戦後、初めて開かれた1948年のロンドン大会だ。敗戦国となった日本とドイツは戦争責任を問われ、大会に招待されなかった。日本は参加の道を模索していたが、叶わなかったという。
來田教授は「この対応は、日本人選手を守る意味もあったといえます」と説明する。
「開催地のロンドンがあるイギリスにおいては、ナチスドイツに対してだけでなく、日本に対する怨恨がありました。戦争中に旧日本軍が捕虜へのひどい扱いをするなど、日本人を許せないという感情が強かったのです。そのため、大会が大規模なデモや暴力的な行為によって混乱するのではないかとの見方がありました」
この北京パラリンピックでは、出場できなくなったロシアとベラルーシの選手たちの一部が、SNSでやりきれない思いをつづる様子も伺えた。
「今の状態で大会に出場することは、北京オリンピックでドーピング問題があったワリエワ選手の時と同様に、世界からの非難の的になります。メディアに見解を聞かれ、公的な立場では話せないことを抱えながら、冷たい視線に晒されながら選手村で過ごすことになります」
IPCは「参加者の安心安全の確保」などを判断理由にあげている。來田教授は「(混乱した状況に)選手を放り込むことのリスクも考える必要があるのではないでしょうか」と受け止めた。
ウクライナの選手たちからすると、ロシアやベラルーシの選手と競技するのは受け入れ難いという心情もある。
ウクライナ・パラリンピック委員会のワレリー・スシュケビッチ会長は3月3日の記者会見で、ロシア勢が国際スポーツの場から除外されることについて「ひどいことをした国には、当たり前のこと」と述べた。
ロシアで開催された2014年ソチ大会の時期にも、ロシアがクリミア半島をめぐる軍事行動を断行。ウクライナは一時大会のボイコットを検討した。表彰台で、首にかけられたメダルを隠して抗議の意思を示すウクライナの選手もいた。
こうした政治の緊迫状態が、当該国同士が対戦した試合で表面化してしまった歴史もあると來田教授は指摘する。
「(ウクライナがロシアやベラルーシと)万が一対戦することになった場合に、1956年メルボルン大会におけるハンガリー対ソ連の水球のような、流血の試合(※)が繰り返される可能性もあったかもしれません」
「今回のIPCの判断は、ロシア・ベラルーシの選手たちに対する制裁というよりは、大会を安全に選手たちの心の平安を保った状態で開催するための措置、という理解をしています」
(※編集部注:民主化を求めたハンガリーにソ連が軍事介入し、緊迫状態にある両国がメルボルン大会の水球で対戦。「メルボルンの流血戦」と呼ばれる、乱闘で選手が血を流す事態に発展した)
一方で、国際オリンピック委員会(IOC)は2月28日、ロシアとベラルーシの選手・役員の国際大会参加を認めないよう各国際競技団体に勧告。
国際サッカー連盟(FIFA)などの国際競技団体が、ロシアとベラルーシの選手らの大会への参加停止・禁止を相次いで表明し、両国がスポーツ界から締め出される結果となった。
來田教授は、IOCの判断について「現状のルールでは、政治的中立を欠いたとの理解も可能」と断った上で「オリンピック史の中では異例といえる制裁がスポーツを通じても可視化される状況によって、なんとしても現在のロシアを止めなければという判断だと考えられる」と語る。
「ロシアは、オリンピック休戦期間にも関わらず、世界を1930年代に引き戻すかのような行動をとり、世界を混乱させ、命を奪っています。このことは許しがたい暴挙です」
來田教授はまた、アメリカのアフガニスタン侵攻やイラク戦争を例に挙げ「この時には、西側諸国が非難され、選手の扱いについてこのような混乱が起きることもありませんでした」とも指摘する。
「今回は、欧米諸国の安全保障に対する危機感、核の脅威のために、戦争がスポーツに与える影響が目に見えるものになりました。しかし、オリンピック、パラリンピックは、その成り立ちのために欧米の価値観を中心に動く傾向が残っています。アジアやアフリカなどでも大会開催中に紛争がなくなったことがないという事実を忘れてはならないと思います」
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ロシアとベラルーシ勢の「出場禁止」は必然なのか。オリパラの歴史から読み解く「除外」の背景