ライターの西森路代さんと交互につづる、「食」にまつわるリレーコラム。先月(2022年10月)から始まって、2回目が私です。西森さんが書かれたのは、映画『花様年華』についてのこと。
ああ、もう22年前の作品なんだなあ…ウォン・カーウァイ監督作品、当時私は編集仕事の末端についたばかりで、試写会で本作を観たんだった。とにかくマギー・チャンとチャイナドレスの融合が完璧に美的で、「すごいな」と圧倒されたことを最初に思い出す。衣装と着る人の見事なまでの一体。だけどそれは幸せや華やぎを表現するものではなく。
「この映画の食事は、別段、おいしそうなわけでも、共に食事をする喜びが描かれているわけでもない」
西森さんも書かれていたが、食のシーンというと団欒(だんらん)や和気あいあい、お祝いなどの晴れやかさを強調されることが多い。『花様年華』は真逆の映画だった。そして私はなんだか、同様の映画ばかり思い出してしまう。
「食と孤独」その原点
野村芳太郎監督の『配達されない三通の手紙』(1979年)は地方の名家が舞台。豪華な食卓は毎回悪意ある発言によって不穏にかきみだされる。市川崑監督の『細雪』(1983年)では一流の中国料理店や西洋料理店でお見合いがなされるが、ことごとくうまくいかない。ごちそうをいかにも味気無さそうに口へ運び、無言をつらぬく吉永小百合が示す冷ややかで確固たる拒絶。
逆にエリック・ロメール監督『緑の光線』(1986年)では主人公の女性がカフェやガーデンランチなどの場において、思いのたけを自由に話すことで、周囲からだんだんと浮いていく様が痛々しく、ドラマティックだった。夏のバカンスシーズン、南仏の陽光の中で孤独に悩むヒロイン。お酒や食事をのんびり楽しむ人々がその様を際立たせる――。
私は「食と孤独」というシークエンスに引き込まれるのかもしれない。思えば私の「社会的食風景」の原点は小学校の給食で、かなりの偏食だったから、掃除中も放課後もぽつんとひとり残って、給食と向き合っていた。ほこりっぽい掃除中に食事をさせられるのは嫌だな…と感じていたのを覚えている。
小学1年生の頃、グリーンピースがどうしても食べられず、あるとき担任の教員が(先生、とは呼びたくない)無理やり私の口に入れ、手で押さえつけて食べさせた。3粒だった。激怒したとき額に出るようなシワのよった見た目のグリーンピースが喉に通っていった感触が忘れられない。
別に恨みには思っていないが、もっと別のやり方があったんじゃないかと思う。長いことグリーンピースは忌み嫌っていたが、30代のある日「ひょっとしたら今、食べられるかも」となぜか急に思い立ち、豆ごはんを炊いて食べてみたらおいしかった。心の中で「あのときの教員」がお焚き上げされたような、煙となって成仏したような気持ちになった。
ふいに訪れる「舌の発見」
偏食に関して、ひとつ思い出がよみがえる。
当時やっぱり学校側から親にいろいろ連絡(改善相談?)があったようで、母は多様な味に慣れさせようと努力してくれていた。好物のハンバーグをかじった瞬間「いつもと違う!」と感じ、出してみればごく細かく刻まれたニンジンとピーマンがミンチの中からぽろぽろと。7歳ぐらいの私は「ここまでやるのか……」と妙にあっぱれな気持ちになって、頑張って少し食べた。
私は今ペットを飼っているのだが、病気のとき「薬を飲まなければ細かく砕いて好物のエサに混ぜて与えてみてください」と言われるたび、当時の自分を思い出す。
その後、小学4年生のときトマトが急に好きになり、中学1年生のときには、母が父のつまみ用に作っていた「シイタケのホイル焼き」の匂いに誘われて食べてみたところ、病みつきのように好きになった。
そして翌年、見るのも嫌だったナス漬けにトライする気になったのは、我ながらなぜか今も分からない。思い切って口に入れれば「なんだ、別に毛嫌いするほどの味でもないな」と感じるに至り、私の好き嫌いはほぼ無くなったのだった。
すべての子がじきに偏食でなくなる、というわけもないが、今ちょっと大変なお子さんたちが周囲から長い目で見てもらえるといいな、とよく思う。「おや? なんとなく嫌いだったけど、食べてみたらなかなかうまいぞ」なんて舌の発見は、かなり面白いものだから。
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
「食と孤独」の原点は小学校の給食。偏食だった私は「舌の発見」でグリンピースが食べられるようになった