『82年生まれ、キム・ジヨン』や『はちどり』など、男性中心的な社会における女性の抑圧や苦境を描いた話題作を世に送り出してきた韓国から、新たな映画が届いた。
北海道・小樽で撮影された『ユンヒへ』は、20年以上会っていない初恋の女性から、韓国に住むシングルマザーのもとに手紙が届き、それを知った娘が母親を誘って日本に会いに行く物語だ。韓国ではファン集団が生まれるほどに熱い支持を受け、日本でも公開を望む声が多くあがっていた本作が、1月7日に封切られた。
『ユンヒへ』は、中年のレズビアン女性2人のラブストーリーであり、日韓の国境、そして世代をこえた女性たちの物語でもある。本作が長編2作目となるイム・デヒョン監督は、公開を迎えこう語っている。
「韓国と日本の女性は確かに違います。しかし、男性中心的な社会秩序が強固に成立した国で生きてきたという点では似ていると思いました。『ユンヒへ』で東アジアの女性たちが互いに連帯し、愛を分かち合う姿を見せたかったのです」
「いつになったら良質なクィア映画が見られるのか…」
『ユンヒへ』は小規模な作品でありながら、韓国の最も権威ある映画賞「青龍賞」で監督賞・脚本賞をW受賞。「釜山国際映画祭」では、『燃ゆる女の肖像』など欧米の著名な作品をおさえクィアカメリア賞に輝いた。
『ユンヒへ』を支持するのは、批評家たちだけではない。「満月団」(※製作時の仮タイトルが『満月』だった)と呼ばれるファン集団は熱心な応援活動を行い、その熱は日本にまで伝わっていた。
「『ようやく出会えた』。そう思ってくれた観客のみなさんが多くいたと感じています」
日本公開に伴い取材に答えたイム監督は、韓国での大きな反響をこう振り返った。
韓国の地方都市で暮らすシングルマザーのユンヒ(キム・ヒエさん)は工場で給食の仕事をしながら一人で娘のセボム(キム・ソヘさん)を育てている。学生の時、同級生のジュン(中村優子さん)と互いに思いを寄せていたが、同性が好きだと知った両親に病院に連れて行かれ、女性であるが故に大学には進学できなかった。兄の紹介で早く結婚したが、うまくはいかなかった。
一方のジュンは韓国人の母と日本人の父をもち、ユンヒと離れたあと両親の離婚に伴い日本に渡った。叔母のマサコ(木野花さん)と2人暮らしで、自分は韓国人に見えるのではないかと周囲の目を気にしながら生きてきた。
日韓に離れ離れになった2人は、手紙をきっかけに20年ぶりに小樽の街で再会する。
性的マイノリティの人々を描く「クィア映画」は、90年代以降韓国でも増えつつあるが、その多くは男性同士の関係をテーマとしたものだった。2010年代に入ってからは、フェミニズムの盛り上がりや#MeToo運動と呼応するように、女性主人公が増えてきた。それでも、『ユンヒへ』のように、中年の女性が主人公の作品はほとんど見られなかった。こうしたクィア映画をめぐる状況は、日本にも通ずるものがあるだろう。
「いつになったら韓国でも、欧米で作られるような良質なクィア映画が見られるのか。中年の女性の同性愛がテーマで、セクシーさが強調された女性ではなく、『ただそこに生きているだけの女性』がいつ登場するのか。
以前から、こういった映画を待ち望んでくれている人たちが多くいたんだと思います。レズビアンやクィアの女性たちに届いたことを本当に嬉しく思っています」
当事者ではない自分が撮るということ
男性である自分が、レズビアンの女性を主人公にした物語をどのように作り上げるか。そこには監督自身、迷いもあったという。シナリオを書くにあたり、当事者に話を聞きリサーチを重ね、時に自分自身を疑うこともあった。
「『ユンヒ』という名前は、私の母が若い頃に恋愛をしていた時に使っていた仮名で、はじめは母の物語を撮ろうと思っていました。
一方で、心の中でLGBTQを題材とした映画をいつか撮ってみたいという気持ちがありました。ただ、レズビアン女性の物語は、私は当事者にはなれず、あくまでも『観察者』としてアプローチしなければならない。自分には撮れない境地だと思っていましたが、同時にこれ以上顔を背けることもできないとも感じていました。
もし、彼女たちを自分とは違う存在、遠くの存在だと思っていたら、このような映画にはならなかったでしょう。愛という感情や、誰かを切なく恋しく思う気持ちは、私も知っています。『ユンヒへ』は、私自身の物語でもあり、すぐ隣にいる人の物語でもあります」
雪が深々と降り積もる冬の小樽を舞台にした『ユンヒへ』は、とても静かな映画だ。それは、ユンヒとジュンが世間から抑圧され、抱えてきた悲しさの表れでもあるだろう。映画の大半において2人は別々に映っており、共に過ごすシーンは一時しかない。それぞれの思いは、手紙の中で伝えられる。
レズビアン女性を描く映画は、時に女性の身体がポルノ的に消費される描写が見られる問題が指摘されることもあるが、監督は「セクシーさが強調された女性ではなく、ただそこに生きているだけの女性」を描きたかったと語り、『ユンヒへ』にはそのような表現は見られない。ユンヒはジュンとの再会を経て、新しい人生を歩み始める。
「性愛やセクシュアルな描写は大切な部分でもあるので、映画における表現のひとつとして強調することもありえるとは思います。ただ、私としてはまず当事者ではないために、そうしたシーンを確信を持って撮ることはできないと感じていました。
同性愛者だからといって、他の人と何か違うものを持っているわけではありません。誰もが共通する感情を持っていて、他者や社会と接点があり、その中で人生が築かれていく。『ユンヒへ』では、彼女たちを対象化、記号化することをせず、この社会で生きている一人の人間として描きたかったのです」
古い時代を振り返ることには価値がある
イム監督は、前作『メリークリスマス、ミスターモ』では余命宣告を受けた中年男性を主人公にした。1986年生まれの監督が、自分より上の世代の姿に関心を持つのはなぜだろうか。
「確かに私はまだ中年ではないですが、これから中年、そして老年になります。年を重ね老いることからは誰も逃れられない。そうなった時に若い人から蔑まされたり後ろ指をさされたりするのは、すごく怖いことだと感じます。
若い世代は時として、上の世代に嫌悪感を抱くことも少なくありません。でも、尊敬できる中年・老年の人たちもいます。韓国で生きる私たちより前の世代は、今よりもっとひどい様々な差別を経験し、社会的な体系が整わず、経済的にも苦しい時代をどうにか耐え、生き抜いてきました。
古い時代を振り返ることには価値があり、これからどう生きていけばいいか考える手助けになるのではないか。そう考え、『ユンヒへ』では、一つ前の世代のレズビアン女性にはどんな苦労があったのか想像することからスタートしました」
ユンヒとジュンが恋人同士だったのは、今から20年以上前のこととして描かれる。女性であり同性愛者であり、ユンヒは離婚経験者であり、ジュンはミックスルーツである。いくつにも折り重なったそれぞれの境遇から、家族や社会から傷つけられ、アイデンティティを隠して生きざるを得なかった。
そんな2人をすぐ隣で見守っているのが、娘のセボムと叔母のマサコである。監督は、ユンヒとセボム、ジュンとマサコの関係を「人生の同伴者」という言葉で表現する。
特にユンヒとセボムは対照的に映る。女性であるが故に大学に通えなかった母親に対し、娘はソウルの大学に進学する。「セボム」とは韓国語で「新しい春」を意味する言葉だ。
映画では「カメラ」が印象的に登場する。ユンヒは大学に通えない代わりに母親からもらったカメラをセボムに譲り、母娘は互いを撮り合う。世代をこえて女性たちの間で受け渡されていく「カメラ」に監督が託したものはなんだったのか。
「たとえば、父親から息子へという男性同士の場合は、精神性も物質も世代にわたって引き継がれていくと思います。しかし、母親から娘へ伝承するものを描こうとするとき、ただ『引き継ぐ』ということだけでは表現できないものがあるのではないかと考えました。つまり『断ち切る』ということです。
母は、ユンヒに大学に行かせられず、その罪悪感からカメラをあげた。そして、ユンヒはそのカメラをセボムに渡し、ジュンに会う姿や、『女性は吸うべきではない』とされるタバコを吸う姿を見せます。
そういう姿を見せることで、あなたは私のように抑圧されて生きなくてもいい、女性を蔑視したり差別したりする時代を断ち切って、これからは勇気をもって生きてほしいという思いが込められていたのではないでしょうか」
差別が根強く残る韓国社会で「変化を促す力に」
近年の韓国の映画やドラマでは、性的マイノリティの人々が登場することも増え、クィア映画を上映する映画祭なども行われている。
しかし、現実社会では偏見や差別は根強く、マイノリティの人々の権利を守るための法律や制度は不十分な状況にある。日本と同じく、韓国では同性婚が法的に認められていない。2021年の調査では、20〜30代の世代は半数以上が同性婚の法制化に賛成しているものの、全体では反対が52%と、賛成の38%を上回っている(世論調査会社の韓国ギャラップ調べ)。背景には、性的マイノリティを排除しようとする保守派の勢力拡大などがあると指摘されている。
「1本の映画が世の中を変えることは難しい」。そう話すイム監督だが、それでも映画をはじめとしたアートのもつ力を信じており、映画監督として、この社会で生きる人たちを見つめ続けていきたいと語る。
「LGBTQに関する映画が1本2本と増えていってほしいと思います。劇映画以外でも、ドキュメンタリー、アニメ、漫画、様々なアートがそうであってほしい。そうすることで、目には見えなくとも、変化を促す力になることができるはずです。
本当のことを言えば、すぐにでも世の中が変わってほしいけれど、社会の変化はどうしたって遅いものです。遅いことによって、何らかの問題に巻き込まれ、マイノリティの人たちが傷つけられたり命を絶ってしまったりと、痛ましい現実があります。
これから私たちが進んでいく道は長い道のりになるかもしれません。けれど、進むべき道であることは確かなのだから、ためらわずにどんどん前へと進んでいきたい。たとえ少しずつであっても、社会が変化してほしいと思っています」
(取材・文 =若田悠希 @yukiwkt)
作品情報
『ユンヒへ』
2022年1月7日(金)シネマート新宿ほか全国ロードショー
監督・脚本:イム・デヒョン
出演:キム・ヒエ(『密会』「夫婦の世界」)、中村優子(『ストロベリーショートケイクス』『野火』)、キム・ソへ(元I.O.I)、ソン・ユビン、木野花、瀧内公美、薬丸翔、ユ・ジェミョン(特別出演)ほか
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「ようやく出会えた」女性同士のラブストーリー。日韓をまたぐ愛と連帯を描いた映画『ユンヒへ』