「聴こえる人と結婚しなさいね」と言った母
「将来、もしも結婚するとしたら、聴こえる人としなさいね」
幼い頃、母から言われた言葉だ。耳が聴こえない彼女は、ぼくに対し何度もそう言った。どうしてそんなことを言うのか。当時は母の真意がうまく理解できなかった。
あのとき母がなにを思っていたのか、ようやく理解できるようになったのは大人になってからだ。きっと彼女は、「わざわざ苦労しなくていい」と言いたかったのだと思う。でも、それはまるで、彼らの存在自体を否定する言葉ではないか。
聴こえない親に育てられる、聴こえる子どもたち――コーダ(CODA,Children of Deaf Adults)。
コーダが結婚するとき、親の障害が問題になってしまうことは珍しいことではない。「もしも聴こえない子どもが生まれてきたらどうするの」という偏見が相手側にあったことで、結婚自体が取りやめになってしまったケースも耳にする。その考え方は、ほんの少し昔まで存在していた優生思想となにも変わらないだろう。
逆に、ぼくの母のように、聴こえる人と結婚することをコーダに望む、聴こえない親もいる。それは前述の通り、コーダに対して苦労を背負わせたくないという想いから来るものだ。自己否定をしてでも、子どもの幸せを願う。その気持ちはわからなくもない。
でも、どんな人にだって自分の幸せを主体的に選ぶ権利があるはずだ。障害の有無によって、選択が狭められてしまうのは、あまりにも哀しいことではないだろうか。その根底にあるのは、健常者優位の考え方だ。それがいつまでも存在している限り、聴こえないことと聴こえることは対等にはならない。
そんな現実に「ノー」を突きつけるように生きる、ひとりのコーダがいる。彼女の名は、岩田真有美さん。日本とアメリカ、ふたつの国で暮らした経験を持ち、現在はアメリカ人のパートナーとの間にふたりの子どもも生まれた。その生活は幸福で満ちているが、過去には社会からの抑圧も感じていたという。
過去を振り返り、岩田さんはなにを思うのか。その胸中を聞いた。
聴こえない家族を否定されたくない、という想い
幼い頃の岩田さんは、ろう者の祖父母と両親に囲まれ日本で育った。ひとりっ子の岩田さんにとって、周囲にいた大人はほとんど聴こえない人たち。幼い頃から、聴こえる岩田さんが「マイノリティ」である環境だった。
「聴こえない人たちと一緒にいるほうが、断然、楽でした。手話で思う存分話せますし。逆に、手話がまったく使えない親戚のところに遊びに行くと通訳をする必要もあるし、間に挟まれることに疲れてしまって。子どもの頃から、わたしにとって手話はとても大切なものだったんだと思います」
中学校を卒業すると同時に留学していたこともあり、自然とアメリカの大学を志すようになった。後に進学した大学で出会ったのが、現在のパートナーだ。彼も耳が聴こえないという。
「大学生の頃、彼は手話を教えるチューターをしていたんです。それで知り合い、交際に発展しました。彼がろう者であることは、まったく気にならなかった。むしろ、子どもの頃から『将来は、聴こえない人か手話ができる人と結婚する』と思っていたんです。聴こえる人と結婚して、手話がまったく存在しない環境にいる自分は、想像できませんでした」
もちろん、聴者と付き合ったこともある。けれど、そこで「ろう文化を理解してくれないことに対する悔しさ」を感じることが多かったそうだ。
「昔、付き合っていた人から『きみの両親には会いたくない』と言われたことがあったんです。手話がわからないから、わたしの両親とうまくコミュニケーションが取れない、と。それは、とても悔しい言葉でした」
そのときの岩田さんの胸中にあったのは、「聴こえない親を否定されたくない」という痛みにも似た想いだ。
「耳が聴こえなくたって、家族はとても大切な存在です。それを否定されるのはすごくつらかった。でも一つひとつ説明して、わかってもらうのはなかなか難しい。たとえば手話で通訳しても、ろう文化を知らない聴者にはうまく理解できないことがあります。その壁は越えられないんだ、と思いました」
「だからといって、家族の耳が聴こえていれば、こんなに悩まなくて済むとは思いませんでした。わたしにとって、それが当たり前のことなので。その環境を受け入れられないと拒否されれば、仕方ないと諦めるしかなかったんです」
聴こえない人と結婚するのは、苦労なのか
家族を否定してほしくないから、手話やろう文化に理解のある人と結婚したい。岩田さんがそう願うのも、自然なことだろう。
岩田さんが子どもだった20年ほど前は、いまよりも障害者への理解が進んでいなかった時代だ。あからさまな差別や偏見が横行していたし、優生保護法という悪法も存在していた。そんな逆風の中、懸命に自分を育ててくれた家族を誰よりも大切に思うのは、当然だ。
しかし、岩田さんの家族は、当初は彼女がろう者と結婚しようとするのに反対したという。
「わざわざ苦労する道を歩まなくたっていい、と言われました。聴こえる人と結婚したほうが経済的にも安定するし、落ち着いた生活ができるからと。きっと、わたしの未来を思ってのことだったんでしょうね。彼らは聴こえないことで散々大変な目に遭ってきた。だからこそ、聴こえるわたしには苦労してほしくなかったんだと思います」
アメリカに住んでいた頃、岩田さんはろう学校に勤務していた。この仕事についても、当初は不安の声が上がった。
「ろう学校で働かなくたっていいでしょう、と不安な顔をされてしまいました。そこでもまた、『大変な想いをしなくていいんだから』と言うんです。でも、それって、聴こえない自分たちのことを真っ向から否定していますよね。そんなことを彼らに言わせてしまうなんて、どれだけ社会的に抑圧されてきたんだろう、と悲しくなります」
岩田さんが家族に言われた言葉と、ぼくが母から言われた言葉が重なる。子どもには苦労させたくない。だから、ろう文化とは距離を置きなさい――。愛情から生まれたその言葉は、当事者である聴こえない彼ら自身を否定する言葉でもある。
けれど、岩田さんは自分の意志を貫き通した。聴こえないパートナーを得て、ろう学校で聴こえない子どもたちを教育してきた。岩田さんの選択は、もしかしたら彼女なりのメッセージなのかもしれない。「聴こえないことは、恥ずべきことなんかではない」と。
胸を張って生きる岩田さんの姿を見て、いまでは家族も応援してくれているそうだ。
「みんな、わたしの生き方を見て、すごく喜んでくれています。子どもはふたりとも聴こえますが、我が家では“家庭の言葉”として、手話を自然に使っているんです。彼らにもろう文化に触れてもらうことで、わたしの家族ときちんと手話で話してもらいたいから。環境的には、日本語、英語、日本手話、アメリカ手話と、4つの言語に囲まれています。なので、ちょっと大変そうではあるんですけどね」
コーダである自分を、もっと頼ってほしい
アメリカと日本、ふたつの国でろう者の家族と暮らす経験を持つ岩田さん。その目にはそれぞれの国の違いはどう映っているのだろうか。
「一概には言えませんが、根本的にはあまり変わらないような気がします。アメリカでも、あるとき聴者の医師から『あなたのパートナーは、聴こえないのに車の運転ができるの?』と言われたことがあって。聴こえなくたって運転はできますよね。でも、いまだにそういう認識の人がいる。国の違いは関係なくて、知識の差なんだと思います」
「一方で、アメリカに住むろう者たちは、自分たちにも権利があることを主張しようとしているように見えます。わたしの祖父母は『手話なんか使っちゃいけない』と言われる時代を生きてきた人たちなので、そもそも権利を主張しませんでした。だから、簡単な手話を使える聴者と出会うとそれだけでうれしいみたいで、やたらと感謝する。でも、ろう者にとっては手話が言語なんだから、過剰に感謝しなくてもいいと思うんです」
手話を使ってくれることがありがたい。もちろん、謝意を表すのは悪いことではない。けれど、そろそろもう一歩踏み出して、「わたしたちと会話するときには、ちゃんと手話を使ってください」と当然の権利を主張してもいい気がする。
「これは特に聴こえない家族に対して思うことですが、もっとコーダであるわたしのことを頼ってもらいたいんです。ろう者のことをあまり知らない聴者からすると、やはり聴こえるコーダのほうが近い距離にいるんだと思います。だから、声が届きやすいのではないかな、と」
「だからといって、わたしは聴こえない家族の声を奪おうとは思っていません。コーダとして生まれたことを活かして、彼らと手を取り合って社会にメッセージを送りたい。そうすることがわたしたちの生きづらさの解消につながっていくと考えています」
インタビュー中、岩田さんは何度も「いまの自分があるのは、聴こえない家族のおかげなんです」と感謝を口にした。いま、岩田さんがろう文化に近いところで生きているのは、もしかしたら彼女なりの聴こえない家族やろう文化への“恩返し”なのかもしれない。
五十嵐 大
ライター、エッセイスト。両親がろう者である、CODA(Children of Deaf Adults)として生まれた。2020年10月、『しくじり家族』(CCCメディアハウス)でエッセイストデビュー。最新刊は『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』(幻冬舎)。
(編集:笹川かおり)
Source: ハフィントンポスト
「わざわざ聴こえない人と結婚する必要ない」ろうの親が娘に伝えた言葉の“本当の意味”