それはただの冗談から始まった。
私はiPhoneからメールやメッセージの通知音を聞くたびにうんざりしていた。夫や子どもたちの前で「このスマホ、ぶっ壊してやる」と真顔で言ったこともある。
そして、その日10回目となる学校からの通知音が鳴った。
「今日の体育で、1年生はフラフープを使って体のコーディネーション能力をつける練習をしました!」
私はスマホを置いて熱帯雨林に引っ越すと家族を脅した。「冗談じゃなく、マジで」と言って、振動するスマホをソファの隙間に押し込んだ。
「もう、ガラケーに変える」
少し計算したあと、冗談が少し本気に変わった。私のスマホ曰く、私の1日の使用時間は毎日3時間半だった。数学専攻ではなかったが、1日3時間半が年間1277時間だということは間違いないと思う。
もしあと40年(80歳まで)生きるとしたら、私はそのうちの6年間をスマホをスクロールすることに費やすことになる。別の見方をすると、残りの人生で起きている時間のおよそ22%をスマホとの睨めっこに使うことになる。
InstagramやTikTokの投稿を見て、笑ったりハートの絵文字を送ったりしているなら、それは有意義な時間の使い方かもしれない。でも、私はそうじゃなかった。毎日3時間半もスマホで何をしていたのだろう。何かを注文したり、チェックしたり?私の人生の6年間は無限で無意味なタスクをこなすことに費やされようとしていた。
それは私だけじゃない。私の年齢層(30〜49歳)のアメリカ人の42%が、「ほとんどいつも」オンラインだと答えている。35歳から44歳の成人は、1日約2時間をソーシャルメディアに費やし、残りのオンライン時間はメールや仕事のスラック、子どもの学校関連のアプリなど義務的なものに使っているのだろう。
スマホを「やめたい」と友人に言うと、いつも同じ反応が返ってきた。「そりゃそうしたいけど…どうやって?」
その通りだ。私はInstagramのフォロワーにコツを尋ねた。ある人は、高齢の祖父を介護している時に覚えたという、ガラケーにSIMカードを入れ替える方法を教えてくれた。他には、高校生が「ガラケークラブ」を結成したという記事を送ってくれた人もいた。でも最も多かった返答は「もしうまくいったら教えてね」というものだった。
というのも、これはみな考えたことはあるが、実際に可能なのかは誰も知らないからだ。
もちろん、世を捨て人里離れたところに住んでいたり、仕事をしていなかったり、世話する子どもがいなければ、スマホを「やめる」ことができるかもしれない。すごく若いか高齢かの方が、どちらかというと辞めやすいのかもしれない。
でも、妻であり作家で、たくさんのクライアントや友人、学校と連絡をとり、ベビーシッターへの支払いや食料品の注文、請求書の送付などをこなす4児の母が、スマホなしでこうした現代的な生活を維持できるのだろうか?
ある土曜の朝食中、私は家族にこう宣言した。
「100日間、iPhoneをやめる」
初日は子どもたちの学年末の登校最終日に設定した。
夫は眉をひそめ「でも、どうやって写真撮るの?」と聞いてきた。彼は私にとって1番重要な機能を知っている。
私は、10歳の娘が「重くて大きくてカッコ悪い」と言っていた、私の古いデジタル一眼レフカメラを探すと言った。
自分の宣言の重さが身にしみるようになったのは、スマホをよく調べ始め、この「ウェルビーイング実験」のために犠牲にしなくてはならないものをリストアップしてからだった。
・カメラ
・カレンダー
・メッセージ
・ソーシャルメディア
・どこでも聞ける音楽とポッドキャスト
・GPS(これなしでは、毎日の大部分を迷子で過ごすことになる)
・アラーム
・天気予報
・運動記録
・ゲーム
・予約
・食料注文
・レシピ
・ネットバンキング
・チケット購入や支払いなど様々なアプリ
・子どもの学校関連のお知らせが来るアプリ
・子どもたちの習い事スケジュール管理アプリ
これらのせいで、私の「母親業」は想像を超えたものになっていた。私はデジタル秘書であり、事実や数字の記録係であり、人間以下の存在だった。
子どもたちとは、予定や目的なく共に過ごす時間はほとんどなかった。
常に文句を言い「もっと余裕が欲しい」と言いながらも、私は機械の操作盤のように次から次へとタスクを切り替えながら日々を過ごしてきた。人間らしいところがあるといえば、苛立ちや焦りを感じるという点くらいだ。漠然と感じていた「母のみじめさ」のようなものを分析しようとしたが、それが子どもたちのせいではないと分かっていた。
その中心にはいつも、光り輝きながら手招きし、全てを飲み込もうとする長方形の「アイツ」がいた。
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宣言から数日後、私は携帯ショップにふらっと立ち寄った。店内で販売されていた2台のガラケーのうちどちらがおすすめかを店員に聞くと、彼は笑って「う〜ん、どちらもおすすめはしませんね」と答えた。
ネットサーチ(スマホでやった)の結果、エメラルド色のNokia2780に決めた(スマホのAmazonアプリから注文した)。この機種は「大きなボタン」と「補聴器対応」が売りだった。38歳の私は、自ら進んで80代の購買層に入った。
携帯電話が届いた時、この実験が私の人生を…少なくとも毎日の3時間半を変えるだろうと思っていた。ガラケーの見た目はとてもつまらなく、誘惑など感じることはなかった。私は「別れ」のメッセージを数通送り、SIMカードを入れ替え、キラキラ光るiPhoneを引き出しにしまった。
最初の数週間は悲惨だった。家族旅行でイエローストーン国立公園に行くため飛行機に乗った時、夫がスマホで娯楽を楽しんでいるのを見て、嫉妬の気持ちと闘った。ガソリンスタンドで車にガソリンを入れる時には、無言で金額が上がっていくのを見ながら手持ち無沙汰に苛立ちを感じた。
連絡先を全て手作業で入力しなければ、着信メッセージが誰からなのかも分からない。
周りの人々がノイズキャンセリングヘッドフォンと鮮やかなスクリーンを片手に幸せそうに時間を過ごしている中、私は送り主も分からず脈略のないメッセージがたまり始めた、役立たずのガラケーを睨みつけた。
影響を受けたのは私だけではなかった。いつも忍耐強い夫が、一夜にして家族のカメラマンになった。(旅行中には、素晴らしい景色や子どもたちを撮るよう夫を小突いた)
テニスキャンプに子どもを迎えに行くのに道に迷い、1時間遅れたこともあった。スマホなしでは、行き方もキャンプの連絡先も分からなかったからだ。
離れて暮らす母は、私が毎日近況報告をしなくなったせいで、孫たちの生活から取り残されたように感じていた。
しかし3週間が経った頃には「熱」が下がり、スマホなし生活の苛立ちにも価値を感じ始めた。
散歩に行けば、歩くだけ。料理する時は、ガーリックの皮を剥くことだけに集中。朝は、毎朝ニュースポッドキャストを流す代わりに、静かな中マスカラを塗る。子どもと添い寝する時も、大人の喧騒の世界に手招きするスクリーンはない。
1度に1つのことをする暮らしを思い出すのは良い気分だった。自分の周りの世界が静かになると、私の脳も静かになった。
私には、好きなように使える3時間半の「自由時間」があると捉えた。ランニングを再開し、日曜日は絵を描いた。罪悪感を抱かず、1日に何時間も小説を読むこともあった。以前は「消失」していた時間が今では「増大」しているように感じた。
スマホなしの世界では、知らないことがたくさんあった。大統領選挙で、どの候補が世論調査でリードしているのか、どのセレブカップルが離婚したのか、遠くに住む高校時代の友人の姪っ子が、ダンス発表会でうまく踊れたのかーー。かつては恥ずかしいと感じるほどの「無知」を、今では心地よく感じるようになった。
友人たちと実際に会った時には、話すほどでもないことは忘れているけど、話したいと思っていたことは覚えていることに気づいた。常に連絡を取り合っていないと、実際に会うことがとても貴重で味わうべき時間だと感じられた。向き合って座り、ハグをし、一緒にいることをシャンパンを開けて祝いたいと思った。
でも、すべての友達が理解してくれたわけではなかった。日が経つにつれ、私の交友関係は狭まっていった。Nokiaの白黒画面ではメッセージも読みきれず、いろんなジョークやお誘いを見逃した。39歳の誕生日にはたくさんのメッセージを受け取ったけど、誰からか分からず返信しなかった。
このような決断は、私の人生を「自己修正」してくれた。これまで広げすぎて手薄になっていた日々の生活を、ガラケーは管理できるサイズに縮小してくれた。
一部の友人にとって、私は友人としての価値以上に面倒な存在になっていた。でも忍耐強い友人たちは、長いメッセージの代わりにたくさんの簡潔な「はい/いいえ」の質問で交流を続けてくれた。私たちは新しいコミュニケーションの方法を考えることを楽しみ、その奇妙さは内輪ネタになった。
次第に子どもたちは、私に「アホロートル(ウーパールーパー)の写真を検索してほしい」とか、「グラノーラバーがもうすぐなくなるから注文しておいて」などと頼まなくなった。私に対する他人からの期待が変化するとともに、自身からの期待も変わっていった。
最高の意味で、自分があまり重要ではないと感じた。
始めた頃は、実験の最後の数週には終わることを心待ちにしていると思っていた。100日目となる9月2日には、私が7歳の時のクリスマスの朝に、サンタがバービーのドリームハウスを届けてくれた時のような感覚になると思っていた。
代わりに、私は時間の感覚を忘れていた。気づいたら100日は過ぎていて、iPhoneにまた戻そうと思った時、私は無気力と恐怖が入り混じったような感覚に陥った。
iPhoneがブラックホールのように、私を再び吸い込み、凄まじい重力で私を押し潰そうと待ち構えていると想像していた。また使い始めたら、一夜であのイライラした気分が戻ってきてしまうのだろうか?
私は積極的にならざるを得なかった。104日目、私は引き出しに忍び寄り、長方形の「アイツ」を手に取り電源を入れた。私はスマホを何に使い、何に使いたくないのかをはっきりと分かっていた。
簡単にできるメッセージ機能、道案内、カメラ機能、同期カレンダーが恋しかった。Eメールやソーシャルメディア、運動記録、Amazonでの買い物は恋しくなかった。
ウェブブラウザを含め、画面を無限にスクロールするようなものは全て削除した。100以上のアプリを削除し、通知をオフにするのに1時間以上かかった。それが終わると、私のホーム画面はいくつかの厳選されたアプリを除き、空っぽになった。
その頃はちょうど新学期の始まりで、学校から親への要求も多い時期だ。私は娘のピアノの先生に、練習時間を記録するアプリは使わないとメールした。息子の野球のアプリは夫にダウンロードしてもらい、夕方練習の管理を任せた。
私が受信するメッセージは少なくなり、それで全く構わなかった。育児(そして生活全般)において最も重要なことの多くは画面の外で起きていると自覚し、スマホを持っても「健全な不便さ」を維持することを決意した。
それからほぼ1年が経つーー。
夫は「写真係」から解放されたことを、母は日々の近況共有の再開を、そして長女は私が再び「普通」の世界に戻ってきたことを喜んでいる。
私はもう、怒ってスマホを「粉々にぶち壊す!」と大声で脅すことはなくなった。ソーシャルメディアやメールアプリを削除してから、スマホに対する嫌悪感は消えた。
光輝く長方形の「アイツ」は、今や私が「使う」ものであり「支配される」ものではなくなった。
ハフポストUS版の記事を翻訳・編集しました。
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
スマホの通知にうんざり「もうやめる」。100日間ガラケーに変えたら、人生が変わった話