男女賃金格差を固定化する「年収の壁」壊すには?「賃金・雇用」担当の矢田稚子総理補佐官に聞く

2年10カ月続いた岸田文雄政権は、「賃上げ」を優先課題に挙げました。そのため、新設された「賃金・雇用担当」の総理大臣補佐官に任命されたのが、野党・国民民主党の副代表だった矢田稚子元参議院議員です。

労働組合出身の野党議員として、子育て支援やジェンダーギャップ解消など、これまで政府を厳しく追及してきた矢田さんを首相のアドバイザーに据えることは「異例の人事」と話題に。

その後矢田さんは「女性の職業生活における活躍推進プロジェクトチーム(PT)」座長として、「年収の壁」や「男女の賃金格差」という積年の課題を、試算して「見える化」し公表しました。退任直前の矢田さんに、総理補佐官としての1年間の成果や、感じた壁とは何か、語ってもらいました。

矢田稚子総理補佐官

――総理補佐官としての成果ですが、まずは賃金アップでしょうか。

1991年以来33年ぶりの5%超え、高水準となる平均5.1%、中小企業でも4.45%の賃上げ(連合調べ、ベースアップと定期昇給)ができました。しかし、一過性で終わらせてはいけないと思っています。

企業がしっかりと付加価値の高い仕事で利益を得て、それを還元してもらうというのが基本。まず取り組んだことは中小企業支援でした。現場を知るため、1年で24県ほど、中小企業を中心に回りましたね。

――中小企業が賃金を上げる難しさは、どんな点ですか。

特に、価格転嫁(原材料費や人件費など、コスト増加分を価格に反映し値上げすること)の難しさが最大の課題です。どうしても中小企業は「下請けの立場で価格を上げたいとは言いづらい」と言うわけです。

アンケート調査をすると、ほとんどの中小企業が取引先との価格交渉のテーブルにも着いていないのが実情でした。下請けとして「値上げするなら取引を止める」と相手に言われたら、もう終わり。これまでの商慣行を突破できない企業が多かった。

だから政府としては、経団連や上場企業にも働きかけました。中小企業のためのハンドブックや交渉の際に提示する価格転嫁フォーマットまで作りました。

そういう細かい積み重ねの結果が、「下請けは価格交渉しない」という慣例を変え、賃上げ、ベアにつながったのだと思います。

矢田総理補佐官(左)に話を聞く山本恵子さん

構造的な賃上げのカギは女性 都道府県別で男女の賃金格差データを出した理由

ただ、構造的な賃上げを目指し続けるなら、やはり人。人に焦点を当てて、企業がさらに稼ぐ力をつけないといけない。国を挙げて方向性を示し、継続した取り組みがまだまだ必要です。

一番顕著なのが女性です。女性の賃金は、OECD加盟各国に比べても低い状況にあります。

有業者の年収分布

大学の進学率は男女ほぼ一緒になってきているんですけど、大学卒の女性の賃金を見てみると、36%が年収200万円未満で働いている。年収400万円未満の男性は14%なのに対して女性は66%。この差はなんなの、ということです。

2年前に女性活躍推進法で企業は男女の賃金格差を公表しなければならなくなりました。これによって、男女の賃金格差が大きい産業が明らかになり、その産業には格差を解消するためのアクションプランの策定をお願いしています。

女性の賃金が相対的に上がれば日本の賃金はもっと上がりますよ。GDPも伸びるし労働生産性も高まるはずなんですよね。

――女性がもっと稼ぐことで賃金格差も縮まり、企業も飛躍できると。

男女の賃金格差を産業別で出したので、次は地域別だろうな、と。地域によって男女の賃金格差に差があり、問題は、格差が大きいところは女性が流出して帰ってきていない。どんどん首都圏や他のところに行ってしまっている。

その結果、そういう地域は未婚者の男性の比率が高く、緩やかに少子化にもつながっているのではないか、地方の衰退につながっているのではないかというデータが出てきました。これは更なる分析が必要と考え、都道府県別の格差要因の分析を進めました。

都道府県別の男女間賃金格差

――結果を見てどうでしたか?

予測した地域もあれば、予測できなかった地域もありました。例えば愛知県は、都道府県別で格差が5番目に大きくなりました。賃金格差だけでなく、賃金にかかわる要素が高いと思われるデータも分析すると、管理職に占める女性の割合も低く、勤続年数も短い。

逆に格差が1番小さい高知県は、男性の賃金自体が低いために男女差が少ないという要素もありました。

――都道府県別のデータを出した反響は?

反響は大きいですよね。地方紙25紙の一面に取り上げられました。なぜ我が県はこんなに低いのかという連絡をいただいた知事もいました。やはり「見える化」することがとても大事ですよね。

データを見て、地域の企業に女性管理職を増やす取り組みを促し始めたところもあります。

でも、一番難しいのは、地域の人たちの意識なんですよね。その地域の中で生まれ育ち働いてきた人たちの意識を変えるってすごく大変じゃないですか。地域の祭りなどで、女性だけがお酌する、などの文化的背景がいまだに残っていますよね。

そういう「ムラ社会」独特の掟のようなものに対して、若い女性はこんな古い慣習の残る地域で自分が活躍していけるだろうかと不安になるのではないでしょうか。長年に渡り作られてきた性的役割意識を変えるのはかなり大変なことだと思います。

――意識を変えるのが一番の「壁」なんですね

一人ひとり価値観や人生観が違いますから、「女性もみんな働きましょう」とは政府は言えない。ただ、今まで公開していなかったデータを出しながら、働ける人には「あなたのスキルを生かさないのは、もったいなくないですか?」と呼びかけることはできます。

だから、生涯の世帯における可処分所得の試算比較も初めて公開させていただきました。男女の賃金格差改善には、企業・地域に対する働きかけと同時に、個人に対してのアプローチも必要だからです。

女性の出産後の働き方別 世帯の生涯可処分所得試算結果

※2024年6月、政府はいわゆる「年収の壁」内で働いた場合と超えて働いた場合で、どれぐらい世帯の生涯可処分所得が違うのか試算し、公表。出産後も夫婦とも会社を辞めずに正社員として65歳まで働き続けた場合の世帯と女性が出産で仕事を辞め、再就職しない場合の可処分所得は1億6700万円の差があった。また、女性が出産後、パートで再就職し、いわゆる「年収の壁」内の年収100万円で働いた場合と、「年収の壁」を超えて年収150万円で働いた場合の差は1200万円という結果が出た。

――「年収の壁」について試算した目的は?

「年収の壁」という刷り込みで、「100万円を超えて働いたら損する」と、一般的に思われていますよね。

男性から見たら、家事も育児も女性がやってくれたら楽だし、扶養手当ももらえる、配偶者控除を受けられる。女性も社会保険料を自分で払わなくていいので、そのほうがお得というイメージがあります。しかし、実際に試算をすれば違うことが明確になりました。

「年収の壁」を超えても、年収150万円まで働いたら、やはり手元に残るお金は確実に上がるんです。企業が「配偶者手当」を独自に設けている場合もありますが、(生涯で約220万円と)大きな額ではない。そして、配偶者手当は、見直してくださいと厚労省が各社に求めています。これが、女性が働くことに対する抑制策になっていますから。

――人手不足に悩む企業にとっては、もっと働いてくれる女性が増えるのはありがたいですよね。

「壁」を超えない働き方では、最低賃金が引き上がると、より働ける時間が短くなってしまいます。

年末、クリスマスセールなどの忙しい時期に、今年分の「壁」を超えてしまいそうだからと、「就業調整」をして働く人が減るということに悩まされる企業があります。

「年収の壁」は超えるけれど、可処分所得は上がりますよ、思い切って挑戦しませんかと女性たちには言い続けないといけない。

――「専業主婦いじめ」という批判もありますが。

決して、専業主婦を希望する、育児や介護など何らかの要因で働けない方々にも「働け」というつもりではないんです。しかし、日本の女性は自己肯定感が低い傾向にあり、本当はスキルも高く、社会で活躍できるのに「私なんかにはできない」と押さえつけている感情がないかを問いたいと思います。

加えて、育児家事を担う方々にさらに柔軟な働き方で力を発揮いただける環境整備も必要と考えています。

矢田総理補佐官

30年の刷り込み、選択肢狭めていないか

「男女雇用機会均等法」が施行されたタイミングで「第3号被保険者」制度も作られました。仕事で頑張る人は頑張ってください、平等ですよ、でも、夫の働きを支える人たちにはこういう特典がありますよと。「年収の壁」の中で働くとこんなメリットがありますと、当時多くの雑誌などでも特集が組まれ、刷り込まれてきたと思います。

私が恐れるのは、そういう刷り込みがある親世代が、頑張って働こうと思っている子どもたちに「そんな頑張らなくてもいい、誰かいい人見つけて結婚しなさい」と言って若い人たちの選択肢を狭めていないかということ。

その人たちが人生を選ぶ上において必要な選択肢を用意するということ。発信し続けることで、意識改革、30年かかって築き上げてきた意識を、また30年かかっても変えなくてはいけないのかもしれないと思います。

変えるためには意思決定の場にいること

――官邸の中に矢田さんが入って1年。女性の賃金が上がらない大きな要因の一つは管理職、意思決定層に女性がいないことですよね。政治の世界の男女の格差も著しいですし、同じように官邸の中でも、補佐官として現在唯一の女性が矢田さんです。今回、矢田さんが官邸に入った意義はやはり大きかったでしょうか?

そうですね。私は企業で人事担当もやりましたし、組合でも、政治家としても、少しずつステージを変えて、女性がもっと社会で活躍するために一貫して同じことをやってきたと思っています。

でも、官邸に入ったからこそ、全部の業界に網をかけて、説得力のあるデータを公開しながら地域にも働きかけていける。だから、このポジションに私というより女性活躍の専門家の方が入っていくということは大事なことだとつくづく思いますよ。

――残念ながら、政治の世界は後任者に引き継がれるときに、積み上げてきた政策のはしごを外されるということが多々あります。矢田さんが旗を振ってやって来られた賃上げや男女の賃金格差改善は今後どうなりますか?

どうなるかは私にはわかりません。総理がどなたかになるかによって優先順位が変わるのは否めないと思います。

しかし、私としては誰かに引き継ぎたい、大切なことなんだということは明確な意志として表明しています。行政側のメンバーにもそれは訴えています。その上で、大切なのは世論です。世論が高まれば政治も継続せざるを得ない。だからメディアにももっともっと報じてもらいたいと思います。

経済の面から考える上で、これは「女性のための」問題というだけではないんですと繰り返しお伝えしてきました。日本経済全体のこと、日本のこの国のありようそのものを今論じているんだと。

皆さんにもそう思って欲しいし、そう思って使命感を持ってそれぞれの持ち場で、声をあげて、この問題に取り組んで欲しい。それが、政府にこの取り組みを続けさせることになるんだと考えています。

【今回の「時代のKポイント」は…「年収の壁」】 

「年収の壁」は1985年「男女雇用機会均等法」と同時に創設された「第3号被保険者制度」によって生じた。一定の収入がない、会社員の夫に扶養されている妻などは、社会保険料を負担しなくても年金が受け取れる仕組みで、導入当時から賛否あったが、厚生省には、男女雇用機会均等の進展によって、将来的には意味のないものになりうるとの認識があり、「当面の対応策」として導入された側面があるという。しかし、その予想に反し、この制度が『眠れる森の美女』の魔女の呪いのように、30年以上にわたって「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業意識を温存し、「女性は結婚後は夫の扶養『年収の壁』内で働いた方が得」と、女性の生き方、働き方に影響を与え、男女平等の実現を眠らせてきたのは皮肉としか言いようがない。

今回の総裁選でも「年収の壁」の撤廃や見直しが争点となった。議論が起きるたび「専業主婦いじめ」との批判が出るが、その影響は、専業主婦にとどまらない。「年収の壁」の存在により、賃金が上がると労働時間を短くする「就業調整」が起き、これが人手不足や、賃上げの抑制につながり、非正規雇用者の貧困につながっているという指摘もある。この問題は、矢田総理補佐官も言う通り、女性だけの問題ではなく、日本の問題として捉えることがポイント!

今回の試算がきっかけとなり、日本の男女平等を眠らせてきた“呪い”が解けるのか、注目していきたいと思います。

ジェンダー・男女共同参画担当のNHK解説委員を務めたジャーナリストの山本恵子が、キーパーソンにインタビューし、注目すべきポイントを解説。ジェンダー平等を目指す社会でここが変化の局面(K点、Kポイント)になりそうだという現在の動きを取り上げます。

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