「子どもにハーネスつけるのかわいそう」と思っていた私が考えを変えた理由

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ハーネスをつけた子どもを初めて見た時、私は8歳だった。

家族と一緒に、街で開かれていたパレードに向かう途中、両親は若者で賑わう人混みの中で知り合いの家族を見つけた。

大人たちが挨拶を交わしている間、私は両親の友人が連れていた2歳の子どもに目が釘付けになった。その子はひもでつながれていて、その光景は思春期前の私の心を揺さぶった。

子どもを犬のように扱っているのを見て憤慨した私は、「すみません、それはひも?」と尋ねた。

親の友人らは少し身構えたようにも見えたが「そう、ひもだよ。こうしないとすぐにどこかに行っちゃうからね」とこともなげに答えた。

その瞬間、自分は将来あのひもが象徴しているような、子どもの自由を阻害する親にはならないと決意した。

自分の子どもを囚人のように扱ったりはしたくない。私はまだ8歳だったけれど、子どもを自由に行動させる親になろうと決心した。

正確にいえば、はっきりした言葉でそう決意したわけではない。それは、(コラムニストの)レノア・スクナージーが「自由に羽ばたける子ども(フリーレンジ・キッズ)」という、親が干渉しすぎない子育てを提唱する前の話だった。

しかし、フリーレンジ・キッズという言葉を知らなくても「自分の子どもをラブラドードルのようにリードにつなぐことは絶対にしない」と私は小学3年生の頃から思っていた。

フリーレンジの子育てが一番良いという考えは20代になっても変わらず、私は食事の場などで、ヘリコプターペアレント(過干渉の子育て)の悪い象徴として、子どもをハーネスでつないでいる親をよく引き合いに出した。

「子どもたちを物理的に縛らなければダメなんですかね?」と言い、私は笑った。

自分の妊娠がわかったのは結婚式の2日前で、とても嬉しかった。33歳の私は、自分は子育ての準備ができているという自信があった。

私は、次第に大きくなるお腹とともに子どもと一緒に過ごす楽しい時間の空想を膨らませた――子どもは自由に歩き回って探検を楽しみ、私は子どもの創造性を育む。私は子どもの案内人で、独裁的な指導者にはならない。子どもを後ろから忠実に、しかし敬意を持って見守る。子どもの冒険心を妨げるようなことは決してしない。子どもが危険な状況になりそうな時には、そっと手を取り蝶に注意を向けさせる。

私の空想の中では、なぜかいつも蝶が近くにいて、子どもの気をそらすのに一役買ってくれた。

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要するに、私はわかっていないことをわかっていなかったのだ。出産後、小さないたずらっ子は生後11カ月になる頃にはマンションの中を走り回り、11カ月半で家具から飛び降りて、本棚に登ろうとした。どんな安全対策グッズを使っても、ベビーサークルからの脱走を防ぐのは不可能のように感じられた。

家の外はもっと大変だった。少なくとも私たちが住んでいる建物の中には車や見知らぬ人はいなかったが、ドアの外には、身長90センチの幼児に気づかない車や自転車や歩行者がいた。

なるべくベビーカーに乗せたままにしようとしたが、我が家の元気な女の子は、自由にしてもらえるまで靴を道路に投げ捨てて抗議した。子どもは外の世界に出ると元気になりすぎて、ベビーカーの中でじっとしていられないのだ。

私と夫には2つの選択肢があった。映画『ルーム』のように、子どもに外の世界を見せずに部屋の中だけで育てアニメ『ドーラといっしょに大冒険』を通して社会のすべてを学ばせるか、インターネットで赤ちゃん用のハーネスを注文するか。私たちは後者を選んだ。

そのハーネスを使って子どもとショッピングモールに行った時に、通りすがりの人からジロジロ見られる経験をした。

モールの汚れた床に座り、その日の午後7回目に蹴り飛ばしたブーツの中に子どもの右足を押し戻そうとしていると、きちんとした服装の紳士が同伴者に向かってこう言うのが聞こえた

「信じられる?この女の人、自分の子どもをプードルと思ってるみたいだ!」

残念なことに、その男性は私の子育てを批判した後は振り返らなかった。もし振り返っていたら、私(と私の真似をしていた生後20カ月の子ども)が中指を立てているのを目にしただろう。

母親としての最初の数年を振り返ってみると、子ども用ハーネスは失敗の象徴とも解釈できる。つまり、私は牧歌的な庭で自由で安全に歩き回る子育てをするという空想を実現できなかったのだ。でも、それでいいのだ。子どもを育てる時に必要なのは「子育てはこうあるべき」という甘い幻想を捨てることだ。

親になる前に、子どもには『ザ・ウィグルス』を見せないと断言したり、布おむつしか使わないと決めたり、生後5カ月までに赤ちゃんを寝かしつけられるようにすると予測したりするのは簡単だ。

しかし現実はこうだ。子育ては、(自由意志を持った)小さな人間が、あなたの家に陣を構えて、十分に練られた計画を攻撃するために待ち伏せしているようなものなのだ。

私は新米の母親として、自分の非現実的な育児への期待に応えられなかったことを成功と捉え直すことにしている。つまり私は、元気で、冒険好きで、超高速ランナーの子育てにうまく適応できたのだ。

唯一後悔があるとすれば、ハーネスではない。自分が親になる前に他の親を批判するのに年月を費やしたことだ。

ハフポストUS版の寄稿を翻訳しました。

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「子どもにハーネスつけるのかわいそう」と思っていた私が考えを変えた理由

Sarah Sahagian