「(犠牲者は)運がなかった」
「人を殺すことは悪いことなのに(死刑が)正当化されることが許されるのか」
京都アニメーション放火殺人事件(2019年)で亡くなった渡邊美希子さんの母・達子さんと兄・勇さんは、5カ月近くに及んだ京都地裁での公判に通い続けた。
その中で、殺人などの罪に問われた青葉真司被告(一審で死刑判決、大阪高裁に控訴中)や弁護士の主張に、何度も胸が引き裂かれる思いをした。
事件・事故の被害者や遺族をめぐる社会課題の1つに、裁判を通してさらに傷を負ってしまった「心のケア」が挙げられる。また今回の公判は、遺族から希望のあった犠牲者の氏名が「匿名」で審理されるなど、裁判のあり方を社会に問いかけた。
被害者や遺族への根強い差別や偏見がある社会で、司法の場に何が求められるのか。達子さんと勇さんとともに考えた。
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京アニ事件の公判は、2023年9月から2024年1月に裁判員裁判で行われた。被害者参加制度を使い、達子さんは全て、勇さんも仕事や子育てと両立しながらほとんどの公判に臨んだ。
なぜこんな事件が起きたのか。青葉被告はどんな人物なのか。「知らなければ始まらない」と思ったからだ。
2人は裁判を「加害者側の独壇場だと感じる場面があった」と振り返る。被告側の主張に傷つく被害者や遺族のケアは、社会課題の1つだ。
中でも2人が忘れられないのは、青葉被告の「(犠牲者は)運がなかったことは否定できない」という言葉だ。
達子さんは、「暴力は嫌いです。でも、もし投げる物を持っていたら、青葉被告にぶつけていたかも知れない。それくらい許せなかった」と振り返る。
加えて、死刑を求刑された青葉被告の弁護士が放った「人を殺すことは悪いことなのに(死刑が)正当化されることが許されるのか」「残虐な刑罰に当たらないか」という言葉にも、打ちのめされる思いがした。
「私は美希子の最後の姿も見ているわけで。残虐なことをしたのはどちらですかって、問いかけたかった。被告人が法廷で証言すること、代理人がその権利を擁護するのはとても大切なことだと思います。それでも正直な感情を言うと、私にとってはあまりに強い言葉でした」
事件発生直後の2019年から裁判前まで一貫して、達子さんは著者の取材に対し、「青葉被告を恨んだことはない」と話していた。だが今は「加害者に対しての感情を、自分の中でブロックしていたのかも」と話す。勇さんも「毎回ただただ疲れて、何もできなくなる時もありました」と語る。
約5カ月に及んだ裁判。乗り越えられたのは、「思いを共有できる他の遺族がいたから。そして、裁判で関わった人たちの思いやりのある仕事ぶりを知ったこと、手厚い支援を受けられたことが大きかったです」と、2人は振り返る。
裁判に参加して初めて、いつも担当してくれている警察のカウンセラーが公判前に、「付き添いましょうか」と言ってくれた理由が分かった。
控室の机には「心身の不調があれば、お知らせください。カウンセラーにもお繋ぎできます」といった内容の紙が置いてあった。また体調を慮り、声をかけてくれるなど、多くの支援者が被害者遺族のケアにあたってくれた。
勇さんは、「京アニ事件は被害者が多かったからこそ、これだけのフォロー体制を整えてくださった部分もあると思います。本当にありがたかった」と改めて感じている。
「他の裁判を知っているわけではないのですが、京アニ事件の裁判をモデルケースに、(被害者の数などにかかわらず)同様のフォロー体制が広がってほしい。それが被害者や遺族の救いになると思います」
達子さんと勇さんは、京アニ事件の原因を青葉被告個人の問題としてだけ捉えてバッシングする風潮に、疑問を抱いている。
青葉被告は公判などで、両親の離婚や、父親からの虐待など、自身の生い立ちについて語った。また、就職氷河期に見舞われた「ロストジェネレーション(失われた世代)」でもある。
どんな生い立ちであっても、殺人は許されることではない。ただ、達子さんは「彼を加害者にした加害者、社会があることは、忘れてはいけないと思うんです」と強調する。
今回の裁判では、医師の精神鑑定で「重度の妄想性障害」と診断された青葉被告に、刑事責任能力があったかが争点となった。
事件の報道があるたびに、インターネットを中心に、犯罪と精神疾患・発達障害を結びつけ、差別する言説が飛び交った。
2人はそれを見て、胸を痛めてきた。「精神疾患や発達障害がある人に対してもあまりにも暴力的で、強い恐怖がありました」(達子さん)
京都地裁(増田啓祐裁判長)は2024年1月25日、「36人もの尊い命が奪われあまりにも重大で悲惨だ」として、青葉被告に死刑を言い渡した。
2人は判決の受け止めについて、「複雑すぎて言葉にできない」と語る。その上で勇さんは、裁判員制度について「判決を下す人にも大きな負担がかかっていると感じました。いろいろと考えてくださったことに感謝しています」と話す。
青葉被告は判決を不服として控訴した。達子さんは「三審制は人権の観点からも大切だと思うので、どうぞ!という考えと、もう勘弁してほしいという感情、両方があります。ただどうしても、感情が上回ってしまいそうになります」と語る。
二審の大阪高裁は、自分たちにとっては通えない距離ではない。だが被害者や遺族が公判に参加するために、裁判所の近くに家を借りたり、休職せざるを得なくなったりしたケースもある。
達子さんは現在70代であり、裁判の長期化について「体力的にしんどい部分はあります。判決を見届けられるのか…」と不安を吐露する。
裁判は憲法で「公開が原則」となっている。京アニ事件では公判の前に、被害者の実名を出すか議論になった。弁護士や研究者で作る「司法情報公開研究会」は2023年8月、京都地裁に対して、安易に匿名措置としないよう求めた。
今回は遺族らが希望した犠牲者については数字で呼ぶという対応が取られた。
達子さんは事件直後から一貫して美希子さんの名前を公表することを選び、法廷でも同じうように実名での審理を望んだ。根底にあるのは、「美希子は何も悪いことをしていないのだから、逃げも隠れもする必要はない」という自身の夫の言葉だ。
だが「世間から好奇の目で見られたくない」「青葉被告に名前を聞かれたくない」といった他の遺族の思いにも、強く共感する。
そもそも、なぜ匿名を希望する人が多いのか。その背景の1つが、社会には被害者や遺族に対する根強い差別や偏見があることだ。誹謗中傷されたり、生命保険を目当てに繋がりの浅い親族や見知らぬ人が家に押し寄せたりなど、日常生活に多大な影響を受ける人が数多くいる。
達子さんが美希子さんの実名を出すと決めた時に思い浮かんだのは、孫たちの顔だった。「嫌なことを言う人は、社会に絶対いると思うんですよ」
2人は実名の報道については、一定の理解を示す。一方で勇さんは、法廷での実名審理について、「報道で一度出たものを、裁判で何度も繰り返し出す必要はあるのでしょうか」と疑問を投げかける。
達子さんは裁判にあたり、複数の記者から、匿名審理への意見を聞かれた。そのたびに、「実名と匿名が選べるようにしてほしい」と話してきた。
だが報じられるのは、亡くなった家族について「みんなに知ってほしい」と、実名審理を望む遺族の声ばかりだったと感じた。それならば、「せめて、被害者への差別や偏見が減るような報道を並行すべきではないでしょうか」と訴える。
匿名審理について「亡くなった人にも人格がある。だから実名にすべきだ」という意見がある。
達子さんはそれに対し「私は青葉被告や弁護士が(犠牲者に対して)法廷で発した言葉、法廷での(犠牲者の)扱われ方を見て、死者に人格が認められているとは、到底思えませんでした」ともどかしさを口にする。
また「過剰な個人情報保護を理由に匿名審理が歯止めなく広がる」「刑事訴訟記録に被害者の実名が残らず、記録を通じた裁判の検証すら十分にできない恐れがある」といった指摘もある。
勇さんは、「どれも大切な指摘だと思います。ただ(今回の裁判以外でも)匿名を選べるようにしても問題ないように、国としてルールを改正したり、報道機関が監視したりできないのでしょうか」と問いかける。
人権の観点などから、個人情報やプライバシーを保護する動きが、年々強まっている。達子さんと勇さんは司法や報道は、インターネットに情報が残り続ける恐れがあるという課題に向き合わず、時代に逆行しているのではないかと感じている。
「社会のために、実名が必要。それは分かります。でもなぜ同時に、被害者の人権や個人情報を守るための議論や報道が、積極的になされないのでしょうか」
「どこまで被害者に背負わせるのか、という思いも分かってもらいたい。強く、そう感じています」
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ハフポスト日本版は、事件や事故などの被害者や遺族の実情を伝え、当事者の人権を守る制度設計や生きやすい社会作りを目指す特集『被害者と遺族の「本当」』を始めました。
まずは達子さんと勇さんの記事を、4本掲載します(この記事は2本目)。第1回は報道機関から受けた二次被害やメディアに求めること、第3回は事件直後の生活の変化、第4回は被害者に対する偏見や理想の社会像について取材しました。
【アンケート】
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<取材・文=佐藤雄(@takeruc10)/ハフポスト日本版>
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裁判に「実名」は必要か。京アニ遺族は問う「報道と司法は、被害者への差別に向き合っているのか」