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部屋いっぱいに立ち込めるスパイスとココナッツの香りと、子どもたちの笑い声ーー。
日曜日の午後、親子向けのロヒンギャ料理教室が都内で開かれた。
講師は長谷川留理華さん。元ロヒンギャ難民で、2013年に日本国籍を取得し、現在は日本で無国籍やロヒンギャに関する問題について活動している。
料理教室は、NPO法人「無国籍ネットワーク」が、子どもたちにもロヒンギャや難民、無国籍問題について知ってほしいと企画した。
イベントでは、約30人の親子がロヒンギャ料理を習った。
この日のメニューは、ロヒンギャのビーフカレー「ゴールグッソーサーロン」。
デザートには、ココナッツが中に入った揚げ餃子のようなロヒンギャのスイーツ「フォニフィラ」を作った。
ココナッツと牛乳、砂糖を煮詰め、餃子のように皮で包み、油で揚げたものだ。
料理教室には3歳から17歳と、幅広い年齢が参加。子どもたちは、長谷川さんがまず手本を見せる様子に真剣に見入り、初めて扱うスパイスを入れてカレーを作った。
子どもたちもおいしくカレーを食べられるように、いつもなら必ず入れる、辛い香辛料は使わずに作った。
主催のNPOは、無国籍問題に取り組んでおり、ロヒンギャ料理教室は昨年12月に続き、今回で2回目の開催となった。
同NPOの共同代表理事を務める長谷川さんは、元無国籍者でもある。
料理を作った後には、長谷川さんは、自身のルーツやロヒンギャ問題、今もなお続くロヒンギャ難民の避難生活などについて、子どもたちにわかりやすく説明した。
ロヒンギャとは、ミャンマーのイスラム系少数民族で、長く迫害を受けてきた人たちだ。
日本でロヒンギャ問題が注目を浴びたのは、2017年8月。ミャンマー軍によるロヒンギャ掃討作戦で暴力や追放の動きが高まり、100万人を超える人たちが祖国を追われ、隣国などに難民として逃れた。
しかしそれ以前からも、ロヒンギャの人々に対する差別や迫害はずっと起こっていた。
ミャンマーで生まれ育っても、ロヒンギャの人々は国からミャンマー人であることを認められず、国籍やパスポートも与えられないという状況がずっと続いてきた。
長谷川さんの父親は軍に身を追われ、日本に逃れてきていた。長谷川さんも命を守るため、父親の後を追って、2001年に日本に来た。
無国籍という問題は、長谷川さんが日本で生活していく中でも常に付きまとった。
日本国籍を取りたいと考えたのは、無国籍が障壁となって大学へ進学できなかった頃。高校後に進学した建築の専門学生時代も、国籍がないために留学の機会を逃した。
申請書類を用意するだけでも苦労の連続だったが、2013年に日本国籍を取得することができた。
現在は5人の子どもを育てながら、通訳や翻訳の仕事をし、無国籍問題についての講演を各地で行っている。
常に活動の仲間に対しても話しているのは、「自分にできることは、今も困難な状況にあるロヒンギャの人々へのサポートと、自分を受け入れてくれた日本への恩返し」ということ。
バングラデシュの難民キャンプで暮らすロヒンギャの子どもたちが勉強を続けられるようにと支援している。
1月には、コックスバザールの難民キャンプで大火事が発生し、学校も崩壊してしまった。長谷川さんは、学校再建に向けてクラウドファンディングで支援を呼びかけている。
ロヒンギャの人々をめぐる無国籍や難民の問題は、子どもたちにとって少し難しいトピックだ。
しかし、「料理」という入り口から入り、当事者である長谷川さんが、子どもにも分かりやすいよう、自身の経験をもって噛み砕いて話すことで、少し身近な問題として感じることができた。
長谷川さんは、参加者と同年代の子どもが、今も困難な状況の中で避難生活を強いられていることを説明し、「子どもたちには何も罪がないのに、大人たちの都合で『明日』が奪われている」と語った。
「子どもたちがなくした『今日』はもう戻ってこないんです。安全な日本で暮らしているからこそ届けられる支援がある。少しでも興味を持ち、そして今日知ったことを周りの人たちにも広めてほしいです」
子どもたちにもよりやさしく伝えるため、無国籍の女性の体験を絵本にした「にじいろのペンダント 国籍のないわたしたちのはなし」(大月書店)の読み聞かせも行った。
絵本のモデルは、無国籍の当事者である同NPOの発起人・陳天璽さんだ。陳さんも見守る中、ボランティアの学生らが絵本を読み上げた。
母親と料理教室に参加した横浜市在住の高校生(17)は、長谷川さんの話を聞き、同年代が人身売買の被害に遭っていることなどを知って「衝撃を受けた」と話した。
「無国籍という言葉は聞いたことがあっても詳しく知らなかったし、日本にも無国籍の人がいることは知りませんでした。ロヒンギャ料理をきっかけに、無国籍問題や難民について学ぶことができました」
6歳、11歳、14歳の子ども3人と両親で参加した家族も。
母親によると、家族でミャンマーの状況や難民問題について話したきっかけは、6歳の息子のサッカー教室に、ミャンマーの軍政に抗議して日本へ「亡命」したミャンマー人サッカー選手、ピエリアンアウン選手が訪問したこと。
サッカー教室から帰宅後、ミャンマーでのクーデターや内戦、難民について説明した。ミャンマーの状況や難民問題について、より深く学べると思い、今回の料理教室に参加したという。
母親は「私も分からない部分もあるので、一緒に学びたいと思いました」とし、こう語った。
「この子たちが大人になる頃の日本には、今以上にたくさんの外国の方が住んでいると思います。その時に、『分からない』という態度を取るのではなく、外国の方が抱える問題についても、『知る』『理解をする』という姿勢を学んでほしいと思います」
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
スパイスとココナッツの香り。子どもたちに伝えた「故郷の味」。ロヒンギャの女性が料理教室で語った「奪われた子どもたちの明日」とは