フィギュアスケート女子・2016年世界ジュニア選手権優勝の本田真凜さんが1月11日、都内で現役引退会見を開いた。
5日に所属事務所を通じ、今季限りでの現役引退を発表した本田さんは、上下白のセットアップで登壇し、冒頭、「スケートを始めてから今年で21年目、こんなにも長い間頑張り続けてきたからこそ、いろんなうれしさに出会えましたし、いろんな葛藤にも向き合って乗り越えることができました。これまでの人生はどんなときを振り返ってもすべての思い出にスケートがあります」と挨拶した。
本田さんは、女優として活動する妹の望結さん、紗来さんとともに“本田三姉妹”として知られる。兄・太一さんの影響で2歳からリンクに乗り、ジュニア時代に頭角を現した。2016年の世界ジュニア選手権で頂点に立ち、翌17年は平昌五輪金メダルのアリーナ・ザギトワ(ロシア)に次いで銀メダルを獲得した。
昨年12月の全日本選手権は、右骨盤故障を抱えながらの強行出場となり、ショートプログラムが44.42点で28人中の最下位に終わり、フリーに進むことができなかった。
引退の背景について、本田さんは「大学4年生のタイミングで競技の場から離れることはずっと決めていたこと。全日本の前も『もしかしたらこれが最後の演技になるのでは』と思っていたので、どうしても頑張りたいと走り続けられたかなと思います」と語った。
幼い頃はフィギュアスケートのほかに、アイスホッケーや体操、テニス、ピアノなどさまざまな習い事に取り組んでおり、「特別なものという意識はなかった」という。
「10歳くらいの頃は正直に言うと『いつやめてもいい』という感覚で、16歳になったタイミングでスケートをやめて、もっと好きなものをいっぱい食べたいし、好きなことをたくさんしたいと思っていました。でも、実際にその年齢になってみると、自分にとってすごくつらいシーズンにはなったものの、スケートがなくなる生活が考えられませんでした」
本田さんは初出場の16年世界ジュニア選手権で優勝したのをきっかけに、“ポスト浅田真央”と評され、新たなヒロインとして一気に注目を集めることに、会見の冒頭には「葛藤」という言葉もあり、当時の心境についてもこう明かした。
「私はお兄ちゃんに負けたくない、追いつきたいという気持ちでやってきて、世界ジュニアで優勝できたあたりから、たくさん注目していただき、どんなときもカメラの方が一緒で、よかったな、幸せだなと思うこともたくさんありましたが、幼い頃の私はそれですごくつらいなと思うこともありました」
シニア以降、思うような結果が出ない苦しいシーズンも続いたが、さまざまな試練を乗り越えて、2015年から9年連続で全日本選手権出場を叶えてきた。
「そのときより順風満帆という感じには見えなかったかもしれませんが、当時の私より今のほうがスケートがすごく好きですし、幸せだと思っています」
今季限りの引退となることは、事前にスケート仲間や関係者に伝えており、「憧れの女性であり、憧れのスケーター」である浅田真央さんにも相談していたという。
現役最後の大会となった昨年の全日本選手権終了後もメッセージをもらったといい、「一言一句間違えずに言えるくらい覚えているのですが、それは自分のなかの秘密にできたら」と微笑みながらも、その言葉の一部を明かした。
「“真凜は小さいころから逃げずに、ここまで頑張ってこれたのはすごいことなんだよ。新しいスタートも胸を張って思い切り進んでいけばいいよ”とかけていただきました」
会見内では、公表している宇野昌磨選手との交際が「順調か」と問われ、「は、はい」と照れながら答える様子も見られた。今後については、妹の望結さん、紗来さんに続く芸能界入りの可能性も問われたが、プロスケーターとしてリンクに立ち続ける意向を示した。
「私はまずフィギュアスケートが大好きで、滑り続けられる限り、皆さんが見たいなと思ってくださる限り、今後もスケートを続けていきたい。たとえ表に出なくなった日がきたとしても、私はどこかでスケートを滑り続けているんじゃないかなと思います。もしチャンスがあればいろんなことにも新しく挑戦していきたいし、何事も全力で頑張っていけたらいいなと思っています」
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本田真凜さんが現役引退会見「すべての思い出にスケートがある」世界ジュニア優勝後の葛藤も語る