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若者の自殺者数は増加傾向にあり、2022年の小中高生の自殺者数は統計がある1980年以降で最多となった。人は、「死にたい」気持ちとどう向き合っていけばよいのか。
ドイツ文学の研究者でありながら、40歳でASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如多動症)の診断を受けて以来、発達障害の当事者研究をしながら多数の著作を刊行している横道誠さん。『解離と嗜癖 孤独な発達障害者の日本紀行』(教育評論社)は希死念慮(※)が強かった時期に書かれたという。
一方、YouTubeチャンネル「未来に残したい授業」を運営し、チャンネルで対談してきた研究者や専門家からの若者に向けた自殺防止メッセージを集めた『9月1日の君へー明日を迎えるためのメッセージ』(教育評論社)を刊行した代麻理子さん。
「死にたい」気持ちと向き合ってきた2人が、語り合った。
※希死念慮…「消えてなくなりたい」「楽になりたい」など自殺に対する思いにとらわれること。
代麻理子さん(以下、代):「希死念慮」と表現するとオブラートに包まれている気もしますが、要するに「自殺願望」のことです。横道さんはこれをどう飼い慣らしてきたのでしょうか?
横道誠さん(以下、横道):いまだに、常に戦っている感じです。発達障害の問題と、長期的な虐待による複雑性PTSDの2つが、私の大きな問題としてありました。2022年は「宗教2世」としてマスメディアに出ることも多かったのですが、うちは子どもへの体罰に熱心な宗教だったんですね。さらに、クラスになじめずいじめにあうなど、いつも逃げ場がない感覚がありました。
特に、小学5、6年生のときに死にたい気持ちが高まりました。でも、その前年の担任が詩画作家の星野富弘さんの大ファンだったんです。星野さんは、体育教師だったのにクラブ活動中の事故で頚椎を損傷して手足を使えなくなり、口に筆をくわえて絵や文を書くようになった方です。そのことを知って怖くなって飛び降りなかった。即死できたらいいけど、団地の自宅は確実に死ねるかどうか微妙な高さだった。
今は大学の先生もできていますから、失敗続きの人生かといえばそうでもなく、成功体験もそれなりにはありました。ですが、40歳のときに休職して、初めて発達障害の診断を受けた頃も、死にたい願望が強かったですね。この頃について、代さんが依頼してくれた『9月1日の君へ』に書かせていただきました。
代:私が横道さんを知ったのは半年ほど前で、『ひとつにならない 発達障害者がセックスについて語ること』(イースト・プレス)というご著書がきっかけです。発達障害者の性について書かれた作品で、当事者の方々の具体的なエピソードを読んで、自分にも当てはまることが多いと気づきました。「私自身にも発達特性があるから生きにくかったのかもしれない」との可能性に気づかせてもらって以来、私も発達障害の当事者研究にのめり込んでいます。
代:横道さんの作品はブラックユーモアがきいている点も好きで、『解離と嗜癖』でも、笑ってしまう記載がたくさんあります。内容だけではなく横道さんの伝え方や表現の仕方が好きで、それは横道さんが文学研究者であるためだと思っています。
私は昔から、表面的には明るく振る舞えるのですが、本来はすごく暗い人間なんです(笑)。なので、小さい頃から暗い内面が書かれた文学作品を支えに生きてきました。今は少し軽減しましたが、素を出してしまうと誰とも仲良くなれない、という思いが長年どこかにあって。
でも、横道さんは人間の暗い内面もアイロニーを用いながらブラックユーモアに変えて提示してくれる。こんなに自己投影をさせてくれる著者さんはなかなかいないなと、すっかりハマっています。
横道:大阪出身なので、お笑い文化にも影響を受けています。コメディアンって結構もともと陰キャな感じの人が多いじゃないですか。いじめられっ子だったのをお笑いで一発逆転した、という人もいます。私自身も、笑いによって辛いことを跳ね返していくことを意識していたかなと思います。
代:『9月1日の君たちへ』は、特に若者に向けての自殺防止のメッセージ集で、本編にはこれまでYouTubeチャンネル「未来に残したい授業」で配信してきたインタビューがまとまっています。7本の本編に加え、6本のメッセージコラムも収録されているのですが、そのメッセージコラムへの寄稿を真っ先にお願いしたのが横道さんでした。その際の原稿が戻ってくる速さが、衝撃的で……! 快諾のお返事をいただいた2時間後にはもう原稿が送られてきて、えっ、どういうこと!? と驚きました(笑)。
横道:私は短い原稿の場合、多くの場合、即日納品なんですよ(笑)。現在、精神科医の松本俊彦先生との往復書簡を連載しているのですが、それも依頼をもらった日に2〜3時間で返していて、24時間を超えても納品できないときは敗北感にまみれます。
代:すごすぎます……。それは強迫観念みたいなものですか?
横道:強迫観念ではないですね。昔は、完璧主義でなるべく100点の状態で出そうという意識が強かったんです。でもそれをやめて、速度をあげて、速さの面で完璧主義になろうと思ったんですよ。それからはサクサクやっていくことが楽しくて、私にはこの形が合っていたんでしょうね。以前は120点近いものを、と気張っていたのが、今は60〜70点超えていたら自分にゴーサインを出す。
私はいかにも自閉スペクトラム症らしく「こだわり」が強いタイプですが、そういう人が60〜70点と思っている場合、他人には90点に見えていることも多い。もちろん逆に30点に見えてしまうこともあると思いますが、それは修正を要求されたときに、また別の方向に書きなおして、60〜70点をめざせば済むとわりきっています。
代:それはいいゆるめかたですね。
横道:代さんの希死念慮についてはどうでしょうか?
代:若者への自殺防止メッセージ集を出版したくらいなので、私自身も若い時はずっと自死について考えていました。でも、私はいじめられた経験などはなく、周りの人は優しかったし、虐待にあうなど過酷な状況にいたわけでもない。それなのに、どうしてそう思うのかが自分でもわかりませんでした。自身にとってはあまりにも当たり前な思いとしてあり続けていたので、小学生の頃に何気なく友達に「死にたいって思わない?」と、聞いたことがあるんです。
すると、「え、なんで? どうしたの?」と、ギョッとされてしまい、「そうか、普通は思わないんだ」と驚いて、この思いは人には言っちゃいけないことなんだなと封じ込めるようになりました。そのことも、余計に自責の念を強くさせたのかもしれません。
小学生の頃から抱いていた希死念慮でしたが、大学生の頃に、精神的にも肉体的にも一層強く追い込まれる状況になったことがありました。その時は夜も眠れないし、外にも出られなくなり、数カ月間大学も休学しました。この時が、希死念慮が最も強かった時期ですね。
横道さんの『解離と嗜癖』には「文学に傾倒するのも嗜癖行為だ」と書かれていて、私は幼少期からずっと本を読み続けてきたので、その通りだと思いました。自分でも何にモヤモヤしているかがわからないから、どうやったら解消できるのかもわからなくて、本にその答えを探していたのかもしれません。
ずっと死にたい気持ちを抱えながらも、親にも友達にも絶対に言えないと思っていました。「未来に残したい授業」のYouTubeチャンネルで、宗教学や社会学、哲学、精神医学など様々な研究領域の専門家の方々にお話を伺い続けている根底にも、自分が「死にたい」気持ちから逃れられなかった理由を解き明かしたい思いがあるのかなと思っています。
横道:代さんは子育て中の母親でもありますが、著書を読んで「結婚して子どもを持ったら希死念慮が減るのでは?」と思ったという感覚は、私には全く理解できない感覚でした。
代:そうなんですね。自分以外のために生きることになったら、自分一人で考え込む状態から解放されるかな? と感じました。
横道:なるほど、つながっている人間関係が増えて死ににくくなる現象、と単純に考えれば、不思議ではないのかもしれませんね。人は自死を決行するとき、たいてい孤独だと思います。悲しむ人の顔やたいせつなペットの世話が頭をよぎれば、なかなか死にきれない。
横道:私は自助グループを10個くらい運営しています。自助グループを人にも勧めるのは、「人とつながったら死ににくい」というのが一つの究極の回答だからです。親と関係が切れていても、パートナーや子どもに恵まれなくても、友人や知人がいなくても、自助グループに行けば、その場を共有できる「仲間」はできる。
代:たしかに、子どもは親の存在がないと生きられないので、私がいなくなったら困るだろうなということを強く実感できるのは大きいです。
横道:代さんにこんな質問をするのはどうかと思うんだけど、もし子ども達が巣立ったら、また希死念慮が復活する可能性もあると思いますか?
代:そうなんです……! それは、本当に恐れています。ただ、「未来に残したい授業」を通して様々なものの見方を学び、昔より考え方が柔らかくなってきている気もします。イスラーム法学者の中田考先生なんて「すべての人類に生きる価値はない」と言うんですよ。自分には価値があると思うと同時に、「この人がいないと成り立たない」なんてことは誰にとってもないと考えることもできるのだと別の見方で捉えてみることも大事だと思うようになりました。
私はすぐに0か100かで考えるところがあるので、自分のそうした考え方のクセには気をつけようと思っています。子どもたちが「ママ」と呼んで寄ってきてくれなくなったからといって、自分がいらない存在だと思う必要はない、などと今から自分に言い聞かせて不安を収めています。
(構成:片岡由衣)
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人は自死を決行するとき、たいてい孤独。「死にたい」気持ちを抱えたまま生きていく