ポーランドのチミエルフ城から約500年前に砂岩の床に彫り込まれたゲームボードが発見されました。この城を建設中の建設作業員が彫り込んだのか、もしくは城が完成した後に子供たちや使用人たちによって彫られたのか、詳細は判明していません。もしかすると何か象徴的なメッセージを表しているのかもしれません。
*Category:サイエンス Science *Source:arsTECHNICA ,Arkeonews
世界中で数千年前の様々な種類のボードゲームが発見されています。例えば、古代エジプトの「セネット」や「メヘン」、ローマ軍団が好んだ「ルードゥス・ラトルンクローラム(傭兵のゲーム)」などがあります。昨年、オマーンのクマイラ渓谷の遺跡で発見された4000年前のボードゲームは「ウル王朝のゲーム」として知られ、古代中東のゲームの先駆けだと考えられています。これは二人用のレースゲームで、プレイヤーは相手よりも先にボードに沿ってすべての駒を動かすことができるかを競うものです。
チミエルフ城から発見されたボードは500年ほど前のものでしたが、ゲームとしてはもっと古いものである可能性があります。考古学者のトマシュ・オルツァツキ氏によると、これはミルと呼ばれる2人用の戦略ボードゲームで、北米では「ナイン・メンズ・モリス」と呼ばれているものではないかとのこと。最も古くから知られているミルのゲームボードは、おそらく西暦以前のもので、クルナのエジプト神殿の屋根板に掘られているものが見つかっています。ローマ人は交易ルートを通じてこのゲームを知ったのではないかと考えられています。
オウィディウスは紀元前2世紀の論考『恋の技法』の中で、このゲームの初期バージョンに触れており、「愛はしばしば遊びの最中に生まれる」ため女性はこのゲームを学ぶべきだと主張しています。また、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』では、ティターニアが「9人のモリスが泥でいっぱいだ」と話しています。おそらく、中世の村の緑地に彫られた巨大な屋外ボードのことを指しているのでしょう。ボードはまた、イギリスの大聖堂の回廊の席にも彫られているのが見つかっています。ポーランドのオポールでは13世紀の教会からゲーム盤が発見され、ヴィエルコポルスカでは15世紀のストーブ用タイルにゲームをする人々の姿が刻まれていました。
一般的な「ミル」の盤面は、24の点が交差するマス目になっており、プレイヤーは自分の9人のうち3人を水平または垂直に並べて「ミル」を形成しなければなりません。このとき、他のプレーヤーの駒を1つボードから取り除くことができます。プレイヤーごとに3個、6個、12個の駒を使うバリエーションもあります。まず、各プレイヤーは順番に自分の手下(黒か白の色)を空いているポイントの1つに置きます。一か所に兵を集中させると、ゲームが進むにつれて動きが封じられることがあるので、すぐにミルを形成しようとするのではなく、色々な場所に兵を散らすのが最善の戦略です。
第2ステージでは、プレイヤーは交互に自分の駒を隣接するポイントに移動させ、ミルを形成して相手の駒を除去していきます。プレイヤーの駒がブロックされ、隣接する空きスペースがなくなると、そのプレイヤーの負けとなります。もう一つの勝ち方は、相手の兵を2人まで減らし、ミルを形成できなくすることです。
チミエルフ城で発見されたゲーム盤の大きさは約13.5cmです。1519年から1531年の間に、クシシュトフ・シドウォヴィエツキという地元の貴族によって建てられたこの城は、1657年にスウェーデンの手に落ち、1702年に一部が取り壊されました。現存する部分は、1800年頃に醸造所、1905年に浴場、第二次世界大戦中にはドイツ軍の病院となりました。廃墟となった城は2009年に個人の所有となり、衰退の一途をたどっています。しかし、2022年に再び所有者が変わり、遺跡の考古学的調査が再開され、ゲームボードの発見につながりました。
オリジナルサイトで読む : AppBank
500年前の城から発見された〝ボードゲーム〟の奥が深い