そのカワイイは誰のため?
そう問いかけるのは、スリランカでフィットネスウェアブランドを立ち上げ、ルッキズムを「やっつける」ための発信に注力している前川裕奈さん。
小学生のときに付けられた強烈なあだ名をきっかけに、20年以上もルッキズムと戦ってきたという前川さんだが、その柔らかな表情や温かい言葉選びから、画面越しの取材でも親しみやすい強さを感じる。
今回、著書『そのカワイイは誰のため?ルッキズムをやっつけたくてスリランカで起業した話』に込めた想いや、今の日本について感じることなどを聞いた。
ーー今日はよろしくお願いします。早速ですが、ルッキズムとはどんなものなのでしょうか?
まだ定義が曖昧な言葉なのですが、私は「容姿を入り口に人を傷つけること」がルッキズムだと説明することが多いです。
ルッキズムの話をすると、よく「かわいい女性と付き合いたいって気持ちはダメなの?」「イケメンの推しがいるのってダメなの?」と聞かれるのですが、私は個人の「かっこいい」や「かわいい」などの感性を批判したり、払拭したりすることは反ルッキズムだとは思っていません。
誰かを見て「素敵だな」と思う気持ち自体はとても尊いものですし、それは否定せずに「素敵」の定義を広げることに意味があるのだと思います。私にも「こういう女性になりたい」「こういう人がかっこいいな」という好みはありますが、仮に私の持つ「かっこいい」や「かわいい」の定義を他人や社会に振りかざしてしまうと、それは言葉の幅を狭めて窮屈にしたり、誰かを傷つけたりすることに繋がってしまいます。少しでも、そういった悲しいことが起きないようにしようというのが、反ルッキズムなんです。
ーー世間で広く認知されている反ルッキズムのイメージよりも、柔らかくて温かい印象ですね。前川さんとルッキズムの出会いはどのようなものだったのでしょうか。
小〜中学生の頃の私は、いわゆる“ぽっちゃり”体型で、当時つけられた強烈な悪口が私にとってのルッキズムの呪いの始まりでした。その後、失恋による減量を経験して「自分もスキニーやジーパン、ビキニを選べるんだ」と新しい世界を知ったのですが、過去の経験からそれがエスカレートして、周囲から「痩せて可愛くなった」と褒められることが快感になってしまったんです。
そこから無理なダイエットで心も疲弊してしまい、どう考えても痩せ型だったのに「もっと痩せなきゃ。太ったら友達も離れて、モテなくて、誰にも認めてもらえない」と焦燥感に駆られていました。「これ以上どこを痩せるの?」と心配してくれる友達にも「油断させて自分の方が細くなろうとしてるんだ」と思ってしまうくらいに心に余裕がありませんでした。
そういった体との過剰な付き合い方が20代前半まで続いていたのですが、アメリカ留学や長期のインド出張、スリランカ駐在を経て「日本の『美しい』や『かわいい』の定義は、外の世界ではそうとは限らない」と改めて感じたんです。国や地域ごとに画一的な美の基準はある程度あるものですし「日本はダメで海外は最高」という話ではありません。ただ、その経験があったおかげで、20代後半では「日本の定義にはまらなくてもいいんじゃない?」と思えるようになっていきました。
ーー海外での生活において、特に衝撃を受けたことや印象に残っていることはありますか?
アメリカのシェアハウスに住んでいたとき、シェアメイトのみんなとエクササイズをしていたら「あなたは細いけどセクシーじゃない」と言われたことは、大きな分岐点でした。その発言自体は不適切ですし、それこそルッキズムなので、それを全面的に肯定することはしません。
しかし、当時の自分は日本のノイズから離れて自分と向き合う余白が広がっていた時期でもあったので「細いだけが勝者じゃないのか」「そんな美の形があるのか」と冷静に新たな視点として受け取ることができました。必要なタイミングで、必要な言葉に出会えたという感じですね。
ーー幼少期をイギリスとオランダで過ごし、アメリカでも暮らした経験のある前川さん。数ある国々のなかで、なぜスリランカでの起業を選ばれたのですか?
理由はいくつかあるのですが、ここでも「タイミング」が大きなキーワードです。
前職でスリランカを訪れた頃、まだ私は「痩せなきゃ」「この写真は太って見えるからSNSに投稿できない」と緊張していました。一方で、現地で出会う人たちは生き生きと自撮りをして、無加工のまま「自分最高!」みたいな勢いで毎日のようにSNSに投稿する。その姿がなんだかピュアでかわいらしくて、何より「こうあらなくてはいけない」という鎧を脱ぐエネルギーをくれました。
アメリカでの経験なども経て「この鎧を脱ぎたい」「真っ暗なトンネルを抜け出したい」と自分でも奮闘していたタイミングで、その力添えをしてくれたのがたまたまスリランカの人たちだったんです。あくまでも「私にとって」なので、ルッキズムに悩んでいる人に「スリランカに行けば解決しますよ」ということではありません。
ーー前川さんが代表を務めるフィットネスウェアブランドkelluna.では、現地の女性たちを雇用していらっしゃいますね。
はい。なんらかの理由で労働市場に参加できずにいた、現地の女性たちと一緒に仕事をしています。
よく「現地で雇用を生んですごい」とか「現地の女性を救っている」という言葉をいただくのですが、実際はその逆で「救われたから恩返しがしたい」という気持ちがとても強いんです。『そのかわいいは誰のため?』にも、現地の女性とのやり取りや関係性をたくさん綴っています。
もちろん、スリランカの人たちの顔に「私は自己肯定感があります」と書かれているわけではないですし、自己肯定やセルフラブのパワーが目に見えるわけではありません。
私がスリランカの人たちに救われたことはkelluna.のSNSやWebページなどでも発信していますが、彼女たちが作るプロダクトを通して、購入してくださった方にそのバイブスや温かさみたいなものが少しでも伝われば嬉しいです。SNSや本での発信はもちろんですが、そんな「御守り」みたいなプロダクトを彼女たちと作り届けることが「ルッキズムをやっつける」ための大切な手段になっています。
ーールッキズムという角度から、前川さんは日本社会をどう捉えていますか?
たとえば、最近では自撮りが市民権を得ているのは、見方によっては嬉しい変化です。私が学生だった頃は、自撮りはナルシシスト的なものとして失笑の対象になっていましたが、今はカフェでも街でも多くの人が自撮りで日常を楽しく記録していますよね。
一方で、写真文化が一般化したことで「常に可愛くいなきゃ」「同じ服ばっかり着られない」という緊張感も特に若い世代からは感じます。本を出してから、高校生から連絡をいただくことも増え、私たちが学生だった頃とは違う生きづらさがあると気付かされます。
「見た目に大きな悩みを抱えている」とメッセージくれた子の投稿を見てみると、すごく素敵なのに、本人は「もっとこうしなきゃ」と焦っている。「二重の埋没が取れてしまったので、直すためにパパ活した」という話も聞いたことがあり、ルッキズムという言葉の認知度が高い10代の間でも、こんなにも画一的な美の呪いは闇深いのかと衝撃を受けました。
表向きでは多様性が大事だと言われるようになりましたが、一度「二重整形」「痩身エステ」などのワードを検索しただけで「二重になって綺麗になろう」「彼氏に振られた?痩せて見返そう」と露骨にコンプレックスを抱えさせる刷り込み広告が流れ続ける。このアルゴリズムは問い直すべきだと思います。
ーー前川さんの周囲でも、変化を感じることはありますか?
私が「ルッキズムをやっつけたい」と発信してることもあり、周囲で容姿を批判する声を聞くことは減りましたが、初対面の人が多い飲み会などに参加すると「あいつ痩せたら可愛い」「美人はいいよね」などの声を耳にします。自分の半径5メートルの世界だけを見ていると、外側の世界との温度差が生じてしまうので、意識的に外側の風向きも感じる必要があるなと思います。
何気ない言葉が、何年もコンプレックスとして傷を残してしまうこともあります。私自身もルッキズムに触れる発言の有無について「100点取れてる?」と聞かれたら、その答えは必ずしも「イエス」とは言い切れません。それくらい難しい問題ではあると思います。
それでも、自分の思考や言葉に気をつける習慣は、今後も育てていくつもりです。その姿勢を持つことが、最たる歩み寄りだとも思っています。
ーー自分の容姿に強いコンプレックスを感じている人に、どんな言葉をかけたいですか?
「自分で自分を褒める習慣をつけてみてほしいな」ですね。
家族や友達を大切にするように、自分自身の生き方や容姿も大切にして、自分を大親友として扱ってあげる。そして優しい言葉をかけてあげてください。最初はぎこちないかもしれませんが、習慣的に「自分の大親友は自分だ」「今日も最高だね」と言い続ければ、言霊のように心に馴染みます。それはナルシズムとはまるで違った「セルフラブ」なんです。
周囲がくれる褒め言葉も尊いものですが、自分の幸福度を他人の言葉に委ねてはいけません。他人の言葉は、あくまでも自分の魅力を自分で知るためのヒント。簡単なことではないですが、自分で自分を「よし」と思えたときに、その先にある解像度の高い「生きやすさ」に手が届くのだと思います。
ーーまさに「そのかわいいは誰のため」の「誰」を、自分自身に戻していく作業ですね。
はい。「かわいくなりたい」という気持ちは素敵なことなので、いかに「誰のため?」を丁寧に考えていくかが大切だと思います。自分を軸にすることは難しいことですが、他の人が代わりにやってあげることができないので、そこは自分で戦っていくしかありません。
そして、もしも身近にあなたの容姿を批判するような人がいて、その言葉のせいで苦しいと感じているのなら「この人との関係ってそんなに大事なの?」と自分に聞いてあげてください。
その答えが「NO」なら、自分のためにその人から離れるのもセルフラブですし、「それでもこの人を大切にしたい」と思ったら、自分の気持ちを言葉にしてみるのも正解です。言葉にするのが難しいときは、それこそ「最近こんな本を読んだけどね」と『そのカワイイは誰のため?』をバトンとして使ってみるのもいいかもしれません。
そういった私たち一人ひとりや社会の戦いの先で「ルッキズムなんてオワコンじゃん」とか「『他人の見た目を批判して傷つけない』なんて当たり前のことを書いた本が読まれてた時代があったんだ」という世界が訪れてくれたら、これほど嬉しいことはありません。
少しでも早く、この本がいらない社会になってほしいですね。
前川裕奈
1989年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。三井不動産に勤務後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科にて国際関係学の修士号を取得。 独立行政法人JICAでの仕事を通してスリランカに出会う。後に外務省の専門調査員としてスリランカに駐在しながら、2019年8月にフィットネスウェアブランド「kelluna.」を起業。現在は、日本とスリランカを行き来しながらkelluna.を運営するほか、企業や学校などで講演を行う。趣味はランニング、ロードバイク、漫画、アニメ、声優の朗読劇観賞。
「そのカワイイは誰のため? ルッキズムをやっつけたくてスリランカで起業した話」
前川裕奈 著
212ページ/1,760円(税込)
イカロス出版
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
「イケメンの推しがいる」ってルッキズムなの?『そのカワイイは誰のため?』著者に聞いた