もっと読む>>>誰も教えてくれなかった。30代での離婚
離婚の背景にはほとんどの場合、夫婦の間に長い間くすぶっていた怒りやストレスがある。言い争いが積み重なり、いつしか結婚生活に終止符を打つようなケンカの一歩手前までいってしまう。
ハフポストUS版は離婚経験のあるライターたちに、結婚生活で「我慢の限界」に達したと思ったケンカについて話してもらった。
「私たちの最後のケンカは、夫婦カウンセリング中に起こった。4年経った今となっては内容はうろ覚えで多分意味の無いようなものだったんだけど、今でも心に残ってるのが、その時にすごい行き詰まりを感じたこと。
体外離脱してるかのように、お互いがすごく意地を張ってるのを見たの。第三者の前で熱弁する私に夫は苛立ち、私は彼が私の立場を理解しようとしないことに呆れてた。
私たちはそこでピークに達し、やり直すことはできなかった。ケンカの最中、私たちの言葉やそれ以外においても、お互いへの敬意を完全に欠いているのは明らかだったから。愛情は消え去り、お互いへの寛容さも失われる寸前の状態だった。
私にとって、このケンカはとても比喩的なものだった。5年間の結婚生活で最も絶望的な局面を、この街で最も有名な結婚カウンセラーの目の前で迎えたことは、皮肉でもあり印象的でもあった」
ニコール・ラヴェリー
「僕と元妻にとって、お金は常にケンカのタネだった。僕が働いている間、彼女は子どもたちと家にいた。そんな予測可能な予定なのに、なんで予測不可能なほど高くつくのかが理解できなかった。オフィスに座りながらも、毎日自分のクレジットカードが重くなっていくのを感じ、そのことでよくケンカした。
今思えば未熟に思えるけど、それが7年間の結婚生活に終止符を打つ引き金となった。
『1人分のランチがなんでそんなに高いの?』とある日僕が聞くと、彼女は『自分の分だけじゃなく、友人の分も支払った』と言った。『誰?』と聞くと、『友人。関係ある?』と返され、僕の我慢の限界がきた。
会話はすぐに非難と脅しに発展して、突如離婚の話を持ち出して終わった。そして彼女は車の鍵と財布を持って出て行った。
それからの4カ月は、弁護士の訪問、法的書類の準備、裁判、そして失敗に終わった数回の和解への試みの嵐だった。
気になっているかもしれないので言うと、僕はついにその『友人』の正体を知ったんだ。それからしばらくして、子どもたちが母親のボーイフレンドの誕生日ディナーについて話をしていて、どこで食事をしたのか聞くと、『彼の大好きなレストランだよ』と教えてくれた。僕はそこで真実を知った。古いクレジットカードのレシートが証明してくれたんだ」
カイル・B
「ルーブル美術館が閉まってて、それを私のせいにされた。私が営業時間を調べることになってたんだけど、間違えていた。
夫と私は連休にパリを訪れていて、パリが初めてだった夫は、観たいところをリストアップしていた。私にとっては毎日、やりたくもない借り物競走のために走り回っているような気分だった。初日が終わる頃には、足にまめができていた。
カフェでリラックスし、エスプレッソをすすりながら1日中人間観察をしたかったけど、夫はコーヒーを飲まない。そしてルーブル美術館を見れないと分かると、彼は自分のリストにさらに固執し始めた。
私は彼の後を1つの場所から次の場所へとついて回りながら、結婚して10年も経つと、共通のことを楽しめなくなっているという実感を無視しようとした。ケンカというより、ただ『私たち』というものはもう存在しないという感覚だった。
そして、外国にいる時、特に世界で最もロマンチックなパリにいる時、それはとても孤独な感覚だった」
『The Buddha at My Table』著者、タミー・レザー
「私の結婚生活最後の大げんかは、私のスマホについてだった。私の夫に対するの時間を奪っていると、彼は私のスマホを取り上げた。私は激怒した。そのスマホには私の生活全てが入っていたし、子どもたちとの連絡にも必要だったから。ただのスマホだけど、私にとってはもっと大きな意味があったんだと思う。だから、夫が私を色んな意味でコントロールしようとすることにもう耐えられなかった。
私は教養のある大人の女性で、妻で、母親で、労働者で、恋人でもあった。でもその瞬間、私たちの関係に対する夫の不安と、彼を常に安心させることへの私の関心の無さが、18年間の結婚生活にピリオドを打つと分かった。
とても悲しかったし、私や子どもたちにとってさまざまな面で多くの喪失感があったけど、結婚した2人が一緒に成長しないとき、どんなに努力しても、再び繋がることはとても難しい」
シェリー・モリス
「離婚を決める前に最後にした大げんかは、その前に50回したのと同じケンカだった。いつもと同じことを繰り返した。『子どもたちといるのはいつも私』『僕だけが収入を得てる』『私に感謝してくれない』『僕を尊敬してくれない』『あなたは変わった』『もう共通点がないね』『不倫してる?』
私たちの結婚生活での問題は、効果的なコミュニケーションの取り方を知らないまま、お互い諦めてしまったこと。2人の間に信頼もなければ尊敬もなかった。私が思うに、7年の結婚生活が続くという可能性はそもそもなかった。
問題がたくさんあるのに、個人としても夫婦としても、本当の意味での助けを得ようとしなかった。結婚カウンセリングを受けたけど、問題の一角に触れただけで、お互い早く別れた方が良いと思ったんだと思う」
シカゴ・トリビューン紙に掲載されたコラム『Love Essentially』の著者、ジャッキー・ピロソフ
「元夫との最後のケンカは何も特別なものではなくて、これまで何度も何度も繰り返してきた、お金に関するものだった。彼はギャンブル好きで、とても買えないような車をリースして、浪費することで成功したフリをしていた。私は節約家で、貧しい家庭の出身だったから、金銭面でお互いに共感できなかった。
離婚経験のある人なら誰でも、離婚は一晩で起こるわけではなく、何度もケンカを繰り返してきた結果だと知っているはず。結婚生活において、お金は全く正反対の視点を持つにはあまりにも重要なこと。だから、別れる半年から1年前ごろには、私たちの3年近く続いた結婚生活が終わると分かっていた」
スージー・ムーア
「絵に描いたようにパーフェクトだった夜、夫と2人の子どもと一緒にテーブルで食事をしていた。子どもたちは父親が家にいることを喜んでいて、私はそれを見ているのが嬉しかった。娘は椅子から降りたがって、他の小さな子どもがやるように、自由になれるまで身をよじった。すると彼女のイスと食事も一緒に下に落ちた。
夫はすぐ立ち上がり、2歳の娘を怒鳴りつけて叩いた。娘は泣いた。
最初、私は呆然として動けなかった。夫が娘を慰め、『大丈夫だよ』と言ってくれるかと思ったが、そうはしなかった。
正直に言うと、彼の反応に驚きはしなかった。私たちは最初から、子どものしつけについて全く違う考えを持っていた。娘を慰めていると、『子どもを甘やかすとろくな者にならないぞ』と夫が言うのが聞こえた。
彼が子どもに怒鳴りつけたのも、そんな彼を私が怒鳴ったのも、これが初めてじゃなかった。でもあの夜、あのケンカが、彼を残りの人生を共にする相手として見た最後だった」
キャロル・シェーファー
回答は分かりやすいよう編集・要約されています。
ハフポストUS版の記事を翻訳・編集しました。
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
離婚の決め手になったケンカはどんなだった? 離婚経験者に聞いた