村岡桃佳選手は2014年、ソチパラリンピックに出場し大回転で5位入賞。18年の平昌パラリンピックでは日本選手団の旗手を務め、金メダル、銀メダル2つ、銅メダル2つと5つのメダルを獲得。パラ陸上競技で出場した21年の東京パラリンピックでは100メートルで6位入賞。22年の北京パラリンピックでは、さらに3つの金メダルに銀メダルとここでも4つのメダルを奪取。冬季パラリンピックで金メダル4つという日本人最多記録を持つに至る。
だが、東京パラリンピック開催を経てダイバーシティ、そして「共生社会」が実現したかと問われると、実感としてはなかなか難しいと村岡選手は語る。
たとえばタクシー。東京都内では、東京パラリンピックと前後しバリアフリーに特化したタクシーが普及。車いすの方でも簡単に利用、乗降できるように着脱式のスロープまで備えている。しかし実際には、スロープの着脱には知識と技術、経験を要するなど、タクシー会社でサービス実現のハードルは高く、中には車いすでのタクシー利用が受け入れられないケースもあったという。
こういったバリアフリー対応の難しさはタクシーだけではなく、路線バスを利用する際に乗車を受け入れてもらえなかったこともあったと村岡選手は語る。もしも同じように車いすを利用する方が乗車拒否に遭ってしまったら……そう考えたら、たまらずバス会社に問い合わせの電話を入れたくらいだ。
共生社会実現を目指す中、車いすの利用一つとっても世の中の対応にはバラつきがあり、実際に村岡選手のような場面に遭遇するケースは絶えない。
日本人最多となる冬季パラリンピックで4つの金メダルを獲得。すでに子どもの頃からの夢を叶えた村岡選手が今、陸上競技に取り組む意味とは何か。
「次のパリパラリンピックに出場したいという気持ちはもちろんありますが、それよりも単純に、もっと速くなりたい。モチベーションはずっと持続できるものではなく、どうしても気持ちに波があります。それでも日頃の練習の中でデータを見てトップスピードが上がったり、ちょっとした変化が目に見えたりすると、やはり走っていて楽しいと思える瞬間があります。大会に出場し記録が出せれば、モチベーションになります。車いすのレース中はひたすら車輪を回すので、ずっとうつむいて地面を眺めることになるんです。何のためにこんな苦しい思いをしているんだろうといつも思いますが、結局楽しいんですよね」。
そんな中、22年7月にはNAGASEカップに出場。「WPA公認 NAGASEカップ パラ陸上競技大会」(NAGASEカップ)は、世界パラ陸上競技連盟(WPA=World Para Athletics)公認の競技会で、障害を持たないアスリートも同時に参加可能な「高みを目指すすべてのアスリート」に向け昨年、初開催された大会だ。
車いすのアスリートの場合、同じレーン上を同時に走るわけではないが、健常、パラ問わずアスリートが一同に会し参加する大会はとても感慨深かったという。
「まったく一緒に同じトラックで『ヨーイドン』で走るのとは、また少し違うとは思います。それでも、同じ大会で同じトラックを使って競技に参加するのは、健常のアスリートとパラアスリートがそもそもお互いを知る機会になると思います」と大会を評価する。
その中でも村岡選手は特に印象に残ったエピソードも明かした。「私自身が競技場でウォーミングアップしている時、トラックではパラアスリートのレースが行われていました。その際、私の近くを健常者のアスリートが通りかかり、そのレースを眺めながら『はやっ!』と声を上げたんです。やはり記録とか、数値だけで競技を知るよりも、実際に目で見てわかるスピード感、目で見ないとわからない感覚があると思います。
このつぶやきには、私もすごく嬉しい気持ちになりました。『そうでしょ? すごいかっこいいんだよ』と(笑)。お互いを知らないと、理解し合うのはどうしても難しいですよね。日頃、お互いを知る機会も少ないと思うので、こうした大会を作ってもらったのはとても嬉しいです。この大会を通じ、パラアスリートをもっといろんな方に知ってもらえたらいい。お互いに知る機会……それこそ共生社会の実現に向けた一つのきっかけと考えています」。
一般のスポーツ・ファンは、パラスポーツをどのような目で観戦しているのだろうか。村岡選手はその点についてもこう指摘する。「パラスポーツは『障害者がリハビリのために頑張ってるんでしょ?』といった視点で捉えられることもあると思います。パラスポーツの魅力を伝えるには解説が必要といった難しさも。パラスポーツの魅力は、やはり実際に目の当たりにして単純に『すごい!』『かっこいい!』と思ってもらえたほうがより影響は大きい。私たちはアスリートとしてやっていますから、競技としての魅力、難しさ、かっこよさを、実際に観て感じてもらえたら嬉しい。その機会がある大会として、非常に意義深いと思います」。
さらに金メダリストである村岡選手は、アスリートの矜持も覗かせた。「パラスポーツだからという理由で『しょせんこのぐらいのレベルなのね』とは思われたくありません。私たちは本当に身を削って取り組んでいますし、トップとしてオリンピックに出場したアスリートと変わらないぐらいの挑戦をしています。そのレベルを比較することは難しいですが、少なくとも競技に取り組むマインドは同じか、もしくはそれ以上のつもりです。頂点を目指しているので、パラスポーツを『しょせんこのぐらいのレベル』と思われたくありません」。
パラアスリート、パラスポーツの位置づけについてもNAGASEカップには意義を感じるとも語った。「こうした大きい大会があれば、やはりトップの世界に挑戦しているんだ、厳しい世界なんだと理解されると思います。大会自体も単純な記録会ではなく、こうした規模の大会があると盛り上がりますし、選手としても高揚感を覚えます。純粋に楽しいです」。
村岡選手自身、NAGASE カップのようにパラスポーツも共催されるような大会がもっと増えるのが望ましいと捉えている。
ダイバーシティや共生社会……それらを現実のものとするためには、制度のみならず、私たちの心の持ちようにも変革が必要とされるのだろう。「しょせんパラスポーツ」という発想が残る限り、その実現は難しい。NAGASEカップがその心理的変革への第一歩なのかもしれない。
村岡 桃佳(むらおか ももか)
4歳の時に病気の影響で車いすでの生活となった。小学校3年時にチェアスキーと出会い、中学2年時に競技スキーの世界へ入る。17歳で日本代表に初選出。ソチパラリンピックに出場し、大回転で5位入賞。
日本選手団の旗手を務めた平昌パラリンピックでは、大回転優勝を含む出場5種目全てで表彰台に上がり、冬季パラリンピックにおける日本人選手史上最年少の金メダル、また日本人選手最多、1大会5個のメダルを手にした。
翌年春からはパラ陸上競技短距離にも本格的に取り組み、東京2020パラリンピックに出場、6位入賞を果たした。
日本選手団の主将として出場した北京パラリンピックでは、金メダル3個、銀メダル1個を獲得。冬季パラリンピックにおける通算4個の金メダルは、日本選手で単独最多となった。
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(NAGASEカップ5月31日掲載記事「4つの金メダルを持つ村岡桃佳選手が望む NAGASEカップの向こう側 後編」より転載)
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
パラメダリスト村岡桃佳選手が、健常者と同じフィールドで競技する意義