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つい先日、コメディアンのチェルシー・ハンドラーがTwitterに投稿した動画を見た。子どもを持たない選択をした彼女を批判する保守派コメンターたちに皮肉と笑いで反論する2分ほどの動画だ。
その中でハンドラーは、自身のベストセラーやNetflix番組などの功績について語り、私たち女性は子どものいるいないに関わらずやりたいことができる、と自らの人生を楽しんでいるようだった。
でも、コメンテーターたちがハンドラーの選択を中傷するのを聞きながら、疑問を持ち始めた。もちろん、彼女は裕福で誰もが夢見るような成功を収めている。それでもコメンテーターに酷い誹謗を受けている。
ハンドラーや私のように子どもを持たないという選択は、資産主義の時代遅れな生物学的運命を満たさないという決断を、残りの人生ずっと擁護しなくてはならないことだとはっきり理解した。
「Patriarchal motherhood(家父長制的母性)」とは、全ての女性が母親になりたがり、母親になることこそが女性の喜びと目的を見出す方法であるという考え方だ。
でも、もしそう感じなかったら?
私が高校生だった時、「子育てと家族制度」という授業を受けた。週末にプラスチック製の赤ちゃんを持ち帰らなければならなかっとこと以外、授業内容は何も覚えていない。
この授業は、高校時代の恋人と大学卒業の約2年後に結婚する場合、どんな準備が必要かを理解し、母親への準備をするものだった。
「赤ちゃん」を泣き止ませるにはカギを背中に刺す必要があった。「でもまず最初はなだめて、何が欲しいのか理解しましょう」と先生は言った。
「赤ちゃん」が初めて泣いたのは、ボーイフレンドといちゃついてる時だった。
彼は息を切らし半分笑いながら「うるさい!」と言ったので、私は呆れてしまった。母性本能などなくても、赤ちゃんに怒鳴っても泣き止まないことくらい知っていた。
「赤ちゃん」は泣き続けた。
「どうすればいいんだよ?」ボーイフレンドは私に覆い被さりながら、まるで私たちがこの偽赤ちゃんの実際の親であるかのように苛立っていた。
これが子どもを育てるということなのか?
「分かんないよ。私ママじゃないもん」私も苛立ち言い返した。
「それはよかった。君はたぶん、一生母親になるべきじゃないよ」
まるで、ビンタされたような気分だった。
彼はまだ17歳だったけど、その言葉は私に重くのしかかった。その時初めて、自分が母親になるべきかどうかを考えた。もしなるべきじゃないなら、それは私の今後にとって何を意味するのか。子どもなしで成功や幸せは手に入れられるのだろうか。
20代から30代にかけて、この葛藤は続いた。「私はいつ子どもを欲しいと思うようになるんだろう?一生欲しいと思わなかったらどうなるんだろう」と常に考えていた。
友人の結婚式で酔っ払った私は、ダンスフロアで音楽に合わせ体を揺らしながら、夫のスティーブに冗談っぽく「そろそろ子作りしようよ」とささやいた。
お互い28歳で、交際歴9年、結婚歴1年。いつも、子どもは欲しいと思ったら、その時に作ろうと話していた。でもこれまで、そうした兆候はなかった。
だからその夜、私たちの結婚生活を試すために「子どもが欲しい」と要求した。私はふらつきながら、「すぐに子どもを作ろう。今夜にでも」と言った。
スティーブは微笑みながらも心配そうで、私が本気か冗談か分からないようだった。でも私が本気だとわかると、「ありえない」と答えた。
彼がゆっくりとビールを飲む間、私の体には怒りが込み上げてきた。彼をなぐりたくなった。私たちは子どもが欲しいはずでしょ?誰かを愛し、共に人生を築くってそういうことでしょ?自分だってためらっていたのに、彼が躊躇したことに腹が立った。私は赤ちゃんが欲しいかは分からないけど、彼には欲しいと思っていて欲しかった。
たまに赤ちゃんの名前について口にすると、スティーブは静かになった。私はその沈黙に苛立った。こうしたやりとりは何年も続いた。スティーブは、私たちが本当に欲しければ、赤ちゃんは持てると言っていたけど、私はそれに疑問を感じながら、スティーブがそのチャンスにすぐ飛び付かなかったことにとにかくムカついていた。
その結婚式から3年ほど経った頃、私たち2人の中で何かが変わった。
ニューヨークへの引っ越しも含め、お互いのキャリアや生活が落ち着いてきたことで、何を求めているのか考える時間ができたからかもしれない。それなりの貯金や年金積立てもあったし、「トライしてみようか」という流れになった。もしくは、数十年後に老人ホームで一人きりになり誰も面倒を見てくれなった時、後悔したくなかったのかもしれない。
それから、しばらく成り行きを見ることにした。この選択について、特に深い会話があったわけではない。それより、お互い降参したような感じだった。突然、頭の中の声が「私は全て間違っていた。子どもは絶対欲しいはず。今すぐ始めなくちゃ」と私を説得してきたのだ。
子作りを決心してからの行動は早かった。最初の夜のセックスは、ぎこちなくロボットみたいだった。それから数カ月間何も起こらなかったので私は心配し始めた。妊娠検査薬を使うたびに、青い一本線が「陰性」を知らせてきた。これは、私たちが親になる運命ではないという宇宙からのサインではないかと思い始めた。
でもついに、検査薬に「陽性」サインが現れた。身体中に不安が込み上げた。箱に入っていた残り2つの検査薬を違うタイミングで使ったが、どれも陽性だった。
私は職場にいるスティーブに電話した。「今ひとり?」と声を震わせながら尋ねた。その答えを聞く前に、すでに数回妊娠検査薬を試したこと、そして全て陽性だったことを話した。彼が受話器越しに大きな深呼吸をしたのが聞こえた。
喜びの深呼吸だったのだろうか?
「なんかおかしい。今すぐ救急病院に連れてって」トイレの入り口で私は言った。
その後の記憶はなく、気づいたら、病院でガウンを着ていた。
医師は安心させるような口調で「妊娠中には時々出血することがあるんです」と言った。私が大袈裟だっただけで何も問題はなく、スティーブと私はUberで家に帰った。
数日後、また出血し、病院に行き、検査をし、超音波検査もした。今回は、流産していた。
流産後、私は子どもを持ちたいと感じなくなった。友人たちはどんどん妊娠していき、私はどんなものかと一時的に母親役を試してみた。でも、永続的に母親になっている自分のイメージは抱けなかった。
6月の蒸し暑いある日の午後、友人のサラから生後数カ月のエリーのベビーシッターを頼まれ、ブルックリンにある彼女のアパートに向かった。赤ちゃんの世話なんて何年ぶりだろう。オムツ替えのやり方は覚えてる?もし赤ちゃんが泣いたらどうしよう?緊張の波が一気に襲ってきた。
ベビースイングですやすやと眠るエリーと2人きりになった私は、エリーの美しく乳白色の肌、赤みを帯びたほっぺ、呼吸で上下に動く胸を見つめて思った。
私の決断は正しかったのだろうか?
鈍い痛みはやがて、罪悪感、羞恥心、悲しみという鋭い痛みに変わった。私が子どもを産むことはないだろう。
自分が泣いているのに気づくのに30秒かかった。そしてその10秒後、私は号泣していた。
私自身と、下さなければいけなかった決断のために泣いた。そして、なんらかの理由で母親にならないと決断しなければならなかった全ての女性のために泣いた。
母親になるかどうかの不確実な未来は、決して止まることのないメリーゴーランドのようなものだ。40歳になった今でも、「子どもはいらない」という気持ちは変わるだろうと言われ続けている。
でも最近では、冒頭のハンドラーや他のセレブやインフルエンサーたちが、子どもを持たないという決断について発言するようになり、自分の選択に納得できるようになった。俳優のジェニファー・アニストンは昨年、50代になってついに後悔が全くなくなったと雑誌『Allure』に語っている。
全ての女性のために、自分にあった人生を選べるよう道を切り開いている女性たちはパイオニアだ。家父長制という牢獄にNOを突きつけたのだ。そしてその抵抗に対し、冒頭の保守派コメンテーターのような権力構造を維持することに固執する人々は闘いを挑んでくるだろう。
彼らに闘わせればいい。私はもう自分を弁護する必要性は感じない。説明する必要性も感じない。自分の体についての選択の正当性に嫌味を言ってくる人たち、そして世界の誰にも証明する必要性を感じない。
代わりに、ハンドラーの言葉を祈りのように受け止めているーー私たち女性は子どものいるいないに関わらずやりたいことができる。
幸せと充実を得るための道は一つではない。高校生の時に偽赤ちゃんを抱っこした時から親になりたいと思った人もいるだろう。一方、私のように、その人形の顔を見つめて不安を感じた人もいるのだ。
ハフポストUS版の記事を翻訳・編集しました。
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
子どもが欲しいかずっと分からなかった私。今やっと自分の決断に納得し始めている。