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ピクサー最新作『マイ・エレメント』の評判が上々だ。相反する「火」のキャラクターと「水」のそれが互いに触れ合い交わる時、その間には「湯気」が立っている。シンプルな描写だが、アニメーションの美しさが際立ってとても印象に残るシーンだ。
映画はこの2つの元素の交わりを通して、読者に多くの大切なことを訴えかける。
この物語を「人間」で描かなかった理由とは──。監督の考えは、とても深いものだった。(※以下では作品の内容に触れています。ご了承の上、お読みください)
ピーター・ソーン監督の『マイ・エレメント』はエレメント(元素)の世界を描いた物語。火・水・土・風の4つの異なるエレメントがともに暮らす都市「エレメント・シティ」が舞台だ。火のエレメント「エンバー」と水のエレメント「ウェイド」は性格や特徴、属性もすべてが正反対。相容れないはずの2つの要素の交わりが織りなす、愛と家族の物語だ。
世界での興行収入はすでに4億ドルを突破し、日本では8月4日に公開されるとレビューサイト『Filmarks』では人気作『リメンバー・ミー』などと並び4.1点と高得点を得ている。X(旧Twitter)の感想でも「今までのピクサー映画の中で一番好き」などのコメントが寄せられている。
『マイ・エレメント』の物語に惹かれる理由は、監督のバックグラウンドにも垣間見える。ディズニー・ピクサーの過去の作品を見ても、これほどまでに“作り手”である監督のプライベートな経験が反映された作品は珍しいと言ってよい。
物語は火のエレメント「エンバー」がまだ母のお腹の中にいる頃、彼女の両親がエレメントシティに移住してきたところから始まる。多様な属性が共に暮らす街のはずが、水・土・風のエレメントから歓迎されず、「火」というだけで厄介な存在として疎ましく思われる日々。そんな中、なんとか住む場所を見つけ、雑貨店を切り盛りし、両親は娘のエンバーを育てていく。
冒頭にも触れたが、同作では監督の個人的な過去の体験が随所に盛り込まれている。自分自身で「(今作は)僕にとってパーソナルなストーリー。僕の両親が犠牲を強いてくれたことについて語るもの」としている。
ソーン監督はアメリカ生まれだが、彼の両親は韓国から言葉も分からぬまま米・ニューヨークに移り住んだという。自身については「成長していくにつれて、私は韓国人なのか、それともアメリカ人なのかと、自分のアイデンティティーに関して、『僕は一体誰なのか』ということを自分に問いかけ続けていた時期があった」と話す。ソーン監督は火のエレメント「エンバー」の両親と自らの両親を重ね合わせていたのだ。
火のエレメントが対峙する困難は、どこから着想を得たのか。監督は具体的なエピソードとともに次のように語っている。
「両親は地下鉄に乗るのを嫌っていました。英語のマップが読めなかったからです。それ以外にも『ここはあなたの生まれたところではない・(コミュニティに)属していない』と感じさせることが、1日を通して色々なところにあります。住む家を見つけたり、美術館に入ったり、そういう当たり前のことがとても難しかったりする。それを『火』で考えてみたのです。もし『火』が『水』の街に行ったら、『火』はどんな困難を感じるのか。そんな風に、エンバーと彼女の家族の視点から街を作っていきました」
ソーン監督が作品を通して伝えたいメッセージは何か。キーワードは「共存」だという。
「この世界にはいろんな方がいて、みんなそれぞれ違いもあります。時にはうまくいったり、うまくいかなかったりする場合もあると思うんです。とにかく私がフォーカスを当てたかったのは、皆がどんなに違っても、必ず共存できる。それをすごく強調したかったんです」
映画では、特に印象的な「セリフ」がある。主人公で火のエレメントのエンバーに対して、祖母が死に際に「(自分と同じ属性の)火と結婚しなさい」と遺言を残したのだ。
実はこのシーンにも監督の実体験が反映されている。例えば、火と水のエレメントが互いに睨みをきかせるように、映画では「文化の衝突」の存在を繊細に描いている。「ベースにはカルチャーショックがある」とした上で、同シーンに込められた体験を次のように振り返る。
「実は私自身、韓国籍の人とは結婚せず、イタリア系のアメリカ人女性と結婚しました。それに対して、私の親は結婚をあまり喜べなかったっていうところがあります。私の祖母の死に際の言葉は文字通り「韓国人と結婚しなさい」でしたからね…(笑) それは作中でエンバーのおばあちゃんが言ったセリフと同じです」
結果的に、エンバーは祖母の遺言を守ることはない。過剰に水を敵対視する父親に隠れ、水のエレメントでもう一人の主人公のウェイドと交わり恋に落ちる。相反する属性の2つの交わりは時に互いに不器用で、一方で互いにないものに惹かれ合う。そんな繊細な描写も、映画の見どころの一つとなっている。
ディズニー・ピクサーが多様性や文化の衝突を積極的に描くようになって久しいが、祖母のセリフはある意味、その後の物語の展開における重要なスパイスになっている。
ピクサーといえば、お馴染みの『トイ・ストーリー』シリーズで知られる。シリーズはこれまで4作品が公開され、いずれも大ヒットとなった。その名の通り、物語の主人公は言わずもがな「おもちゃ」たち。「人間」ではないからこそ、見る側は不思議と物語に感情移入ができる部分があっただろう。筆者もその一人だ。
今回の『マイ・エレメント』の物語の登場人物は、例外なく全てエレメント(元素)だ。人間ではない。その点で『トイ・ストーリー』シリーズとは共通している。
この物語を人間で描こうとしなかった理由は何か。監督は次のように語っている。
「子供の頃、僕は、国境を感じさせない映画が好きでした。肌の色の違いを超えた物語が。アクション映画であれ、アニメーションであれ、当時韓国系やアジア系のキャラクターはあまりスクリーンに出てきませんでしたから。両親と一緒に映画を見ていても、僕たちが共感するのは人間でないキャラクターが出てくるものでした。僕が監督した最初の短編映画「PartlyCloudy」には、雲と鳥が出てきました。そういうキャラクターが世界のどこにいる人にも共感してもらえるというのが、僕はとても好きです。これらのキャラクターでは、皮膚の色などについて気にする必要がありません」
人間ではない“キャラクター”は誰にでも共感してもらえる可能性を秘めていて、皮膚の色などを気にする必要がない──。ソーン監督はこう話す。
近年ではディズニー作品でも多様性の観点やマイノリティーの起用を強く意識し、キャスティングに反映されるようになった。最近では『リトル・マーメイド』のアリエル役や彼女と同じ人魚のキャスティングが議論を呼び、注目を集めたばかりだ。
歴史的な背景や時代の動きを考えると、この流れ自体はもちろん歓迎すべきだが、かといってキャスティングに注目が集まりすぎると、ストーリーに集中する前の段階で主人公や登場人物の肌の色にどうしても目がいってしまうのも事実ではある。とりわけ、実写映画や人間を主人公にしたアニメーションではそんなケースもある。
これを踏まえると、ソーン監督が話すように「人間でないキャラクター」で描かれたからこそ、私たちは物語により没入することができ、共感できることがあるのかもしれない。
ソーン監督の両親は、この映画の製作中に亡くなった。実際に映画を見せることは叶わなかったが、これは監督が両親にあてた心のこもった“ラブレター”だ。エンドロールでは「一枚の写真」が紹介される。ぜひ、それにも注目してみてほしい。
ピクサーが紡いだ珠玉のラブストーリーは、観終わった後にどこか優しい気持ちになれる。
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
『マイ・エレメント』はなぜ物語を人間で描かなかった?火と水の交わりを通して伝えたかったこと。監督の考えがとても深かった