トランス女性へのホルモン療法で「メンタルヘルスが悪化する」は本当?原因を“単純化”する危うさ

トランスジェンダー当事者(※1)のメンタルヘルスをめぐり、「ホルモン療法が自死に追い込む」という内容の記事や投稿がネット上で拡散されている。 

だが、こうした情報は正確ではない。むしろ、ホルモン療法後にトランスジェンダー当事者のメンタルヘルスが良好になる場合が多いことを示す海外の研究や論文は複数存在する。

専門家は、「ホルモン療法が自死の原因だ」と断定することに対して「背景には様々な要因が絡んでいて、薬の副作用が全ての原因というのは誤解を与える」と指摘。

「人の自死の原因はとても複雑なもの。それにもかかわらず、『ホルモン剤を使ったからだ』と単純に結論づけることは、ただ社会の課題から目を背けようとしているに過ぎない」と警鐘を鳴らす。

ホルモン療法で多くは精神状態が良くなる結果に

GID(性同一性障害※1)学会理事長で、トランスジェンダーの医療面での性別移行に詳しい医師・医学博士の中塚幹也氏(岡山大学大学院教授)によると、トランス女性(※1)に対するホルモン療法では、「エストロゲン(卵胞ホルモン)」を使用するのが基本。主な投与方法に経口剤、注射、貼付や塗布があるという。

中塚氏らの研究グループは、ホルモン療法を3〜4年間続けたトランスジェンダー当事者を対象に、メンタルヘルスに関する調査を実施。2010年に結果をまとめた。

トランスジェンダー女性(83人)のうち、ホルモン療法後に精神状態が上昇した人は76.5%に上り、下降した人は15.7%、不変は7.8%だった。トランスジェンダー男性(132人)では、精神状態が上昇した人は約9割を占めた。

「トランス男性に男性ホルモンを、トランス女性に女性ホルモンをそれぞれ投与した場合、ほとんどは精神状態が良くなり、抑うつ状態にあった人も症状が改善されました」(中塚氏)

ホルモン療法をすることで、なぜ精神状態が上向くのか。

中塚氏は、「ホルモン療法をしたいという長年の希望が叶ったこと自体に満足感を得られる人は多いです。それ以外にも、個人差はあるもののトランス女性であれば胸が大きくなる・体毛が薄くなる、トランス男性であれば生理が止まる・ひげが生えるといった身体の変化を実感でき、気持ちが向上することが挙げられます」と分析する。

国際的な医学雑誌「The New England Journal of Medicine」「Journal of Adolescent Health」やアメリカ医師会雑誌「JAMA Networkなどで発表された複数の論文では、ホルモン療法へのアクセスが、若年のトランスジェンダー当事者の自殺リスク低下と関連していることが示されている。

ただ、欧州では健康への長期的な影響が明らかになっていないことなどを理由に、未成年者に対するホルモン治療を制限する動きもある

精神状態の下降の全てが「副作用」ではない

ホルモン療法後に精神状態が良くなるケースは多い一方で、下降するケースもゼロではないと中塚氏は指摘する。

「私たちの調査では、ホルモン療法をしたトランス女性のうち15.7%が精神状態が下降し、気持ちが沈むなどの症状を訴える人がいました。

ただ、その全てがホルモン剤の副作用によるものとは言えません。私の臨床的な経験では、そのほかの様々な要因が絡んでいました

ホルモン療法の開始後、薬の副作用とは別にどのようなことがメンタルヘルスの悪化に関係しているのだろうか。

「例えば、女性ホルモンの投与を始めて体が女性的になった後、女性装で会社に行こうと思っても、なかなか勤務先に受け入れてもらえずに退職を余儀なくされたケースもあります。トランス女性の場合、転職が難しいことも多いです。

一方で、トランス男性はホルモン療法で体がより男性的になり、トランスジェンダーだと知られることなく暮らそうと思えば可能なことが多いです。今の会社を退職して男性として別の会社で働くということがしやすい。

トランス女性に比べ、トランス男性の方が精神状態の下降の割合が低い理由としてこういった背景もあります」

このほか、ホルモン療法への期待と結果のギャップ精神状態の下降の要因となり得る。また、ホルモン療法の開始に伴う生活の変化も精神状態に影響すると中塚氏は言う。

「ホルモン療法を始めた後にパートナーとの関係が悪化して離婚したり、子どもと離れ離れになったりすることがあります。こうした生活面での変化が重なると、うつの症状や自殺念慮が高まることがあるのです」

さらに、適切な医療にアクセスできていない問題もあるという。

「希望する治療を受けられる医療機関が近くにないなどの場合、海外からホルモン剤を個人で輸入し、自己判断で投薬する当事者もおり、その場合心身の健康上のリスクは当然高まります。

他にも、家族や友人などの中に信頼し安心できる人がいるか、また当事者グループなどのコミュニティの存在の有無も、ホルモン療法の開始後のメンタルヘルスに関わります」

このように、ホルモン療法後の精神状態の下降の要因は多岐に渡る。

中塚氏は「私自身の診察の経験からも、ホルモン療法の副作用だけにより自死につながるほどの気分の落ち込みが起こるというのは考えづらい。背景には様々な要因が絡んでいて、単純に薬の副作用が全ての原因だとして片付けるのは誤りです」と述べた。

投与が始まった後も、適切な医療機関であれば当事者の精神状態を観察し、必要なケアを行っていると中塚氏は強調する。

変わるべきは、当事者を追い詰める社会

トランスジェンダーのメンタルヘルスの問題は、これまでに国内外の複数の調査でも明らかになっている。

例えば、15〜17歳の6800人を対象としたカナダの調査では、シスジェンダー(※2)の異性愛者の若者と比較して、トランスジェンダーの若者は自殺念慮のリスクが5倍、自殺企図(※3)のリスクが7.6倍との結果となった

岡山大学病院ジェンダークリニックを受診したGIDの当事者1452人を対象にした2012年の調査では、自殺を考えたことがある人は58%、自殺未遂や自傷をしたことがある人は30%に上った。

中塚氏は「もちろん体の悩みがつらいということはありますが、自殺リスクが高いのは『自分の望む性として生きたい』ということを周囲に理解されないという要因がとても大きいのです」と話す。

学校でのいじめ、就職差別、職場でのハラスメントや性被害リスクの高さ、ネット上での誹謗中傷━━。トランスジェンダー当事者のメンタルヘルスを悪化させ得る社会の側の問題は、繰り返し指摘されてきた。

「『ホルモン療法が原因』と言えば、トランスジェンダー当事者に対していじめや誹謗中傷をしてきたと自覚する人にとってはある種の免罪符になるでしょう。ですがここまで見てきた通り、原因はもっと複雑です。『当事者を追い詰める社会の側こそ変わる必要がある』という流れにつながってほしいと思います」(中塚氏)

<取材・執筆=國崎万智(@machiruda0702)/ハフポスト日本版>

【注釈】

(※1)「トランスジェンダー」とは、出生時に割り当てられた性別と、自身のジェンダーアイデンティティが異なる人を指す。

このうち、「トランスジェンダーの女性(トランス女性)」は出生時に割り当てられた性別が男性で、ジェンダーアイデンティティが女性の人を、「トランスジェンダーの男性(トランス男性)」は出生時に割り当てられた性別が女性で、ジェンダーアイデンティティが男性の人をそれぞれ指す。

トランスジェンダーの人に対し、医学的な診断名として「性同一性障害(GID)」という用語が従来使われてきたが、現在では「性別違和」「性別不合」という名称が用いられることが増えている。

(※2)「シスジェンダー」は、出生時に割り当てられた性別に違和感がなく、ジェンダーアイデンティティと一致している人を指す

(※3)「自殺企図」とは、様々な手段によって実際に自殺を企てることを指す

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Machi Kunizaki