頭脳警察・PANTAさんの訃報

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7月7日、七夕の日、尊敬する人が亡くなった。 

それはPANTAさん。言わずと知れた「頭脳警察」のボーカルだ。享年73。

そんなPANTAさんと、私はこの20年ほど親しくさせて頂いた。

きっかけは、イラク戦争。2003年3月に開戦したイラク戦争の1ヶ月ほど前に「イラクで反戦を訴える」と数十人でバグダッド入りしたことはこの連載でも何度か触れてきたが、そこで一緒だったのだ。この「イラク訪問団」、PANTAさんがいるだけでもすごいのに、新右翼・一水会を創設した鈴木邦男氏や元赤軍派議長の塩見孝也氏、「キツネ目の男」関係者、ロフトプラスワン御一行などの魑魅魍魎からなる百鬼夜行。

イラク行きを前にした説明会的な場で会ったのが初対面だったのだが、私にとって「頭脳警察」は伝説のバンド。そしてPANTAさんは伝説のカリスマ。その日も「PANTAが来るよ」といろんな人が噂しており、「怖い人なのでは」とビビっていたのだが、初めて会ったPANTAさんは拍子抜けするほど優しくて、全身の毛穴から「包容力」が溢れ出ているような人で、バグダッド滞在の10日ほどで私はすっかりなついてしまったのだった。

印象に残っているのは、PANTAさんがイラクに持ってきていた「水をろ過する器具」。イラクはインフラが破壊され、水道水も汚染されているということで、PANTAさんは「どんなに汚い水でもろ過して飲めるようにする器具」みたいな便利グッズを持ってきていたのだ。「伝説のロッカーなのに準備のいい人だなぁ」と思ったことを覚えている。

それからだ、PANTAさんとよく会うようになったのは。

いろんな話をしたけれど(ほとんどがバカ話)、私とPANTAさんの共通の趣味に「塩見孝也」があった。

先に書いたように元赤軍派議長なのだが、20年を獄中で過ごしたからか世間知らずなところがあり、17年に亡くなる寸前まで「世界同時革命」を目指していたというド天然の革命家である。

しかも晩年はシルバー人材センターで駐車場管理人となり、初めて「労働者」となったのだが、そこでは同世代の同僚に「議長」と呼ばれ、労働相談などを耳にするうちに「シルバー人材センターユニオン」を作ろうと思い立ち、フリーター労組に入っていた私に相談。そんな相談の場で、「シルバー人材センターユニオンを足がかりに、ゆくゆくは世界同時革命を目指したい」と照れた様子で語った時には、「この人、21世紀にもなってまだそんなこと言ってるなんて、本気と書いてマジな人だ!」と心の底から感銘を受けた。

塩見さんは15年、東京都清瀬市の市議会選挙に出るのだが、「赤軍」「獄中20年」と書かれたのぼりや横断幕を手に「赤軍派もいる明るい清瀬!」「清瀬から世界同時革命!」と清瀬の街を練り歩いた選挙運動は今も白昼夢のような光景として私の記憶に焼き付いている。

と、こんな塩見さんを私もPANTAさんも愛してやまなかったのだが、塩見さんとの付き合いは私の方が長い。よって、PANTAさんは何かにつけ、私から「塩見エピソード」を仕入れたがったのである。例えばみんなで飲んでいて、「この前、塩見さんがさぁ……」などと言おうものならPANTAさんは少年のように目をキラキラさせ、待ちきれないという笑顔で「なになに? なにがあったの?」と身を乗り出してくるのだ。

そうして「少し前、『あなたの精子をください』みたいな迷惑メール(昔はそういうのがあった)を真に受けて、『最近の女性は、そんなに解放されているのか?』と真顔で〇〇さんに聞いていた」などと言うと、全身をよじって笑ってくれる。PANTAさんと言われて思い出すのは、「塩見エピソード」で呼吸困難を起こすほどに笑い転げている姿だ。

思えば、硬派なパブリックイメージとは違い、いつも心から楽しそうに笑っている人だった。

PANTAさんの、「ロッカーとしての凄み」を見たのはイラクからの帰国後。PANTAさんがイラク戦争のある「戦い」に衝撃を受けて作った曲を生で聴いた時だ。

曲のタイトルは、「七月のムスターファ」。

ムスターファとは、サダム・フセインの孫である14歳の少年。

私たちがイラクから帰国してすぐにイラク戦争が始まったことは先に書いたが、その2ヶ月後の5月、当時のブッシュ米大統領により「大規模戦闘終結宣言」が出される。が、現地では混乱が続き、サダム・フセイン大統領やその家族の行方もわからなくなっていた。

そんな中、ムスターファは父親であるクサイ(サダムの次男)と叔父であるウダイ(サダムの長男)とともに逃亡していたようである。

しかし、7月のある日、彼らは米軍に見つかり、包囲されてしまう。相手は数百人の米軍。対してムスターファと一緒にいたのは父と叔父、ボディガードだけ。

銃撃戦の中、最後まで生き残った14歳のムスターファはたった一人になっても銃を撃ち続けたという。一時間もだ。しかし、少年は米軍によって殺された。

そのことを歌にしたのが「七月のムスターファ」(ユーチューブなどで聴ける)。

この銃撃戦でサダムの長男、次男が亡くなったことは世界中に大ニュースとして報じられた。

一緒にいたクサイの息子が死亡したことも伝えられた。しかし、それはわずか一行のニュースで、少年の「抵抗」を、世界が知ることはなかった。

そして私も、PANTAさんの曲を聴くまで、そんなことがあったなんて知らなかった。

大統領家の孫に生まれたことで、14歳で命を奪われた少年。世界中でPANTAさん以外、誰も注目しなかった彼の戦い。

ウダイ、クサイの死のニュースとともに、世界中に彼らの死体写真がバラまかれ、まるで見せしめのようにネット上に晒された。

損傷の激しい遺体の写真を目にして、私は大きなショックを受けた。なぜなら1999年、1度目のイラク行きで大統領宮殿に招待され、ウダイ・フセイン氏と会ったことがあるからだ。

入り口には金属探知機が設けられ、ティッシュくらいしか持ち込めなかった大統領宮殿の豪華絢爛な部屋で会見したウダイ氏は、静かに話す人だった。日本の政治情勢にも詳しく、当時都知事になったばかりの石原慎太郎氏の就任を「日本にも反米の政治家が登場したことはいいことだ」と語っていたことを覚えている。

そうして一人ひとりと写真を撮り、その写真はおそらくイラク大使館経由で数ヶ月かけて送られてきた。私の家には今も、ウダイ・フセインと握手する写真が保存されている。

そんなウダイ氏の変わり果てた姿に、私はただただパソコンの前で凍りついていた。

あれから、もう20年。

しかし、イラクの混乱は今も続いている。

PANTAさんの訃報が届いた日、久々に「七月のムスターファ」を聞いた。イラクの炎天下の、熱い熱い照り返しが蘇るような曲だった。

それにしても、今年は大切な人が死にすぎる。

1月に鈴木邦男さん、2月に「だめ連」のぺぺ長谷川さん、そしてPANTAさんと、私がなついていた人ばかりが次々とこの世を去っていく。

そのことが、たまらなく寂しい。

2020年11月、連合赤軍イベントでご一緒したPANTAさん

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