末っ子のジョンは、地域の病院で真夜中に生まれた。
上の2人の子にそうしたように、生まれたばかりの我が子を抱き抱え、喜びの涙を流した。
彼はとても小さく、でも宇宙全体のように大きな存在だった。妻と私は疲れも忘れ、息子の誕生が与えてくれた喜びに浸っていた。
しばらくすると、担当の産婦人科医が話をしにきた。
「残念ですが、悪い知らせがあります。あなたのお子さんは、軽度のダウン症の可能性があります」
医師はそう告げ、それ以外は何も言わず部屋を出て行った。
僕らは愕然とした。どういう意味なんだ?僕らの息子だ、何も悪いはずがない。医師の口調と言葉は僕らをひどく動揺させた。僕らはダウン症のある人たちを知っているし、妻は大学時代に施設で働いたこともある。何があっても息子を愛する自信があった。なのにこの喪失感は何なのだろう?
僕らは強く抱き合い、「大丈夫」とささやいた。
ジョンの生後1日目の朝が来ると、家族や友人から電話や訪問が相次いだ。ジョンにダウン症があると知ると、多くの人は静かで沈痛な面持ちになった。
そして、障害のある子の親がよく耳にする言葉を聞くようになった。
「神は乗り越えられる試練しか与えない」と。
おそらく励ましのつもりだろうが、違う。僕は叫びたかった。息子は「試練」なんかではないし、「悪い知らせ」でもない。
看護師やスタッフも、部屋に入ると静かになり、哀れみに満ちた声で話した。
その日の午後、親しい家族の1人が訪ねてきた。「将来バーガーキングで掃除の仕事に就けるくらい成長するかもしれないよ」と言った。安心させるつもりだったのだろうが、僕は泣くのを見られないよう部屋を出た。
ジョンの2人の兄について、誰もそんなことは言わなかった。彼らを抱きしめ、何でも可能だと思った。将来ニューヨーク・ヤンキースの選手になるとか、月に行くとか、無限の可能性がそこにあった。でも今、ジョンの人生はそれとは違い、もっと困難で小さいものになると言われたのだ。
それ以降も、他の医療従事者から悲観的な言葉が続いた。
ダウン症のある人の約半数に生まれつき心疾患がある。ジョンもその1人だが、心臓の専門医との相談の際、医師は「最近はこのような赤ちゃんも救うことが多いんですよ」と率直に言った。
ジョンは今、27歳。6歳からスペシャルオリンピックス(知的障害のある人たちが活躍するスポーツの祭典)に参加し、部屋の壁にはたくさんのメダルが飾られている。学校でも優秀で、高校教育の一環として通った技術学校では「今年の最優秀生徒」にも選ばれたこともあった。
学校を卒業しても有意義な仕事を見つけることができなかったジョンは、僕に「一緒に事業をやりたい」と言った。
彼は「John’s Crazy Socks」の立ち上げを提案し、一緒にゼロから世界有数の靴下ストアに成長させた。従業員の半数以上が何らかの障害がある。
ジョンは今や、引く手数多の講演者となり、国連でも演説し、より良い社会を目指す起業家を称える「EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。
ジョンは、ダウン症のある人の人生がいかに充実したものになり得るかを示す、数ある例の中の一つだ。
病院でジョンが生まれた夜、「ジョンはダウン症の可能性があるので遺伝子検査を行います」という率直な説明は必要だった。でもそれ以上にその医師から必要だったのは、「おめでとう!」や「やったね!」とか、「これから多くの幸せが待ってるよ」という言葉だ。
医師や医療従事者に、必要な医療情報を伝えないでほしいと言っているのではない。ダウン症のある子どもは、多くの重大な医学的困難に直面する可能性が高い。ジョンは、生後3日目に腸を切除し、3カ月になる前には開胸手術を受けた。でも、こうした医療介入は可能だ。また、ダウン症のある子どもは、早ければ生まれて1年目から、理学療法や作業療法、言語療法が必要になることもある。
こうした内容に親は圧倒される。だからこそ、医療従事者からの適切な情報や励まし、サポートへ繋げることが重要になる。
ジョンと僕は、ダウン症のある人に対する人々の考え方を変えたいと思っている。ダウン症のある新生児を持つ親が、正しい姿勢と情報を得るためには、医療従事者が重要な役割を果たすと身をもって学んだ。それを可能にするためには、2つのステップが必要だ。
・医療従事者は、ダウン症のある人が充実した人生を送れることを知り、ダウン症のある赤ちゃんが生まれた際、その親とどう話すべきかを知る必要がある。
・親や保護者は、情報やサポートを得られるネットワークなどと繋がる必要がある。
大学の医学部や医療機関は、医療従事者に対し、ダウン症に関する古い定型文を教えるのではなく、ダウン症のある人の生活実態を理解できるよう手助けをしなければならない。
ジョンと僕は、ヒューストン大学の歯科プログラムで定期的に講演をしているが、これは医師や他の医療従事者にダウン症のある人の生活をより理解してもらうための一つの方法だ。
僕の3人の息子はもう大人になった。彼らが生まれた日、どんな道を歩むか予想できなかった。それぞれ辛かったり悔しかったりした経験があったが、自分を発見する瞬間を楽しみ、人生の意味や目的を見つけた。親として、彼らの成長を見ることができてとても幸運だ。
子どもがどんな人生を歩むのかはわからない。でも、それがいかに素晴らしく豊かなものになるかを聞く必要がある。子どもがまだ歩き出してもいないうちに、その道が限られていると聞かされるべきではない。経験は異なるかもしれないが、悪くなるわけではない。
3人の息子たち、とりわけジョンについての最大の真実は、僕をより良い人間にしてくれたことだ。ジョンは、2人の兄や僕の妻もより良い人間にしてくれた。それこそ親が聞くべき言葉だ。「新しく生まれてきた子は、あなたとその人生をより良くしてくれますよ。幸運ですね」と。生まれてきた子どもが世界にもたらす喜びについて聞くべきだ。
ジョンが生まれた日、一番それを理解していたのは2人の兄、パトリックとジェイミーだった。わずか6歳と3歳だった彼らは、興奮し笑っていた。我先にジョンを抱きたいと、お互いを肘で押し合った。ダウン症についても興味を持っていたが、彼らにとって重要だったのは、新しい弟ができたことだけだった。
みんなにお願いしたい。どうか、ジョンの兄たちのように振る舞ってほしい。ダウン症のある新生児を連れた親に会ったり話したりする時は、他の子どもと同じように誕生を祝ってほしい。「おめでとう!」と伝え、花や風船、喜びの気持ちを届けてほしい。その人生とこれからのチャンスを大事にしてほしい。「限界」に目を奪われず、その可能性を感じてほしい。
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筆者のマーク・X・クローニンは、息子のジョンと共同で、幸せを広めることを使命とする社会的企業、「John’s Crazy Socks」を設立。2人はこのビジネスを世界yの靴下ストアへと成長させ、「EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。マークはソフトウェア会社を起業し、複数の企業を率いたリーダーでもあり、政治キャンペーンを立ち上げた経験もある。議会や国連での演説、TEDxでの講演、基調講演など、幅広く活躍している。息子であり共同設立者であるジョン・クローニンと共に、障がい者の権利を支援している。
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ハフポストUS版の記事を翻訳・編集しました。
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ダウン症のある息子。「神は乗り越えられる試練しか与えない」なんて聞きたくない