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プロ野球・横浜DeNAベイスターズは6月20日、セ・リーグとパ・リーグのチームがリーグの垣根を超えて対戦する「交流戦」で優勝を果たした。
交流戦が2005年に始まって以来、ベイスターズが優勝するのは初めてで、SNSでは本拠地がある神奈川県のファンを中心に祝福する声が広がっている。
一方、歓喜しているのは神奈川だけではない。球団発祥の地に住むファンも同様だ。
そう、ベイスターズが生まれたのは神奈川ではなく、別の地域だった。
横浜DeNAベイスターズは今回の交流戦を11勝7敗で駆け抜け、初優勝を果たした。
三浦大輔監督は球団公式サイトで、「交流戦の歴史に横浜DeNAベイスターズの名を残すことができ誇りに思います。リーグ戦再開後も一緒に戦っていきましょう!ヨ・ロ・シ・ク!!」とコメント。
キャプテンの佐野恵太選手も「球場で多くのご声援を送ってくれたり、テレビの向こうで応援してくれることで後押ししてもらっています。リーグ優勝を目指してチーム一丸となって戦って行きたいと思います」と意気込んだ。
リーグ戦は6月23日から再開。球団は「日本一を目指して、セ・リーグ公式戦を戦って参ります。引き続き熱いご声援よろしくお願いいたします」としている。
交流戦を優勝で終え、今季のリーグ戦に弾みをつけた横浜DeNAベイスターズ。
1998年以来のリーグ戦制覇に希望を持っているのは、本拠地・神奈川だけではない。
球団発祥の地に住むファンも歓喜している。まずは、歴史をたどる。
球団公式サイトや日本野球機構(NPB)公式記録員・山本勉氏のコラム によると、現在のベイスターズは1949年11月、野球興業を目的とする「まるは球団」として、山口県下関市で誕生した。
オーナーは、捕鯨業などで栄えた「大洋漁業」(現マルハニチロ)で、翌50年に「大洋ホエールズ」に名称を改めた上、始まったばかりのセ・リーグに加盟した。
本拠地とした旧下関球場は、球団創立とほぼ同時期に完成。ここで、大洋ホエールズは50〜52年の3シーズンを戦った。
一方、人口が都市部より少ないなど、地方都市での興行には限界があり、53年に他チームと合併して「大洋松竹ロビンス」になった。
1955年、再び大洋ホエールズとして動き出し、77年まで川崎球場を本拠地として戦った。
60年には三原脩監督が就任。それまで5年連続最下位だったチームを、球団史上初のセ・リーグ優勝、日本シリーズ優勝に導いた。
これが、俗にいう「三原マジック」だ。
今の横浜スタジアムに専用球場を移転したのは78年。93年に「横浜大洋ホエールズ」から「横浜ベイスターズ」になった。
そして98年、権藤博監督が就任。現役時代は、連投に次ぐ連投の活躍から「権藤、権藤、雨、権藤」とも言われた大投手だ。
「マシンガン打線」と呼ばれた切れ目のない強力な打撃陣と、「大魔神」こと佐々木主浩投手を筆頭とした投手陣をまとめ上げてセ・リーグ制覇を果たし、38年ぶり2度目の日本一にもなった。
なお、マルハニチロが球団オーナーを務めていたのは、1949年から2002年までの53年間。
その後はTBSを経て、DeNAに球団株式が譲渡され、2011年から「横浜DeNAベイスターズ」として新たなスタートを切っている。
一方、下関市民をはじめとした山口県民は、大洋ホエールズがいなくなってからも応援し続けた。
ハフポスト日本版が下関市から提供を受けた写真では、旧下関球場が観客に埋め尽くされ、球場外からも見物する客がいることがわかる。
撮影日は1960年で、旧下関球場では「大洋対巨人戦」が行われていた。
現在もオープン戦やファーム戦が下関で行われており、球団誕生70年の節目となった2019年には、マルハニチロが「オフィシャルスポンサー」としてベイスターズとの“再会”を果たした。
下関市も「横浜DeNAベイスターズの交流戦初優勝は、球団発祥の地『下関』として、大変うれしく思います。この優勝を弾みにリーグ優勝、日本一へ突き進んでください」と、取材に回答した。
“ベイ党”歴55年という山口県の男性(64)にも話を聞いた。
男性が生まれた頃にはすでに本拠地を移していたが、今は亡き父から話を聞いて大洋ホエールズの大ファンになった。
地元のラジオ局は午後9時までしか大洋ホエールズの試合を中継していなかったため、それ以降は父と2人で車に行き、スピーカーに耳を寄せたという。
なぜか車のラジオからは他地域のラジオ局の音がうっすら入り、午後9時以降の試合経過は車のラジオで聞くことが日課になった。
「親父から『よし!車行くぞ!来い!』と言われてね。ラジオの周波数も覚えとるよ。車で試合が終わるまで実況を聞いとったね」
1998年にベイスターズが優勝した際は、試合があるたびにスクラップしていた新聞記事を全て見返し、男泣きした。
ファンになり、30年後にようやく訪れた優勝だったため、感極まった。
そんな男性に交流戦優勝の感想を聞くと、「原稿用紙10枚分くらいはすぐ話せるんじゃけど」と言いながら、次のように語った。
「ベイスターズの優勝といえば、1960年の三原マジック、1998年のマシンガン打線の2回だけ。それだけに、優勝という二文字は交流戦であっても嬉しいです。ペナントレースもまだまだ面白い展開があるはず。このままリーグ優勝せんかのう……」
男性が住む山口県は、特に若い世代を中心に広島カープのファンも最近多く、男性が「大洋を応援している」と話すと、特に若い野球ファンは「え?なんで?」と驚く人もいる。
はなから「山口県民はカープファン」と思い込んで話しかけてくる人もおり、その度に「わしは大洋なんじゃけど」と再確認するように言ったという。
男性は、このように力を込めた。
「古株のファンとしては、『優勝』という文字にあまり慣れていないのですが、選手、首脳陣、ファン、親会社が一丸となっている今季は『今までとは違う。1998年以来の優勝はある』と心から思っています」
「横浜からは程遠い地方に住むファン歴55年のおじさんですが、選手たちの躍動が『(優勝が決定する)秋には横浜スタジアムまで足を運びたい』と思わせてくれています。山口から毎試合、エールを送り続けます」
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