雲仙・普賢岳の大火砕流から32年。未曾有の火山災害を振り返る【画像集】

43人が犠牲となった長崎県の雲仙・普賢岳の大火砕流の発生から6月3日で32年を迎える。

内閣府が公開している報告書によると、1990年11月に始まった雲仙・普賢岳の噴火活動は4年3カ月継続。このうち、91年6月3日に発生した大火砕流では、警戒中の消防団員や警察官、取材中の報道関係者らが巻き込まれ、死者・行方不明者43人の犠牲者を出した。

未曾有の火山災害を忘れないため、当時の様子を写真で振り返る。

北上木場地区の民家をのみ込み、水無川下流へ迫る大火砕流=1991年6月3日、長崎県島原市
雲仙普賢岳地獄跡火口にできた巨大な溶岩塊=1991年6月4日、長崎県
小学校の体育館に避難した住民=1991年6月4日、長崎県島原市
火砕流現場の遺体収容作業=1991年6月5日、長崎県島原市(陸上自衛隊提供)
火砕流と火山灰に覆われた島原市北上木場地区=1991年6月6日、長崎県島原市(時事通信社ヘリコプターから)
雲仙・普賢岳(左上)から北上木場町(右下)まで続く、6月3日に発生した大規模火砕流の全容=1991年6月8日、長崎県島原市
土石流で押しつぶされた家屋=1991年9月4日、長崎県島原市
大火砕流で床が焼け、基礎部分がむき出しになった大野木場小学校の教室=1991年9月6日、長崎県南島原市(陸上自衛隊提供)
赤い帯となって溶岩ドームから崩落する火砕流=1991年10月1日、長崎県島原市

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