フィギュアスケート・アイスダンスの村元哉中・高橋大輔組が5月1日チームの公式インスタグラムを更新。今季限りの現役引退を発表しました。ウィンターシーズンを終えたばかりのタイミングで飛び込んできた突然のニュースに驚かれた方も多いのではないでしょうか? そこでここでは「かなだい」の愛称で親しまれた2人のこれまでの経歴や成績についてご紹介してきます!
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ここでは村元哉中選手が高橋大輔選手とのカップル結成までに残した成績について振り返っていきます。ペア結成前の経歴についてはご存じでない方も多いのではないでしょうか? 解説していきます!
村元選手は1993年3月3日兵庫県神戸市に3人姉妹の末っ子として生を受けます。
スケートとの出会いは5歳のとき。お姉さんの小月さんと一緒に始めたそうです。
インターナショナルスクールのカナディアンアカデミーを卒業後、スケートに力をいれるため関西大学人間健康学部に進学。このとき関西大学を拠点としていた高橋選手と練習をしていました。運命的なものを感じずにはいられませんね!
シングルスケーターとして鍛錬を積んだ村元選手。14歳で初出場を果たした2007-2008シーズン全日本ジュニア選手権で8位の好成績を収めます!
2008-2009シーズンからはISUジュニアグランプリに参戦。GPゴールデンリンクスでは3位に入り、国際大会でも表彰台に上がりました!
村元選手は2014年野口博一選手をパートナーとしてアイスダンスへ転向、2018年の平昌オリンピックを目指すことを決意します! 野口選手とのカップルは1シーズンで解消しましたが、2015年アメリカのクリス・リード選手と新たにカップルを結成。全日本選手権3連覇という快挙を成し遂げます! 2018年の四大陸選手権では日本アイスダンス史上初の銅メダルを獲得。見事転向時から目標に掲げていた平昌オリンピック出場権を獲得し、日本勢歴代最高タイとなる15位という好成績を収めました!
ここでは高橋大輔選手が村元哉中選手とのカップル結成までに残した成績について振り返っていきます。世界一とも称されるステップで世界中を魅了してきた高橋選手。それでは見ていきましょう!
高橋選手は1986年3月16日岡山県倉敷市に4人兄弟の末っ子として生を受けます。
スケートとの出会いは9歳のとき。近所のスケートリンクに遊びに行ったときでした。
中学校2年生のとき、長野県で行われた全国有望新人発掘合宿で素質を見出された高橋選手は仙台へ。親元を離れてスケートに打ち込みます。そして1999年に開催された自身初の国際大会となるトリグラフトロフィーで見事優勝! 2002年には日本男子史上初となる世界ジュニア選手権優勝を飾ります!
2002-2003シーズンから本格的にシニアに参戦した高橋選手。怪我にも悩まされ、国際大会で結果の残せない苦しい日々が続きます。それでも決して折れることなく、2004-2005シーズンユニバーシアードで優勝、四大陸選手権では3位という成績を収めました!
高橋選手にとって初めてのオリンピックとなったトリノ大会。ショートは5位とまずまずのスタートをきりますが、フリー冒頭での4回転失敗などが響き総合8位。悔しい結果となりました。
しかしこの悔しさをバネに高橋選手は飛躍を遂げます。26年振りのNHK杯連覇、全日本選手権3連覇、ISU歴代最高記録を更新しての四大陸選手権初優勝。名実ともに日本のエースとして君臨しました。
2008年高橋選手に試練が訪れます。練習中の3回転アクセルで転倒。右足膝の前十字靭帯と半月板を損傷してしまいます。シーズン全大会を欠場せざるを得ない大けがでした。
しかし高橋選手はくじけません。長いリハビリを経て出場した全日本選手権で見事4度目の優勝。2大会連続となるオリンピック出場権を手にします! そして迎えたバンクーバーオリンピック。アジア人史上初の銅メダル獲得という歴史的快挙を成し遂げたのです!
オリンピックで銅メダルを獲得したことで高橋選手はモチベーションを失ってしまいます。引退も考えました。それでも2010-2011シーズン世界選手権5位に終わったことで奮起。2012-2013シーズンGPファイナルで日本男子初の優勝を飾りました!
そして迎えたソチオリンピックでは6位に入賞します。メダルには届きませんでしたが、日本フィギュアスケート界初のオリンピック3大会連続入賞という見事な記録となりました!
同年、現役引退。アイスショーやニュースキャスターとして活動します。
引退から約4年後、高橋選手は所属事務所を通じてまさかの現役復帰を発表しました。目標は「2018-2019シーズン全日本最終グループに入ること」と定めます。
そして見事に近畿選手権で3位、西日本選手権で優勝と優秀な成績を収め、全日本選手権出場、2位を獲得! 目標を達成します!
優秀な成績から世界選手権への出場も打診されましたが、若い選手のために辞退、2019-2020シーズンを最後にシングルスケーターから引退しました。
ここでは「かなだい」カップルがこれまで残した成績について振り返っていきます。当時突然のカップル結成発表に驚かれた方も多いのではないでしょうか? それでは見ていきましょう!
2019年9月、日本スケート連盟が高橋選手のアイスダンス電撃転向を発表します。そして2020年1月村元選手の誘いを受けカップルを結成、「かなだい」カップルが誕生しました!
「かなだい」カップルは2020年11月のNHK杯で公式戦デビュー。フリーダンスのミスありましたが3位という好成績を収めます。
2020年12月、転向後初となる全日本選手権に出場を果たした「かなだい」カップル。しかし村元選手が公式練習中に左膝を負傷するというアクシデントが発生。それでも強行出場し、2位に入ります。試合後高橋選手は「こういう経験が次に生きる」と前を向きました。
翌シーズンもNHK杯やワルシャワ杯で日本歴代最高記録を更新、全日本選手権で2位に入るなど優秀な成績を収めます。しかし惜しくも北京オリンピックの出場は叶わず。悔しい結果となりますが「もっと良い景色を見てみたい思いもある」と現役続行を決意します。
2022年1月、「かなだい」カップルは四大陸選手権に出場し、銀メダルを獲得します。これは日本アイスダンス史上初の快挙でした!
同年3月には初となる世界選手権出場を果たします。結果は16位。目標の10位には届きませんでした。
高橋選手はこのとき次の目標が定まらず、カップル解消を考えます。そんな高橋選手を奮い立たせたのが村元選手の言葉でした。「まだまだ上手くなれる」、「試合を重ねるごとにレベルアップしていくのを感じる」。背中を押された高橋選手は現役続行を決意。全日本選手権優勝を目標に再出発します!
「かなだい」カップル結成から3季目となった2022-2023 シーズン、10月のスケートカナダ、11月のNHK杯ともに6位のスタートとなります。それでもデニステン記念チャレンジで優勝。国際大会で初めて表彰台トップに立ちます!
そして迎えた2度目の全日本選手権。リズムダンス、フリーダンスともに1位の得点をマークして初優勝! 高橋選手はシングル・アイスダンス2種目制覇という史上初の快挙を成し遂げました!
日本のアイスダンス認知度アップ、競技力向上に大きく貢献した「かなだい」カップル。本当にお疲れさまでした!
一線からは退きますが、5月12日福岡で開催されるアイスショーに出演を予定しています。第2のスタートを切った「かなだい」カップル。これからの活躍に期待です!
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【アイスダンス】“かなだい”こと村元哉中&高橋大輔が引退! 過去の栄光を振り返ります!