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野球の世界一決定戦「WBC」(ワールド・ベースボール・クラシック)に日本代表として出場し、全力プレーと明るい性格で多くの人たちを魅了しているのがラーズ・ヌートバー選手だ。
3月9日に開催された初戦の中国との試合では、先頭打者ヒットを打ってチームを勢いづけ、見事な守備も見せた。
昔からの友人のような親しみを感じさせてくれるヌートバー選手だが、日本のチームでプレーするのは初めてで、よく知らない人も多いかもしれない。
WBCの盛り上がりとともに、ファンの数を増やしているヌートバー選手は、どんな人なのだろう。
ヌートバー選手は、カリフォルニア州ロサンゼルス南西のエルセグンドで生まれ育った25歳。
南カリフォルニア大から2018年にドラフト8巡目で指名を受けてアメリカ・大リーグのセントルイス・カージナルスに入団し、2021年にメジャーデビューした。
高校時代は野球だけではなく、アメフトでも優れた才能を発揮し、両方のスポーツでMVPになった。
アメフトでの推薦入学のオファーもあったものの、最終的には南カリフォルニア大学に入学して野球を続けることを選んだ。
そして、2023年のWBCで初めて日本代表チーム「侍ジャパン」の一員に選ばれた。
アメリカ国籍のヌートバー選手が日本代表の一員に選ばれたのは、母親の久美子さんが日本出身だからだ。
WBCの国や地域の代表チームに入るには、本人がそこの国籍や永住資格を持っているだけではなく、親のどちらかがそこで生まれたり、国籍を持っていたりする場合も資格が認められる。
久美子さんは埼玉県東松山市の出身であり、ヌートバー選手は日本国籍を持たない選手として初めて侍ジャパンのメンバーに選ばれた。
日本代表になったことはヌートバー選手にとって、大きな喜びだったという。
久美子さんは、「シーズン終わってから、(大谷選手の)通訳の水原一平さんから電話やメールが来て、興味があるか?と聞かれ、ラーズは興味あると即答しました」「ラーズ本人もうれしいんですけど、なるべく抑えていました。抑えめに言っているんですけど、顔はもうニコニコしていました。とNHKのインタビューで答えている。
ヌートバー選手の名前は、ラーズ・テイラー=タツジ・ヌートバー。ミドルネームのタツジは、久美子さん父親、つまりヌートバー選手の祖父の名前に由来している。
その、ミドルネームからついたあだ名は「たっちゃん」だ。
日本代表の選手たちは、ヌートバー選手が3月3日にチームに合流した時、特製の「たっちゃんTシャツ」を着て出迎えた。
チームで唯一日本のプロ野球でのプレー経験がなく、日本語が第一言語ではないヌートバー選手。
フルカウントによると、ヌートバー選手は言語の壁もあり最初は緊張していたが、みんながたっちゃんTシャツで出迎えてくれたので気が楽になった、と語っている。
同じくWBCの日本代表メンバーである大谷翔平選手は、3月6日の強化試合でホームランを打った後に、両手を上下に合わせて回すような仕草を見せた。
これは「ペッパーミルパフォーマンス(コショウ挽き)」と呼ばれ、元々ヌートバー選手がカージナルスでやっていたものだ。
セントルイス・ポスト・ディスパッチによると、カージナルスで「次から次へとバッターたちが打席を回し、ランナーを進めて点数を重ねる」ことを意味するパフォーマンスとして生まれた。
そして、ヌートバー選手がチームメートから誕生日プレゼントとしてもらった大きなコショウ挽きをベンチに持ち込んで、このペッパーミルパフォーマンスをすると話題に。
ファンから、コショウ挽きにサインをしてほしいと求められるまでになった。
侍ジャパンでもこのパフォーマンスが広まったことについて、ヌートバー選手は「ヒットが出た時に、喜ぶ方法を考えていたんです」とMLBのマイケル・クレア記者に説明している。
「なかなか思いつかなかったのですが(大谷選手が)『まず最初に出塁した時に何かして、それに続こう』と提案し、そして私が最初のイニングでヒットを打ち、コショウ挽きをしました」
高校時代からメディアが注目するほどアメフトでも活躍していたヌートバー選手。
最終的に野球を選んだことについて「フリッピン・バッツ・ポッドキャスト」で「野球一家に生まれたから」と語っている。
ヌートバー選手の母親の久美子さんはソフトボール、父親や兄は野球をしていた。
また、まだマイナーリーグの選手だった2020年に新型コロナで野球の試合がなくなった時に、キャッチボールの相手をしたのは久美子さんだったという。
ヌートバー選手は「母は子どもの頃から大の野球ファンで、私たちは見られる時は必ず甲子園を見ていました」と話している。
さらに、ヌートバー選手が8歳の時に、親善試合でカリフォルニアにやってきた日本の高校代表チームと交流したことからも大きな影響を受けた。
代表チームの中には後にプロ入りする田中将大選手や斎藤佑樹さんもおり、ヌートバー選手はチームのボールボーイを務めた。さらに、選手のうち2人がヌートバー家にホームステイした。
ヌートバー選手は「私にとって、彼らはプロのような存在でした」「彼らが私のベッドで寝たので、ソファで寝なくちゃいけなかったけれど、そんなことはどうでもよかった。将来的に野球選手になる可能性がある人たちと一緒にいられるだけで最高だった」と話している。
久美子さんも「そのときの経験は大きく、目の前で日本のトップの球児たち、高校生を見られたのはすごくいい経験だったと思います。ラーズは、ダッグアウトでみんなと一緒で、24時間一緒にいました。1週間から10日もあった経験でしたが、濃密な経験」とNHKに語っている。
それから約20年経ち、日本代表に選ばれたヌートバー選手。
そのことについて「本当に光栄で、信じられません。私のルーツの半分である日本を代表できるなんて、大きな栄誉で感謝している」とセントルイス・ポスト・ディスパッチの取材で語っている。
予選を突破し、準決勝まで進めば、舞台は生まれ育ったアメリカに移る。今回のWBCで同じチームになった仲間やファンとともに、野球世界一の座を目指す。
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WBC出場のヌートバー選手、どんな人?ペッパーミルパフォーマンスの伝道師、知っておきたい5つのこと