これはアウティング?それとも夫婦の話し合い?「たぶんゲイ」の息子、偏見が強い夫。母親が出した答え【作者インタビュー後編】

『うちの息子はたぶんゲイ』

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ゲイかもしれない息子とその母親の思いを描いた漫画『うちの息子はたぶんゲイ』が、約4年の連載に幕を閉じました。

主人公の知子さんは、息子の浩希くんが「たぶんゲイ」であることに気づいて以来、社会の「当たり前」について考え、少しずつ価値観をアップデートしていきます。

そんな姿には「理想の母親」という声も。ですが作者のおくらさん(@okura_yp)は「正しさを描いているつもりはなくて。むしろ間違いも含めてどうしていくのが良いかと考えていく物語だと思っています」と話します。

インタビューは全2回にわたり掲載。後編では、作品終盤の知子さんの葛藤を描いた理由や、おくらさんが望む未来について聞きました。

※作品のネタバレが含まれますので、注意してお読みください。

【前編はこちらから】「うちの息子はたぶんゲイ」。当事者ではなく母親目線の漫画で伝えたいこと【作者インタビュー前編】 

◆『うちの息子はたぶんゲイ』あらすじは?

主人公の知子さんは、夫の明義さんが単身赴任のため、息子の浩希くん、結理くんと3人で暮らしています。知子さんはある日、「浩希が好きなのは男の人なのかもしれない」と気づきます。

一生懸命隠そうとする浩希くんの姿を通し、知子さんは日常に偏見があることなどに気づき、考え、少しずつ変わっていきます。一方で「うちの息子は、素直でとってもかわいい」という愛情は変わりません。「ゲイであることは何も、特別なことではない」。そう感じさせられる、愛情たっぷりの物語です。

▼第1話はこちらから

◆正しさではなく、間違いも含めて考えていく物語

ーー『うちの息子はたぶんゲイ』は、「気づき」が丁寧に描かれています。知子さんは浩希くんの姿を通し、少しずつ価値観をアップデートしていきます。

お母さんの名前「知子」は、物語の中で息子のことを知っている人、もしくはいろんなことを知っていく人という意味で付けました。

ゲイだと公言する同僚の遠野さんと働く中で、「ゲイの人は男女両方の気持ちがわかる」など、知子さんは自分の思いこみに気づいていきます

最初から明確に意図していたわけではないのですが、息子の姿を通し、LGBTQ当事者は身近にいるかもしれないことカミングアウトしにくい空気をまわりが作っているかもしれないことなど、いろんなことを「気づき、知っていく話」になりました。

浩希くんに対する「男性らしくあってほしい」という固定観念に気づく知子さん

ーー弟の結理くんも、浩希くんのことに気づいているような様子が描かれています。

結理は物語の中で、お母さんよりも俯瞰で見る人物として描いています。まわりをよく観察していて、感情的ではなく理性的に状況を整理するという役割を持っています。また結理自身も恋愛に興味がない、恋愛感情がよくわからないという性質を持っていて、一般的に「これが普通だ」とされている価値観に疑問を持っています。

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ーー一方で、知子さんや結理くんとは異なり、父親の明義さんは時に心無い一言で周りを傷つける姿が描かれています。

知子と対比して明義は、「知らない人」として描いています。明義は世間一般に良いとされているものを良いと真っ直ぐ信じ、疑わない人です。悪意はないのですが、悪意がなければ良いのか、ということを考えるきっかけになるんじゃないかと。

知っている人と知らない人では見え方が大きく違いますし、同じものを見ていても、それってどういうことなんだろうと考える人と、「ふーん」で終わる人では解像度が変わるということを感じてもらえるんじゃないかと思います。

明義さんは、「オカマちゃん」という言葉の暴力性や、LGBTQ当事者が周囲にいるかもしれないことに気づいていない様子が描かれました

ーー反対に、少しずつ価値観をアップデートしていく知子さんには、「理想のお母さん」という声も寄せられました。

自分の中では、こういうお母さんがいたら良いなという理想ではなく、「もし思春期で悩んでいるゲイの子がいたら、自分がどう声をかけたいか」という視点で描いています。

時に「正しさの押し付け」といった感想をいただくこともあるのですが、自分は、知子が正しい姿だと思って描いているわけではなくて。というのも、この作品はお母さんなりに、間違いも含めて、どういう選択をしていくかを考えていくお話だからです。

読んでいる中で、知子の考えや行動を間違いだと感じることもあると思うのですが、自分ならどうするか、どうしたいかに向き合うきっかけにしてもらえたらいいなと。「なにが正解かわからないけれど、なにかを選択しなければならない」。そんな時はせめて、物事に対してできる限り誠実でありたいという思いで描いています。

ーー「正しいか分からない」という視点で言うと、作品の終盤で知子さんが明義さんに、浩希くんがゲイかもしれないことを伝えるお話があり、色々と考えさせられました。

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このお話は、批判的な意見も多くいただくだろうなと思いながら描きました。本人に許可を取らず、第三者にセクシュアリティを伝える「アウティング」は、時に自殺などにもつながる、基本的にはしてはいけないことだからです。

知子には、子どもを苦しめる状態の明義を放っておくのは良くないという感想も、たくさん寄せられていました。知子は世の中の偏見や当たり前について考えるんですが、行動には起こさずにきていました。

ただ、明義は浩希がゲイかもしれないことに全く気づいておらず、息子にたくさん不安な思いをさせている可能性があります。だから知子があそこで明義に「ゲイじゃないよ」と言うことが果たして本当に、息子のためなのか、ということを考えてもらいたいなと。

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ーーあの展開はもともと考えていたのでしょうか。

決めていたのは、浩希のカミングアウトでは終わらせないようにしようということでした。カミングアウトをしてもしなくても大丈夫だよというのが作品の本質です。

一方で浩希がゲイかもしれないということを明義に伝えることについて。知子自身の話ではないですし、自分ではなく息子の人生を変えてしまうかもしれないという点では同じとは言えないのでしょうが、知子が「カミングアウト」と似たような体験をするお話でもあると思っています。

知子は作中で「どうなるかわからない怖さを息子たちも抱えているんじゃないか」と独白するのですが、そんなふうに、自分とは全く関係ない世界の話ではないんだと感じてもらえていたらいいなと思います。

◆「隠す」ことが過去になる社会に

ーー作品の中で、特に思い入れが強いエピソードを教えてください。

1巻の終わりに描き下ろした21話「うちの息子は」です。知子が、パソコンの履歴から浩希がゲイかもしれないと気づき、不安になって明義に電話してしまうというストーリーです。

ですが知子は明義に、浩希の日常の様子を伝えるうちに、息子はたぶんゲイで、ただそれだけの大切な家族だと気づきます。2冊目が出せるとも限らない状況で、この1冊で終わってもいいように、これがこの作品で伝えたいことです!と言えるようなお話にしようと、力を入れたのを覚えています。

ーー最後に、約4年の連載が終わった今の気持ちを教えてください。

この漫画で描いた内容が、「遠い過去」になれば良いなと思っています。『うちの息子はたぶんゲイ』は、ゲイの人にもそうでない人にも「ゲイは隠しているものだ」という共通認識があり、そこに説得力がある世の中だからこそ、成立した作品でした。

数十年後、もしゲイであることを隠さなくて良い社会になったら、作品に描かれた気持ちはよく分からないものになっていると思うんです。将来、読んだ人が「なんで隠すの?なにもおかしなことじゃないのに!」という感想を自然に抱くような世の中になってくれたら良いなと願っています。

 <取材・文=佐藤雄(@takeruc10)/ハフポスト日本版>

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Takeru Sato