日本の「京都」は今や世界的な観光地で、日本の文化を体験するために世界中から多くの観光客が京都を訪れています。
韓国の皆さんは、時に「京都に韓国の文化を見る」などと言い出します。2022年11月29日、韓国メディア『中央日報(日本語版)』に傑作な記事が出ましたので、ご紹介してみます。 (中略
※参考
【中央日報】「韓半島の文化のDNAが伝わり、京都が最高の観光地に」★6 [11/29]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1669731541/「私たちの先祖の詩が日本に渡って短歌になった」などとバカなことを述べています。
「そうなんだ」などと信じてはいけません。根も葉もないウソです。
また「百済が滅亡後、王族や貴族、当時の知識人が京都に移住して花咲かせた文化が千年以上伝統として定着」などとさらっと書いていますが、これも事実ではありません。
ただの妄想です。
まず「歌」の話は置いておいて、韓国、いや朝鮮半島の「歴史」の空っぽさについて先にご紹介します。
◆「5千年の歴史」と豪語する空虚
日本で最初の歴史書『古事記』が成立したのは西暦でいうと720年。朝鮮半島の最初の歴史書『三国史記』は1145年です。
読者の皆さんも実際に『三国史記』を読んでみるとお分かりいただけると思いますが、これでどうやって当時の風俗や政治状況、もっといえば「国ぶり」を知れというのか、というような内容です。
中国に朝貢しました。日食がありました――みたいな記述ばかりしかなく、それで終わりなのです。
歴史学者がいくら読み込もうが内容の貧弱さ、不毛さは隠しようがありません。韓国の歴史学者が自分たちの歴史について「何もない」と嘆くしかないというのが本当のところです。
実際に高炳翊先生は以下のように述べていらっしゃいます。
”
「韓国の古代史書が東アジア三国のうち最も遅れて現れながら最も貧弱な資料に依拠して編まれたことは『三国史記』を少し読めば誰もが気づく。ニ、三〇年に及ぶ王の治世を通じこれという事件もなく、遣使朝貢する記事だけ毎年でてくるかと思えば、せいぜい日食や天変地異の略載で埋められている例は一、ニに止まらず、人間と社会の記述は皆無に等しい」
”また、或錫憲先生は、
”
「誰もが嘆くのは、史料が足りないということだ。本当に不足している。
五千年の歴史とはいうものの、残っている記録といえば高麗時代になって書かれた『三国史記』『三国遺事』くらいのものである。
その他の史料といえば中国の文献に現れる片々たるものと、時折現れる遺物の類である」
「途中ですべてなくなってしまった。……史料をあらためて集める前に韓国史はすでに説明がついたわけである。記録のない五千年の文化。これがまさに韓国の歴史である」
”と述べていらっしゃいます。「失われたからないのか」は相当に疑問※ですが、学者が嘆くほど「なんにもない」「何も分からない」のは事実です。
朝鮮にあった百済の「国ぶり」がほとんど何も分からないのですから、百済滅亡後に亡命者によって「どんな文化」が日本にもたらされたのか分かりません。
日本側に事物が「百済から伝わった」として残っている場合もあります。
それについては分かりますが、「百済の文化が現在の京都で花開いた」などと自己満足の弁を述べるのは、まさに噴飯物としか言いようがありません。
何度もいいますが、朝鮮半島には何も残っていないし、どんな風俗だったのか、どのような文化があったのか文献史料もないのです。歴史学者が頭をかきむしるほどに。
何を根拠の「日本に残っている」なのでしょうか。
比較のしようもないし、ただの妄想と断じるしかありません。
以下ソースにて【省略部分も必見】
https://money1.jp/archives/94567
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