結婚の平等(法律上の性別が同じカップルの婚姻)を求め、30人以上のLGBTQ+の原告が、全国5つの地裁・高裁で国を訴えている「結婚の自由をすべての人に」裁判は、東京1次訴訟の判決が11月30日に言い渡される。
この東京1次訴訟の第1回口頭弁論で、意見陳述をしたのが原告の佐藤郁夫さんだ。しかし30日の判決の日、佐藤さんの姿は法廷にない。
長年連れ添ったパートナーと結婚したいと望んでいた佐藤さんは2021年1月、病で倒れ、(その後)亡くなった。
東京1次訴訟の原告たちは、佐藤さんの思いを受け継ぎ30日の判決を迎える。
佐藤さんは第1回口頭弁論で「死ぬまでの間に、パートナーと法律的にきちんと結婚し、本当の意味での夫夫(ふうふ)になれれば、これに過ぎる喜びはありません」と語っていた。
佐藤さんとパートナーのよしさんは2003年に出会い、提訴時には同居15年を迎えていた。
38歳の時にHIVに感染していることを知り「一人で生きていくしかない」と思っていたという佐藤さん。しかし、そんな時に出会ったよしさんが「『あなたのことが好きだから,病気は関係ない』と言ってくれた」と法廷で語った。
ふたりは異性の夫婦と同じように支え合って暮らしながら、交際10年目には結婚式を挙げた。しかし、法律婚の選択肢がない生活は常に不安と隣り合わせだった。
「もしパートナーが意識不明になったら、病院は私ではなくパートナーの親族に連絡をしたり手続きをさせたりするだろう」と佐藤さんは将来への懸念を訴えていた。
その懸念は現実のものになった。提訴から約2年後の2021年1月4日に、佐藤さんが脳出血で倒れた時、よしさんは病院では家族として扱ってもらえなかった。
その悲しみや悔しさを、よしさんは2021年10月の本人尋問で語っている。
救急車で佐藤さんに付き添ったよしさんは、病院に到着した後に書類手続きをし、続柄を「パートナー」と記した。
しかし、医師さんはよしさんを家族と認めず、血縁者である佐藤さんの妹の名前と連絡先を教えてほしいと求めたという。
パートナーとして扱ってもらえないことに悔しさを感じたものの、よしさんは「病状が悪化した時に連絡してもらえなくなるのでは」という恐れから波風を立てないようにし、病院で佐藤さんの妹を待った。
よしさんは付き合ってすぐに佐藤さんに妹を紹介してもらっており、一緒に旅行するなど、良好な関係を築いていた。
そのため、妹を通して佐藤さんの容体を知ることができ、手術説明にも同席できた。しかしその手術説明でも、医師は妹にのみ話をして自分の方を一切見なかった、とよしさんは語った。
さらに、手術後に佐藤さんが危篤になった時にも、病院が連絡をしたのは妹だけだった。
20年近くをともにしたパートナーが危篤に陥ったことを、相手の妹を通してしか知ることができなかったよしさん。
最後に佐藤さんと面会した時のことを振り返った時には、涙を流しながら「何度も郁さん、郁さんと名前を呼びました」と語った。
病院で家族と認められなかったことは、よしさんの心に大きな傷を残した。
佐藤さんが亡くなった後、よしさんはパートナーと書くことで入室拒否されるのではないかという恐れから、仮安置所の受付簿には続柄を「知人」と書いた。
さらに、よしさんは会社に自分がセクシュアルマイノリティであることやパートナーがいることを話しておらず、葬儀に出るために有休を取らなければならなかった。
結婚していたら病院で説明を聞けたと思う。結婚していたら仮安置所で「配偶者」と書いていた。パートナーとして扱って欲しかった――とよしさんは、本人尋問で語っている。
この気持ちや不安は、多くのLGBTQ+の人たちが抱えているものだ。
乳がんの闘病経験がある東京1次訴訟原告の小野春さんは、病気がわかった時にパートナーが家族として認めてもらえるのかという不安で潰れそうだった、と2019年4月の口頭弁論で訴えた。
また、原告の廣橋正さんは、2021年6月の口頭弁論で佐藤さんの遺影を証言台に置いて陳述し、「自分が倒れた時に医師はパートナーに病状を説明してくれるのかと思うと不安でいっぱいになる」と語っている。
そしてよしさんが家族として見られなかったことが「どれだけ心を傷つけ、尊厳を踏みにじったことか」と述べた。
「愛し合い17年間も一緒に暮らしてきたふたりを、どうして2級市民のように扱うのでしょうか。この国には同じような思いをして来た人たちがどれだけいるのでしょう。それを思うと、悔しくて涙が出ます」
小野さんも、2022年5月の意見陳述で「パートナーが危篤の時に、病院は『法律上の家族ではない』という、私たちには変え難いことを突きつけてよしさんの尊厳まで傷つけたのです」と述べている。
東京1次訴訟は、全国で展開する一連の裁判で3件目の判決となる。
2021年3月の札幌地裁判決は、結婚が認められないことを「違憲」と判断した。
その一方で、2022年6月の大阪地裁判決は「合憲」と逆の判断をし、その中で、「結婚が認められていることで生じる不利益や差別は、遺言やパートナーシップ制度などで相当程度解消されている」という見解を示した。
しかし、パートナーシップには結婚制度と同じ法的保障はない。
また、原告たちは「法律上異性のカップルと別の制度を作ること自体が差別だ」と訴えてきた。
佐藤さんは第1回口頭弁論で「いつか本当に婚姻届が受理されたら、感動して泣いてしまうだろうと思います」と話した。
原告たちはこの願いを実現させるための司法判断を望んでおり、小野さんは東京1次訴訟の判決を1カ月後に控えた10月に、記者団を前に「これは命の判決だ」と強調した。
「本当に一抹の猶予がないんだということを、繰り返し繰り返しお話しさせていただいてきましたが、本当に待てるようなものではないんだということを改めて感じています」
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結婚の平等裁判、判決を迎えられなかった原告の無念「夫夫になりたかった」