リバー・フェニックスの死から29年。世界中で愛された「伝説の俳優」、23年の生涯を振り返る【画像集】

リバー・フェニックス。1993年に23歳の若さで亡くなった

1980〜90年代にかけて活躍したハリウッドスター、リバー・フェニックスが1993年に死去してから、10月31日で29年が経ちました。

1986年公開の青春映画の金字塔『スタンド・バイ・ミー』出演を機にブレイク。その後、数々の名演技で多くの人々を魅了してきたリバーでしたが、薬物過剰摂取が原因で、23歳の若さでこの世を去りました。

人気絶頂期、そしてリバーが倒れたのが、当時ジョニー・デップが経営に関わり、スターが集まる有名ナイトクラブだったこともあり、彼の死は世界中に大きな衝撃を与えることになりました。

23年という短い生涯ながら、ハリウッドの歴史に名前を刻む「伝説の俳優」となったリバー・フェニックスとは何者なのか。その生涯を、写真とともに振り返ります。

子役として活躍。弟はホアキン・フェニックス

兄リバーと弟ホアキン。1985年頃、ロサンゼルスのフェニックス家で撮影

1970年8月23日にオレゴン州で生まれたリバー・フェニックス。当時、両親がカルト宗教団体に所属しており、幼い頃は一家で南アメリカを転々としていたそう。

その後団体を離れ、1977年にアメリカに帰国すると、フェニックス家の子どもたちは揃ってエンタメ界で活躍。リバーは10歳頃から俳優業を始めました。

リバーの4歳下の弟にあたるのが、『ジョーカー』役で知られるホアキン・フェニックスです。

ホアキンは2019年、Vanity Fairのインタビューで、俳優になる前の子どもの頃、リバーから「ホアキンは俳優になるよ。そして俺よりずっと有名になる」と言われたと明かしています。「その時はバカげてると思ったけど、もちろん今は『兄はどうやって知ったんだろう?』と思うよ」と、生前の兄の「予言」を振り返りました。

15歳で『スタンド・バイ・ミー』に出演し一躍スターに

リバー・フェニックス演じるクリスが、ウィル・ウィートン演じるゴーディを励ます『スタンド・バイ・ミー』のワンシーン

15歳の時に『スタンド・バイ・ミー』でメインキャストの1人に抜擢されたリバー。12歳の少年4人の冒険を描いた本作で演じたクリス(クリストファー・チェンバーズ)は、家庭環境のために周囲からは「不良」として扱われていましたが、友達思いで聡明な少年。

ファンの間でも深く愛されたキャラクターで、リバー自身も大きな注目を集めました。

その後は『モスキート・コースト』で、スター俳優ハリソン・フォードと親子役で共演し話題になりました。

1986年公開の『モスキート・コースト』出演時のリバー・フェニックス

『インディ・ジョーンズ』などのメジャー大作などで頭角を現しながら、インディペンデント映画の出演にも意欲的だったようです。『旅立ちの時』では、アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされ、『マイ・プライベート・アイダホ』では、ベネチア国際映画祭の男優賞を受賞

どこか儚げな存在感と確かな演技力で、多くの監督、共演者、そして観客を魅了してきました。

『旅立ちの時』のリバー・フェニックスと共演者のマーサ・プリンプトン。第61回アカデミー賞にて

親友はキアヌ・リーブス。音楽も愛する2人

リバーの「親友」として知られているのがキアヌ・リーブスです。2人は『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』で共演し、その後『マイ・プライベート・アイダホ』では、ストリートで生きる男娼の主人公を演じました。 

リバーとキアヌはともに音楽好きでもあり、俳優だけではなく音楽活動にも熱心で、意気投合したといいます。音楽を題材にした映画『愛と呼ばれるもの』で、リバーは自らの歌声を披露しています。

2019年、リバーの妹が彼に捧げるアルバムをリリースした際には、キアヌは、「リバーと出会ったことは運命だった。1人の人間としても、表現者としても。(略)並外れて美しい魂で、光だった」とコメントしました。

自身のバンドではギターを弾いていたリバー・フェニックス。ロックバンドを愛し、アーティストとの交流も深かった

23歳で死去。救急車を呼んだのはホアキンだった

1980〜90年代にかけてハリウッドで一時代を築く俳優やアーティストとも親交が深く、俳優としても人気絶頂期にあったリバー。

1993年ロサンゼルスのスタジオで撮影したポートレート。亡くなる前「最後の撮影」と言われている
1993年ロサンゼルスのスタジオで撮影したポートレート。亡くなる前「最後の撮影」と言われている

悲劇が起きたのは、1993年10月のことでした。当時、ジョニー・デップが経営に関わっていたロサンゼルスの有名ナイトクラブ「ザ・ヴァイパー・ルーム」で薬物の過剰摂取により倒れてしまったのです。その場に一緒にいたという19歳のホアキンは、必死に救急車を呼んだと報じられました

リバーは病院に運び込まれましたが、1993年10月31日に息を引き取ることになりました。

人気スターの急逝に報道も過熱し、様々な憶測が飛び交っていたと言われています。彼の死は、世界中に大きな衝撃を与えることになりました。 

花やろうそく、メッセージがたむけられたザ・ヴァイパー・ルームの外観。亡くなった翌日1993年11月1日の様子

ホアキンに受け継がれた、俳優の道

ホアキンは、兄の死後、俳優業を休業していた時期がありました。もともとプライベートについてあまり明かさないホアキンは、リバーについて言及することも、ほとんどありませんでした。 

復活してからは、『グラディエーター』『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』『her/世界でひとつの彼女』など話題作に出演し、役者としての評価を高めていったホアキン。

2019年、主演作『ジョーカー』が世界の様々な映画賞を受賞し、アカデミー賞では主演男優賞に輝きました。

第92回アカデミー賞で主演男優賞を受賞したホアキン・フェニックス

リバーが亡くなってから25年以上が経ったこの時、ホアキンは公の場で何度も、俳優の道に誘ってくれた兄に感謝の言葉を伝えました。出演したインタビュー番組では、こう語っています

自分が作っているすべての映画で、リバーとどこかでつながっているように感じている

私たち家族は全員、人生の中で様々な形で彼の存在を感じ、そして彼が導いてくれていると感じています

また、2019年にはホアキンは『her』で共演したルーニー・マーラと婚約。翌年、子どもの名前は、兄からとった「リバー」であることが明らかになりました

ホアキン・フェニックスとルーニー・マーラ

亡くなってからも、「伝説の俳優」としてその功績が語られ続けるリバー・フェニックス。事故の現場になったナイトクラブには、今でも命日などに、リバーをしのぶファンたちが、花やろうそく、手紙などをたむけに現われるといいます。 

1988年、ポートレート撮影時のリバー・フェニックス
1988年、ポートレート撮影時のリバー・フェニックス
1989年撮影のリバー・フェニックス
1993年ロサンゼルスのスタジオで撮影したポートレート。亡くなる前「最後の撮影」と言われている

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リバー・フェニックスの死から29年。世界中で愛された「伝説の俳優」、23年の生涯を振り返る【画像集】

Yuki Wakata