電車やバスでベビーカーを折りたたむべきかどうか。ルール上はたたまなくていいのに、なぜトラブルや議論が何度も起こるのでしょうか。8年前のルール決定に関わった研究者とベビーカーブランドに取材し、背景を探りました。
電車やバスでは、ベビーカーは折りたたまずに乗車することができます。
このルールができたのは、2014年です。
しかし2021年、国土交通省が全国976人に聞いたアンケートでは、ベビーカーを車内で折りたたまなくていいことを「知らない」という人が37.3%にのぼりました。
ベビーカーでの乗車をめぐってはたびたびトラブルが起き、SNSでも同じ議論が繰り返されてきました。2022年7月には、ベビーカーを専用座席にベルトで固定してバスに乗っていた母親が、乗客の男性から「たため」と怒鳴られてベビーカーを蹴られたというツイートが、1.6万リツイート、9万いいねを集めました。
そもそも、2014年に「折りたたまなくてよい」というルールができたのは、それまでルールが整備されていなかったからです。ベビーカーで乗車する人がまだ少なかったころは、対応は各交通機関にゆだねられていたのでした。
つまり、「電車やバスでベビーカーを折りたたむべき」という全国共通のルールは、いまも昔も存在しません。
当時の資料によると、電車についてはほとんどの事業者がベビーカー乗車の規定は「なし」と回答。バス会社では規定があっても、前後どちらの扉から乗降車するといったものが大半でした。
国土交通省は2013年に「公共交通機関等におけるベビーカー利用に関する協議会」を設置し、翌年に「公共交通機関においてベビーカーを折りたたまずに使用できるよう取り扱うことを基本とした」という決定を取りまとめました。協議会の構成員は、学識経験者、子育て関連団体、交通事業者、行政などでした。
ベビー用品大手のコンビは、ベビーカー事業者でつくる「ベビーカー安全協議会」の代表幹事として、この協議会に参加していました。
このころの社会背景について、コンビ広報の川﨑愛さんはこう話します。
「共働き世帯が増加し、子育てしながら働くことが当たり前になってきました。もともとベビーカーは近所に出かけたり散歩したりする目的で使われていましたが、保育園に送迎するために日常的に使われる頻度が増えてきました」
また、2000年のいわゆる「交通バリアフリー法」の施行後、公共交通機関のバリアフリー化が進んでいました。駅にエレベーターが設置されたりノンステップバスの導入が進んだりしたことも、ベビーカーで電車やバスを利用する人が増えた背景にはありました。
しかし、「心のバリアフリーのほうは進んでいませんでした」と指摘するのは、学識経験者として協議会に参加していた宇都宮大学教授(都市計画)の大森宣暁さんです。
大森さんは2013年、公共交通機関でのベビーカー利用の意識調査の国際比較を協議会で発表しました。2012年〜2013年、日本、韓国、イギリス、フランス、ドイツ、スウェーデンの首都に住む20〜40代へのアンケートと現地視察をまとめた調査です。
「日本と海外でこんなに差が出るとは思っていませんでした」と大森さんは振り返ります。
公共交通機関を利用するとき、周りの乗客の行為について聞いたところ、日本人の約4割が、「混雑時にベビーカーを折りたたまずに乗車する」ことを「不快・迷惑と感じる」と回答しました。他の行為と比べても、海外との差が際立つ結果となりました。
また、公共交通機関でベビーカー利用者に対して行うことを聞くと、海外では「乗降する順番を譲る」「乗降を手伝う」が多かったのに対して、日本は「何もしない」が3割となりました。
「公共交通機関でベビーカーを折りたたむか」という質問では、日本は「いつも折りたたむ」「混雑時に折りたたむ」を合わせると9割弱に。一方、スウェーデン、ドイツは6割以上が「混雑時でも折りたたまない」と回答しました。
大森さんは、交通事情が影響していると分析しています。
「日本の特に首都圏では人口や施設の密度が高く、公共交通が充実しているので、車ではなく電車を利用する頻度が高いです。首都圏の電車やバスは欧州と比べて混雑していることから、ベビーカーを利用する人はたたんで乗車したり、混雑時を避けたりする割合が高くなっています」
「周囲の乗客による助けを期待できないため、子連れの人のほうが先回りして遠慮や配慮をする傾向があるようです」
また大森さんは、ベビーカーの機能性も関係しているのでは、と指摘します。
「欧米のベビーカーは、折りたたむことが想定されていない大型のものが一般的です。もともと日本で使われていた乳母車も、折りたたむことはできなかったはずです」
「日本では住宅事情もあって折りたためるベビーカーのニーズが生まれ、その開発が進んだ結果、『たためるならたたんだほうがいい』という意識につながっているのではないでしょうか」
たしかに日本では、ベビーカーはたためるものだと一般的に認識されています。「たため」と怒鳴る行為も「たためるはずなのにたたんでいない」ことへの苛立ちからとも考えられます。
コンビによると、実際に日本のベビーカーはたたみやすいということです。川﨑さんはこう話します。
「日本のベビーカーメーカーでは、片手でワンタッチでたたむ機能がデフォルトです。帰宅したらベビーカーをそのまま置いておける海外の住宅と比べ、日本では使っていないときは玄関にコンパクトに収納したいという声がとても多いためです」
コンビの初代ベビーカーは、1977年の「サンドラ」でした。籐やスチール製で重く大きかった乳母車に代わり、海外メーカーからノウハウを得て開発したアルミ製の軽量タイプ。戦後の高度経済成長期、道路整備が進んだこともあって、大ヒットにつながりました。
以降、小型かつ軽量のタイプが人気でしたが、2000年代には、ライフスタイルに応じて軽量タイプと機能性重視タイプとで好みの二極化が進んだといいます。
その後、マンションや駅でエレベーターの整備が進んだことで、ベビーカーを利用する場所が多様になっていきました。少し重くても、小回りがききやすく押しやすい機能性重視のものにニーズが安定。同時に、赤ちゃんを抱っこしたり荷物を持ったりしたままベビーカーを持ち運ぶ場面が増え、たたむ機能のニーズも高まってきました。
コンビでは、母親が赤ちゃんを抱っこして荷物を持った状態でベビーカーを持ち上げることを想定した利用者調査を実施。2015年にこの結果を受け、重さ4.7キロで持ちやすさを重視した「メチャカル ハンディ オート4キャス」を発売しました。ベビーカーを折りたたむと、持ち運ぶための取っ手「持ちカルグリップ」が出てくる仕様です。
「ベビーカーのハンドルをひじにかける方法では持ちにくく、人によっては階段を上り下りするときにタイヤが当たってしまうこともありました。持ちカルグリップがあることで選んでいただくお客さまも多く、特許を取得している機能です」
こうした機能は、あくまで利用者にとっての使いやすさを念頭において開発してきたものだと、川﨑さんは強調します。
「機能としては訴求していきたいのですが、だからといって『たたまなければいけない』というメッセージを発信したいわけではありません。メーカーとして、電車やバスの車内でベビーカーを折りたたむよう推奨したこともありません」
コンビが2020年に実施した利用者調査では、約7割の母親・父親が「ベビーカーが周囲の邪魔になると感じることがある」と回答していました。
そこで2021年に発売した「スゴカル ミニモ」は、従来品より奥行きを約15%コンパクトにし、電車で大人2人分の座席の幅におさまるようにしました。
「周りの人から邪魔だと言われたわけではなくても、ベビーカーで迷惑をかけたくないと思っているママ、パパがいます。製品の利便性を上げることで外出の心理的なハードルをなくしていくのと同時に、子ども連れにやさしい環境の整備や意識改革にも取り組んでいます」
コンビは、子育て中の家族が気兼ねなく外出できるよう、公共施設のトイレにベビーキープやおむつ交換台を設けたり、休憩室をつくったりする外出環境整備の活動を進めています。
「ベビー用品はみなさん3歳くらいで卒業していくので、困りごとがあっても次の代に情報が共有されにくいことが課題です。店舗の通路の設計など、個人や一企業だけではできない対策も多くあります。社会全体を盛り上げていくために、メーカーとして他業種と協業しつつ、子育て世代を代弁していきたいです」
電車やバスでは、ベビーカーは折りたたまずに乗車することができます。
前述の通り、このルールができたのは2014年です。2021年にこのルールを知らない人は37.3%にのぼります。
大森さんはこう話します。
「電車やバスで席を譲りましょうというのはルールではなく、マナーです。同様にベビーカーの乗車についても、マナーが普及しさえすれば細かくルールを決めなくてもいいはずなんです」
「公共の空間を使うときに、困っている人がいたら助ける行動力や、他者の立場を想像する力を誰もが少しでももてるようになったら。『ベビーカーをたたまなくていい』というルールがなくなる日もくるかもしれません」
(取材・文:小林明子)
(2022年10月4日のOTEMOTO掲載記事「令和のベビーカーはより軽く機能的になった。だからといって、電車やバスでたたまなくていいんです」より転載)
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
令和のベビーカーはより軽く機能的になった。だからといって、電車やバスでたたまなくていいんです。