ひきこもりは悪いことか。
ひきこもりをめぐる状況はこの20年でどう変わったのか。
ひきこもり支援の現状はどうなっていて、今後の課題としてどのようなことがあるのか。
20年以上に渡り、ひきこもりに関わり続けてきた一般社団法人「ひきこもりUX会議」共同代表の林恭子さん、松山大学人文学部教授の石川良子さんは2021年末、それぞれひきこもりに関する単著を出版された。
今回はそのお二人をお招きし、ひきこもりの現在地、今後の課題をめぐり、お二人はどう捉えているのか。ひきこもりのこれまで、これからを語っていただいた。
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――著書を通じて伝えたかったことからうかがいます。林さん、お願いします。
(林恭子さん、以下、林)ひきこもりに関する誤解や偏見を解きたいというのがもっとも伝えたかったことです。そのために「当事者の思いを知ってほしい」「ニーズに合った支援をしてほしい」ということを、当事者の周囲にいる家族や支援者に向けて「発信」したかった。
ただし、葛藤もありました。『ひきこもりの真実』という本の見出しがストレートすぎるうえに、私はひきこもりの代表でもなければ、私ごときが真実なんて語れるわけがないと思っていたからです。
しかし、私が共同代表を務める「ひきこもりUX会議」の実態調査を通じて届いた1686人の声はどれもその人にとっての真実だし、私自身の不登校・ひきこもり経験について書いた内容も1つの真実です。その意味で、迷いはありつつも、当事者の思いを「発信」することを大切にしました。
――石川さんはいかがでしょうか?
(石川良子さん、以下、石川)私自身、ひきこもった経験はありませんが、これまで話を聴いてきた当事者は同年代の方も多く、「共感」がそもそものスタートにありました。
当事者の話を20年聴き続けてきたなかで「私は何者なのか」とつねに考えてきましたが、最近では「傍らに居続ける人」というのがしっくりきています。その私にできることは、当事者の声を「聴く」ことの大切さを発信することだ、と考えたんですね。当事者の声がどれだけ発信されていたとしても、周囲の人間の聴く耳が養われてなければ意味がないな、と。
また、著書では当事者の「語れなさ」についても書きました。
当事者のなかには、自身が感じる痛みについて語っても相手に聞きいれてもらえなかったり、甘えや怠けと否定されてしまった経験を持つ人たちがいます。聞き届けられなければ「語れた」ことにはならず、そうした「語れなさ」は結果として、存在の無視・否定、つまりその人がいないことにされてしまうという点において見すごせません。
また、自分の思いや経験を言語化しづらくなるばかりか、たしかに痛いはずなのに、自分の痛みを感じることすらできなくなるという深刻な問題につながっていきます。そのような状況に憤りを覚えているからこそ、「聴く」ということにこだわり、そこから支援論を組み立てる必要があるというのが核にあります。
――お二人は当事者の集いをはじめ、20年以上に渡って、ひきこもりに関わり続けておられます。この間の変化を含め、ひきこもりの現在地についてどのように捉えていますか?
(林)1つのポイントとして、近年ひきこもり支援の現場が大きく変わり始めているということが挙げられます。
とくに、2019年に起きた2つの事件(川崎市通り魔事件、元農水事務次官による長男殺害事件)以降、その変化を顕著に感じます。
ひきこもり支援というと、これまでは当事者を就労させ自立させることを目的とする、就労支援一辺倒のものばかりでした。しかし、「就労支援だけでは不十分、当事者の声を聴き、その思いに沿った対応をすべきだ」というように、支援者側の意識も変わりつつあります。
きっかけとなったのは、2019年6月に当時の厚生労働大臣が出した「ひきこもりの状態にある方やそのご家族への支援に向けて」というメッセージだと思います。
「ひきこもりUX会議」が訴えてきた①当事者の声を聴き、支援の現場に活かすこと、②居場所をつくること、という視点が加味されたものであり、先日私が出席した厚労省主催のシンポジウムでも紹介されるなど、支援の現場にも届きつつあります。
(石川)たしかに、「ひきこもりUX会議」などの当事者団体や「ひきポス」などの当事者メディアができ、社会に対する発信が幅広く行なわれていることは、とても大きな変化だと思います。
他方で、ひきこもり当事者をなんとかして外に出そうとする、いわゆる「引き出し屋」の問題は依然として起きています。「ひきこもりは悪いこと」という見方の根強さ・根深さが背景にあるわけですが、そもそもひきこもりは悪いことなのでしょうか。
不登校しかり、ひきこもりしかり、そうなる背景には傷となるほどの問題が起きていて、それから自分を守るために活動をいったん停止するのは自然なことでしょう。にもかかわらず、「甘えだ、弱いからだ」と周囲が攻撃するから、当事者は自分自身の問題と十分に向き合えなくなってしまう。
つまり、社会のまなざしと取っ組み合わなければいけなくなるわけです。私なんぞは「弱くて何が悪い!」と思うんです。というか、周りには大したことに見えなかったとしても、どんな悩みも本人にとっては一大事です。その悩みが大きいか小さいかを外側から判断するのはおかしいし、そうなると強いか弱いかも言えませんよね。そんな話をすると、たいてい怪訝な顔をされるんですけど(笑)。
(林)そう考えると、課題はまだまだ山積していますね。
ただ、「もういいかな」と投げやりな気持ちになることはまったくありません。ひきこもりや生きづらさを抱えた当事者がみな、安心して生きていける社会は誰にとっても生きやすい社会だと思います。そこに半歩でも近づくために活動を続けていきたいし、いっしょにがんばろうと言ってくれる仲間もいる。
「ひきこもり女子会」の参加者から「こういう居場所がほしかった、ありがとう」という声をいただくことも、大きな支えになっています。ただ、50代になり、私の身体はガタがきてますけどね(笑)。
――今後の課題という話が出ましたが、お二人はどう考えているでしょうか?
(林)先ほどもお話した通り、ひきこもり支援の現場は変わりつつある、というのが現在地だと思います。
そのうえで課題となるのが、当事者の活動に対するサポート体制の整備ですね。「ひきこもりUX会議」では「ひきこもり女子会」という活動を全国で展開しています。地元の社会福祉協議会などとの連携がうまくいっている地域もありますが、残念ながらそうではないところもあります。
たとえば、団体登録が必要だとか、参加者のうち何名かはその地域に住民登録していなければいけないなどの制約があり、場所を借りるだけでもたいへん。「当事者で集まりたい」「こんなイベントをしたい」という問い合わせがあった場合、行政にはそれを柔軟かつ全面的にバックアップする体制を取ってほしいと思います。
また、当事者と親が高年齢化している実状もあります。親亡き後、当事者がそこで生きていくためには、ひきこもりについて、地域に理解者を増やしていかなければいけません。そうしたプラットフォームを各地でつくっていくことは、ひきこもりにかぎらず、シングルマザー、障害を持つ方、高齢者など、あらゆる人が生きていきやすい社会につながっていくものです。
ひきこもりは悪いことか、という話も出ましたが、たしかに「親のすねをかじって生きているなんて問題だ、なぜそんな人間に税金を使うんだ」という声はいまだにあります。
また、支援者のなかには「ひきこもりは早期発見・早期対応しなければならない」という認識を持っている人もいます。だからこそ、実態調査の結果などをふまえて、当事者は甘えているわけでも怠けているわけでもないということを伝えていき、ひきこもりに対する世間の眼を変えていかなければいけないと考えています。ひきこもりへの誤解と偏見が変わらないかぎり、支援窓口をつくろうが、居場所をつくろうが、当事者が置かれた状況や抱える苦しみはあまり変わりませんから。
私自身の経験、そして今日まで活動してきたなかで強く思っていることがあります。それは、不登校もひきこもりも悪ではない、ということ。
石川さんがおっしゃったように、そうする必要が当事者にはあったわけですし、そうしなければその人は生きていられなかったかもしれない。つまり、自分の命を守るため、生きていくための行為でもあるわけです。そのことを1人でも多くの人に理解していただけるよう、活動を続けていきたいと思います。
(石川)2つあります。1つは、支援の構図を変えること。
一般的に、不登校支援は学校へ再び行かせることを、ひきこもり支援はひきこもりから抜け出させることを目指します。ですが、それは結局のところ不登校やひきこもりの否定に根ざしているということであり、ここに根本的な問題があります。不登校やひきこもりはよくないことで、やめさせたほうがよいと見なしているわけですから。
学校へ行っているかどうか、ひきこもっているかどうかに関わらず、その人が安心して心地よく生きていくことを支える。それが本来あるべき支援のかたちだと考えます。ですから、支援の対象となる当事者を否定しているという構図をまずは変えていかなければいけません。
そのために必要かつ重要なのは、支援者自身の自己点検です。
不登校やひきこもりに対する否定的なまなざしをどうすれば変えていけるのか。それは支援者のみならず私たち1人ひとりが自分を問うことからしか始まらないと思います。
また、自分が当事者をどう見ているか、当事者から見て自分は信頼に足る存在になれているか否か、という点も大事です。なぜなら「まず私の話を聴いてほしい。でも、あなたがどういう人なのか分からなければ怖くて話せない」と思っている人がすくなくないからです。
支援の現場で当事者が傷つくという事態が起こる背景には、目先のハウツーばかりが重宝され、同じ人間どうしというフラットな関係性をつくることがあまりに軽視されているからではないでしょうか。
2つ目は、支援のあり方について、ひきこもりという枠組み自体を外してもよいのではないかと考えています。ひきこもりという枠をつくるからこそ、出会える人や居場所がかぎられてしまうのではないか、と。私自身、愛媛県松山市に来て、世の中にはこんなおもしろい人がいるのか、自分が呼吸しやすい場所がこんなところにあったのかと、驚きの連続でした。
たとえば、趣味のサークルやボランティアに参加するなかで自分の居場所や仲間を見つけていけるようになるなど、ひきこもり相談窓口だけが当事者にとって、安心の入口になるわけではありません。
また、研究として、これまでたくさんの当事者に話を聴いてきましたが、突き詰めていくと、私自身がそうした「すきま」になりたかったんだなって思うんです。
ひきこもりと銘打った相談窓口のような直接的な支援ばかりではなく、「世の中にはこんなおもしろい人、場所がありますよ」というかたちで、多くの可能性を明示していくことが大事ではないか。最近はそんなことを考えています。
――ありがとうございました。
(聞き手:小熊広宣)
石川良子『「ひきこもり」から考える─〈聴く〉から始める支援論』
【プロフィール】
林恭子(はやし・きょうこ)
1966年生まれ。一般社団法人「ひきこもりUX会議」代表理事。高2で不登校になり、以来30代まで断続的にひきこもりを経験。
石川良子(いしかわ・りょうこ)
1977年生まれ。松山大学人文学部教授。専攻は社会学・ライフヒストリー研究。著書に『ひきこもりの<ゴール>』(青弓社)など。
(この記事は2022年6月27日の不登校新聞掲載記事「『ひきこもりって悪いこと?2人の専門家に聞くひきこもりの現在地』」より転載しました)
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ひきこもりって悪いこと? 2人の専門家に聞くひきこもりの現在地