どこに行っても居場所がないと感じていた。大人になった時、自分の居場所は世界のどこにあるんだろうと不安だったーー。
1998年生まれの日系アメリカ人の歌手、コナン・グレイは10代をそう振り返る。
日系という、アメリカ社会におけるマイノリティ。「悲惨」だったという幼少期や思春期。家族との複雑な関係…。世界最大級の音楽フェス「コーチェラ」のメインステージで数十万人の前に立つポップスターになっても、コナンが作る音楽では、孤独や絶望を感じていた(そして、それは現在も続いているという)経験が、時に痛々しいほど正直な言葉で歌われている。
デビューのきっかけになったのは、YouTuberだった10代の終わりに自分のベッドルームで作った『Idle Town』。「変化のない、この退屈な街から逃げ出したい」と歌ったこの曲は、インターネットで爆発的に広まっていった。
幼少期には、日本人である母親の故郷・広島で暮らしており、この夏7年ぶりに来日したコナン・グレイ。Z世代を代表する「サッド・ポップ・プリンス」と評されることもあるコナンはどんな人物なのか。単独インタビューで、曲作りの原点に迫った。
アイルランド人の父親、日本人の母親を持つコナンは、1998年にアメリカ・南カリフォルニアで生まれた。幼少期に広島での数年間の生活を経てアメリカに戻ってからは、両親の離婚や再婚もあり、10代前半まで転校を繰り返した。南部テキサスの小さなアパートで母親との生活に落ち着いてからも、日系というバックグラウンドもあって、学校ではいじめを受けたこともあったという。
「学校には、アジア系の生徒は自分以外に数人しかいませんでした。多くの人と見た目が違ったし、親しい友達もいなくて、家でも学校でも1人で過ごすことが多かった」
▼デビュー前の2016年にYouTubeに投稿した動画「Draw My Life」で、幼少期の体験や家族との関係について話している。
テキサスの白人中心の社会で思春期を過ごした。自分の周りだけではなく、当時から熱中していた音楽や映画などのエンターテインメントの世界にも、自分と同じアジアにルーツのある人は少なかったと振り返る。
「日系アメリカ人であることだけが理由ではないけれど、小さい頃は自分が将来エンターテインメントの世界で生きていくとは到底思えなかった。大人になった時、自分の居場所は世界のどこにあるんだろうと、ずっと不安を抱えていました」
「アジア系が憧れの対象ではなかった」という時代に10代を過ごしたコナン。それから数年が経った今、ポップカルチャーではアジア系のアーティストの活躍が目覚ましい。グラミー賞で新人賞含む3冠に輝いた、フィリピンにルーツのある歌手のオリヴィア・ロドリゴは、コナンにとって同世代の親友だ。BTSのメンバーのVは、コナンからインスピレーションを得ていると明かし、「一緒に曲を作ろう」とTwitterでコナンに直接ラブコールを送ったこともあった。
音楽シーンのメインストリームでアジア系のアーティストが成功を収め、互いにポジティブな影響を与え合う環境が生まれている現状を、コナンはこう受け止めている。
「少しずつではあるけど、この世界は多様な人によって成り立っているということが、カルチャーの分野でも正確に反映され始めているのは素晴らしい変化。でも、まだまだ足りてないとも思います」
▼歌手のオリヴィア・ロドリゴとは親友だといい、互いのSNSにも頻繁に登場。
コナンは10代に影響を受けたアーティストとして、アデルやテイラー・スウィフト、ロードの名前をあげる。
「それまでも短いテーマソングやジングルを作ったことはあったけど、アデルの音楽に、1人の人間がベッドルームでポップソングを書けるんだと気づかされました」
曲を作る前から、コナンは12歳で動画ブログを始め、自分でイラストも描きながら、他愛のないことから悩みまで、その親密で率直なトークが人気のYouTuberだった。曲作りもその延長線上にあり、「日記を書くような行為」だったという。
「多くのポップスターは、パーティーや恋愛で盛り上がること、かっこよく生きることを歌う。でも、僕はパーティーも恋愛も経験したことがないし、全く共感できなかった。そんな中でテイラーやロードに出合い、どんどんのめり込んでいきました」
女性のシンガーソングライターたちの曲に共感したというコナン。「好きになるものにジェンダーは関係ない」ときっぱりと考えを示した上で、こうも語る。
「子どもの頃にはU2やボブ・ディラン、デビッド・ボウイも好きだった。何かと複雑だった10代の僕の心に響いたのが、たまたま女性のアーティストだったんです。彼女たちは実生活で起きたことをリアルに描いていて、シリアスなだけじゃなくて、コミカルで尖ってもいる。
今活躍している男性のシンガーソングライターで、感情をさらけだす歌詞を書いている人を、僕が見つけられていないのかもしれません。
もしかしたら男性は、『男は容易に感情を見せるな』と言われて育つことも多いから、そういうアーティストが少ないのかもしれませんね。自分も、感情的になるなんて男らしくないと何度も言われたことがあるから」
コナンは以前から、特定のセクシャリティやジェンダーのラベルを貼られることを拒否し、ステレオタイプに縛られたくないという姿勢を見せてきた。
それはファッションにも表れており、代表曲の1つ「Heather」のMVではスカートを履き、2022年4月のコーチェラのステージでは、ヴァレンティノのショッキングピンクのドレスを身に纏った。コナンにとってはファッションも自己表現で、スカートもスーツも古着も、自分流に着こなす。
もちろん、音楽も同様だ。恋愛についての曲も、多くの場合は相手を指す言葉に「He」や「She」ではなく、性別を特定しない「They」や「You」を使う。そうした異性愛規範にとらわれないコナンの姿勢は、多くの若者の間で支持されている。
楽曲『Crush Culture』では、恋愛文化への違和感を歌う。「Crush」とはアメリカで使われるスラングで、好きな人がいて恋愛に夢中になっている状態や、好きになった人のことをいう。「キスに狂ってる人たちにうんざり」「恋愛なんて息苦しい」と「クラッシュ・カルチャー」への不満を曝け出したこの曲は、恋愛中心のポップソングの中で異色を放ち、バイラルヒットした。
6月にリリースされた日本1stアルバム『スーパーエイク』でも、恋愛に対するユニークで批評的な、コナンらしい視点が光っている。ハート型に敷かれた薔薇の真ん中にコナンが横たわるジャケット写真には、こんな意味が込められているという。
「薔薇は愛のシンボルとされる花だけど、僕は恋愛もしたことがないし、うんざりするなって。だったら、愛のシンボルを、愛し合う人々のためではなく、自分のもの、悲しんでる人のためのものにしようと思ったんです」
「Z世代を代表するアーティスト」「新世代のポッププリンス」とメディアで評され、実際にその言動ひとつに注目が集まる存在になっても、コナンは、『スーパーエイク』の収録曲『People Watching』(=人間観察)で「自分は傍観者」だと歌っている。
「幼い時から、自分は物事の真ん中にいる人ではなく、その周りで傍観している人という感覚で生きてきました。子どもの頃から傷つくのも、間違いを犯すのも怖くて仕方がなかった。人がどう自分を見ているか、すごく気にしてきたんです。
映画のように、主人公として自分の人生を謳歌している人もいるでしょう。でも、僕は主人公じゃなくてサブキャラ。理由はどうであれ、自分を好きじゃない、というのは僕は普通のことだと思う。でも、なぜかその感情はあまり曲にされてこなかった」
自分は「傍観者」で「サブキャラ」ーー。ポップスターとしては異端なその視点が、コナン独自の音楽性と今の立ち位置を築いてきた一つの理由なのかもしれない。
『スーパーエイク』=「猛烈な痛み」と名付けたアルバムを作る過程は、過去を振り返り、深く内省する時間でもあったという。
中でも、コナン自身も「曲にするのが怖かった」というのが『Family Line』。「顔が似ていても 苗字を共有していても 僕らは同じじゃない」と歌われるこの曲は、家族という繋がりや、両親への複雑な思い、そして世代をこえて受け継がれていく「痛み」が描かれている。
コナンは、曲を作る中で起きた心境の変化をこう話す。
「昔起きたつらいことに対し、当時は相手を責めていたけれど、今になってみると、誰のせいでもなく、どうしようもないこともあったんだと分かってきたんです。過去とあえて向き合うことで、つらさや痛みを克服し、今は悲しみに置き換わった。その悲しみに思い切り浸ることで、自分が尊いような気持ちにもなりました」
人生で経験してきた様々な傷心を歌ったコナンの曲。TikTokでバイラルヒットを巻き起こす中で、同じような思いを抱えていた若者たちを夢中にさせ、その傷を癒してもきた。
「僕の音楽に共感してくれるのは、僕と同じように生まれた時からインターネットという変化を起こせる強力な手段を持ち、うまく使いこなせるけれど、同時に自分の殻を破るのが怖くて仕方がない人たちだと思う。
どんな人であろうと、若い頃は混乱していて間違いを犯すし、そこから学ぶのは人間が成長する上では当たり前のことだと思う。それをいいものなんだと称え肯定するのが『スーパーエイク』です」
アルバムの発売前には、計51公演のワールドツアーを行い各地のファンがコナンを温かく迎えた。日本でも初のショーケースライブを行い、圧巻のパフォーマンスで観客を魅了。トークでは柔らかい表情を見せ、日本のファンとの交流を楽しみながら、ライブでの再会を約束した。
「自分の居場所がなかった」というコナンは今、世界を飛び回り、その音楽を通じて人々に勇気や癒しを与える存在になった。
幼い頃の自分が今の自分を見たら、どう感じると思うか。インタビューの最後にそう尋ねると、コナンは「ショックで混乱するかも」と笑顔を見せ、こう続けた。
「驚くだろうし、同時にホッとするんじゃないかな。子どもの時は自分はうまくやっていけるのか、安全な状況で生きていけるのかと不安だった。けど、今のところはうまくいってるし、多くの人に自分の音楽が愛されているのを感じているから」
(取材・文=若田悠希 @yukiwkt/ハフポスト日本版)
▼アルバム情報
コナン・グレイ『スーパーエイク』 / Conan Gray “Superache”
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居場所がなかった日系の少年が、新世代のポップスターになるまで。コナン・グレイの「痛みを肯定する」音楽の原点