2019年に連日報道されていた香港のデモは、2022年にはすっかり忘れ去られてしまったかのようだ。
多くの若者が参加した香港民主化のデモは、はっきり言ってしまうと敗北に終わった。中国本土への犯罪者の身柄引き渡しを可能とする逃亡犯条例の改正案に端を発したデモ。結果として、改正案を取り下げさせるどころか、反政府活動を取り締まり、言論活動に大きな制限を加える香港国家安全維持法(国安法)の成立を許してしまった。
国安法の威力はとても大きい。2022年に香港民主化の話題やデモのニュースがほとんどないのも、これが主たる原因だ。このままでは、あの時、何があったのか、多くの人の記憶から失われてしまうかもしれない。
そんな忘却の波に逆らうように、8月13日からドキュメンタリー映画『時代革命』が公開される。本作は、2019年のデモの現場で何が起きていたのかを克明に記録した作品だ。
香港では上映できないこの映画を作ったキウィ・チョウ監督は、デモ後の香港社会をどう感じているのだろうか。この映画について、そしてこれからの香港について話を聞いた。
『時代革命』は、2019年の香港民主化を求めるデモの最前線を収めた作品だ。運動が盛り上がっていく2019年6月ごろから180日間の動きを追いかけている。
デモの変遷を全9章に分けて構成し、どのように変化していったのかをわかりやすく捉えていると同時に、デモに身を投じた若者たちの悲壮な胸の内をインタビュー形式で収め、流血を伴う過激な最前線の戦いも容赦なく映し出す。
当初、多くの人が香港の危機に立ち上がり高揚感に溢れていたデモは、マフィアが一般市民に暴力をふるい出すなど、流血沙汰が増えていく。さらに、警察による市民相手の発砲事件が起き、一線を越え始める。デモ隊の行動も過激になり、その行方は暗雲が立ち込め、次第に敗色が濃厚になっていき参加者たちも絶望感を強めていく。香港理工大学立てこもりのあたりになると、ほぼ勝ち目がなくなっている様子がよくわかり、学内に立てこもっている若者からは皆殺しにされるのではないかという恐怖の声が聞こえ始める。
キウィ・チョウ監督のカメラは、警察の横暴や白いシャツを着たマフィアとおぼしき人物たちが一般市民を容赦なく叩きのめす模様をつぶさに捉えている。催涙ガスなども飛び交う中での撮影には危険が伴っただろうが、この映画を作る動機はどこにあったのだろうか。
チョウ監督は「公民責任」という言葉を口にした。
「民間人1人ひとりが社会に対してやるべきことがあります。デモに参加した人々は、それぞれ異なる職業でしたが、それぞれが責任を果たそうとしたのだと思います。私は映画監督ですから、この職業の責任として映画を作るべきだと思ったんです」
映画は、幾人かのデモ参加者を中心に構成される。彼ら彼女らのインタビューカットと現場での活動を追いかける構成になっているが、これらの取材対象者を見つけるのは、それほど困難ではなかったようだ。
「あの時は、香港に暮らしている誰の周囲にもデモ参加者がいるような状況でした。ですので、自分の知人を頼りに前線で戦っている人たちを見つけ、そこからさらに辿っていけば、多くの若者に出会えました。このデモの本質である“リーダー不在”をきちんと理解して、自分で考え行動している人を選んで撮影することにしました」
人口約740万人の香港で、ピーク時にはその3割の200万人がデモに参加したという主催者発表による報道もあった。
一方で警察発表では33万人だったが、どちらも政治的に数字を操作しているという指摘もあり、実際の参加人数は50~80万人程度ではという推計もある。
だが、実感として、かなり多くの香港人がデモに参加したことは間違いないのだろう。それだけ多くの人が危機感と責任感を持ち行動したのだ。
しかし、なぜこれほどまでに多くの若者が熱心に行動したのか。チョウ監督にとっても驚きだったようだが、そこには若い人に広がるアイデンティティがあるようだ。
この映画は「A Film By Hongkongers(香港人による映画)」とクレジットされている。通常、このクレジットには、監督の名前が記されるのだが、チョウ監督はあえて香港人というアイデンティティを前面に掲げている。
「自分は中国人ではなく香港人」と考える人の比率は、若年層であればあるほど多くなる傾向があるそうだが、この香港人というアイデンティティについて監督はどう考えているのだろうか。
「若い人たちがここまで熱心にデモに参加したことに、私は率直に言って驚いています。彼らに話を聞くと、香港の歴史や政治についてよく知っていることがわかります。高度な自由はあるけど民主主義がない、そういう香港に対して、何かがおかしいと感じていたのではないでしょうか。
香港人というアイデンティティは昔からあったと思います。ただ、私よりも上の世代には中国から香港にやってき人たちも多いですから、別の感覚もあるはずです。香港人というアイデンティティは2019年になって一層強く確立されたように思います」
映画はデモが敗北していく様をまざまざと映し出す。
2020年を迎えたところで映画は終わり、その後、香港ではよく知られている通り、国安法が施行され、言論の自由が大きく制限されることになる。これによって、香港で民主化デモは不可能となり、デモについて話をすることも難しくなっている。
チョウ監督は国安法施行後の香港社会は、恐怖に支配されているという。
「民主的なメディアは目に見えて減っていき、民主化を求める団体も消えてきています。親中派だけが残り、それに反対する声は聞こえなくなりました。
映画の上映にも厳しい制限がかけられるようになり、本作も上映される可能性はありません。それどころか、タイトルを口にしただけで、テレビ局の人間が解雇されるなどしているんです。
デモのスローガンだった『光復香港 時代革命』をネットの掲示板に書いただけで、逮捕された若者もいるぐらいです。そんな状態なので、1人ひとりが厳しく自己検閲をするようになっています」
デモ後の変化はそれだけではないようだ。デモの時には、香港社会は親中派と民主派に分断されたが、最近では民主派の中でも分断傾向が見られるという。
「元々、同じ志を持って活動していた人の中でも心の傷の深さが違います。ちょっとしたことですぐに言い争いになってしまいます。さらに、外部から入ってくる情報によって不信感を感じたり、一緒に戦ってきた仲間が香港を離れてしまったり、色々な要素で分断が進んでいるように思います。心の中では、みんな想いは同じだとは思うのですが」
監督の周りでも心を病んでしまう人が多くなっているという。
「私が知っている、デモに参加した若者はみな、カウンセリングに通っています。多くの人がデモの苛烈な経験の後遺症に苦しんでいる状況です」
表現の自由が失われると、記録を残すことすらできなくなる。ひいては人々からこのデモの記憶が失われる可能性がある。今、香港ではそういう事態が進行しているのかもしれない。
国安法施行後に香港を離れる人が急増していることは報じられているが、チョウ監督は香港を離れるつもりはない。
「いつも私は勇気を出してから立ち上がるのではなく、立ち上がってしまってから勇気をもつことを心がけています。そうして一度やり始めた以上、覚悟を決めて最後までやり通すのが私の責任だと考えています」
チョウ監督は、この映画を海外に配給することで活路を見出そうとしている。台湾、イギリス、イタリア、韓国、そして日本において本作は映画館で一般上映される。カンヌ国際映画祭でサプライズ上映されたことを皮切りに20以上の国の映画祭や特集上映などで上映されてきた。さらには、英語字幕と繫体字字幕版のダウンロードも可能にして世界に向けて、このデモの記録を残そうと試みている。
「日本の皆さんには、この映画を観て自分自身を振り返り、不公平な事態に直面した時、自分ならどうするかを考えるきっかけにしてほしいと思います」
映画が公開できる環境が日本にあることは本当に大切なことだ。表現の自由があるということがいかに貴重なのか、改めて知るために、本作は最良の資料となるだろう。
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
カンヌでサプライズ上映された「香港民主化デモ」の克明な記録。あの時、最前線で何が起きていたのか