Appleの創業者である「スティーブ・ジョブズ」は、どのような教育や経験を受けてきたのでしょう。
ジョブズのクリエイティブな才能が発揮されるようになった経緯について、海外YouTubeチャンネル「Newsthink」が解説しています。
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スティーブ・ジョブズの最期の言葉は「ああ、すごい、すごい、すごい」でした。彼は、驚きで満たされた生き方をしながら死んでいったのです。
彼は、自分が頭の中で思い描いた現実を創造することができるという、魔法のような考え方を持っていました。その考え方が、彼の人生を見事に成功に導きました。
しかし、それが彼の早死にを招いたのかもしれません。
ジョブズは、1955年2月24日にサンフランシスコで生まれました。従兄弟によると、出生名はアブドゥル・ラティフ・ジャンダリというそうです。
父親のアブドゥルファター・ジャンダリは、シリアの裕福なアラブ人家庭に生まれました。母親のジョアン・シーブルはスイス・ドイツ系のアメリカ人です。母親がウィスコンシン大学の大学院生の時に、二人は知り合いました。
二人がシリアのアブドゥルファターの家を訪ねた時に彼女は妊娠しており、すぐにカリフォルニアに戻って、ジョブズを産みました。
そして結婚していない二人は、赤ちゃんを養子に出すことにしました。当初は、カトリックの裕福な家庭を選ぼうとしました。
しかし、この養子縁組は失敗に終わり、ジョブズはポールとクララ夫妻の手に渡りました。ポールは機械工であり、クララは会計士でした。どちらも大学には行っていませんでした。
ジャンダリは養子縁組に同意する前に、ジョブズに大学までの教育を受けさせるよう、お願いしています。
ジョブズの実の両親は、やがて結婚し、ジョブズの妹をもうけました。その妹とは、小説家として成功したモナ・シンプソンです。彼女は、ジョブズが亡くなるまで仲が良かったようです。
ただ、実の両親との関係はほとんどありませんでした。ジョブズは伝記作家のウォルター・アイザックソンに「実の両親は私を精子と卵子のバンクと考えていました。これは厳しい言い方ではなく、まさにその通りです。」と語っています。
しかし、ジョブズは実の母に会うことを望みました。なぜなら、産んでくれたことに感謝していたからです。
1959年、ジョブズ一家はサンフランシスコからカリフォルニア州のマウンテンビューに引っ越しました。マウンテンビューは、電子機器産業の中心地となりつつありました。
若き日のジョブズは、電子機器に興味を持ち始めました。しかし、学校には興味がありませんでした。
小学4年生のとき、教師が退屈していたジョブズにキャンディーなどのご褒美を与えてやる気を出させました。その結果、彼は勉強に熱中するようになったようです。そして、彼は5年生を飛び級して、そのまま中学に進学しました。
しかし、クリッテンデン中学校では、いじめに遭うことも多く、生活は苦しかったようです。
ジョブズは、両親に対して「引っ越しするか、退学するか」という選択肢を突きつけました。そして両親は、シリコンバレーの中心地であるロスアルトスに引っ越し、より良い学区に通わせることにしました。
ジョブズは、ホームステッド高校に通い、友人の紹介で、数年前に卒業したスティーブ・ウォズニアックと知り合います。
彼らは同じ電子機器の趣味で意気投合しました。そして後にウォズニアックと共にAppleを設立します。
オリジナルサイトで読む : AppBank
ジョブズのズバ抜けたクリエイティブ能力の起源